日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* もったいないかな土曜日 *

2011年10月29日 | 雑感

 

夫が先週土曜予定のゴルフが雨予報で、今日に振り替えになった。 最近は振り替えができるんや。
朝食をとって7時、出かけて行った。 天気は良好、暑い位かも知れへん。 と言う事は私1人やわ!

って前々から行きたかった長居植物園へ写真を撮りに行く! と決めていて昨夜からバッテリー充電したり用意万端。
が・・しかし、朝から腰が痛い・・夫には言わへんかったけど(これはあかんやろ、あの広い長居歩いていたら子守に差し支えるわ)
無理はすまいと断念して、買いたいものがあったのでお昼自転車でゆっくり天保山マーケットプレイスの100均へ行った。 
海遊館の入口のゲートには今年のイルミネーションテーマ、~希望・喜び・心の絆~と書かれてあった。

店内を物色していた時、長女から写メが入り「中之島のクルーズに妹となつめかんたと今から。 、バラがメッチャきれいやで」なんて。
(え~なんで言ってくれへんかったん? ショック~!そこなら行けたのに~。) 
てっきり長居植物園へ写真を撮りに行っていると思い声をかけなかったと言う、そりゃそうだ皆に行くよ!って言っていたんだもの。
私だってさ、今日は何してんのって電話しようかと思ったんやけど、子供の休日いちいちせん索しなくってもとやめたのに~。
思うようにはいかへんもんやわ。 せっかくのとびっきりの休日やったのに。 
色んな事を思ったり暑かったのとで途中で気分が悪くなって、買い物をすませ急いで帰った。 6年前毎日仕事で通った道を通って。 
急いで・・と言いつつ橋の上で自転車止めてパシャ!

しんどいので今日は来ない方が助かるけど・・とか言ったら、クルーズの帰り気にして娘たちはやってきた。 
結局一緒に夕食と言う事になった。 しんどかったけれど、孫たちの賑やかさでちょっと元気が戻ったかなぁ。
夫は帰る時車をインロックしてドアが開けられなくて往生していたようで、窓を割ろうかと思いつつも針金を探してなんとか解決、
(どんなもんだい)と言わんばかりに帰宅した。  日焼けして顔が赤い。 まぁまぁの成績。
まぁみんなが良かったら、私はいいわ。 けど・・秋の薔薇・・撮りたかったな・・ほんまにもったいない土曜日やった。

そやけどなつめが「お泊りする!」って言いだした。 
引っ越すとき2人になる私たちに寂しいだろうと「泊まりに来て上げるから」 そう言ってくれていたんやけど。 
「ほんまに泊まるん?」「泊まる!」娘たちは帰って行った。  お布団に入ったなつめは嬉しそう。
「この間までここで寝てたのに、今は自分たちの家で寝てるし、そして今日お泊り・・なんか変やわ」って言う。
「かんちゃんが寂しい言うんとちがう?」「だいじょうぶ、こころがつながってるから」 はい・・そうですか~。
(ほんとしんどいばぁばだったのよ~、なっちゃんのぬくもりと一緒に気持ち良く眠れたわ~)


* ふるさとより 第一号のみかんが届いた・・ *

2011年10月28日 | 雑感



実家から荷物が届いた。  広島印の段ボール。 今年のみかん第一号である。
中に、まだ小さいが葉つきの大根3本と、にしき堂のお饅頭と可愛い招き猫のお菓子が入っていた。
みかんとお菓子を義父の遺影にお供えしたあと、早速小さめの皮の薄いみかんむいてほおばった。 
柑橘特有なあの懐かしい匂い、ふるさとの香りが口いっぱいに広がった。 (あま~い!)

電話で兄が「極早生だよ、大根は嫁さんの初めての作品」と言った。
開けた時みかんよりも、なぜか大根を観た時にじーんときた。 洗ってある大根は新聞紙にくるみナイロン袋に。
大根を作ったのも入れてくれたのも、兄嫁さんだとすぐに分かったから。 

箱の中の白い封筒にはA4の用紙いっぱいに印刷された兄の手紙が入っていた。 ちょっと感激したので了承を得所々・・

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Nけんつく・みく様 Nファミリー様 (お花を送り主、Nファミリーとしたから)

朝のニュースでは「木枯らし1号」が吹いたとの事、半袖で降りると母が「見るだけで寒そう」と言いました。
TVに、皆さんが買って下さったマッサージ機にと、形容のしようがない鼻歌まじりのランニングマシーンが日課の母です。
一時より元気で暮らしております、ご安心下さい。

手術から一年が経ちました。 入院時ご心配をかけましたが胃に関しては当初の心配も人ごとのように頑張っています。
一年ぶりに200mあまりを3回走ってみましたが、孫(2歳)に負けない程度・・大誤算、ここまで筋力が落ちるとは!
何処からくるのか医者は「心配無い」と言ってくれますが、肺活量が落ちた?ようです。

母の米寿のお祝い、記念の旅行に際し大変お世話になりました。 まさか胃が無くなるとは! 
これだけが大誤算でしたが強行して良かった。 これもNファミリーのお陰で出来たことであり、感謝申し上げます。 
母にとっても私たちにとっても本年、いやいや近年一番の旅、出来事です。
言ったかと思いますが、誤算は(母の最後の長旅と思っていたのに)「こんなに良いものなら又行きたい」でした。
11月に入りますと長男一家3人が出産準備の為に帰り、にぎやかになります。

私たちも結婚35年を迎えましたが、考え深い記念日になりました。
3回目の赴任(シンガポール)時、毎回食事に呼んでくれ何故か?良くして下さる方がいていました。
その方の息子さんの「沈黙の艦隊」を見せてくれました。
帰国後唯一買った漫画でしたが、その息子さん「かわぐちかいじ展」が尾道市立美術館であり2人で見に行きました。
その時買い求めた「招き猫」と広島のお菓子2種類、楽しんで下さい。
中途半端な大根ですが、嫁さん作です味わって下さい。
味は出ていませんが極早生が入りましたので色々な想いを込めて送ります。
「幸せの木」とメッセージ、有難うございます、負けないように頑張ります。

母のように「迷惑をかけないように長生きしたい」と、そう思うようになりました。
孫の成長も楽しみに長生きしたいものです、お身体ご自愛ください。 

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母が何かと言うと、「有難い」とか「感謝」と言う言葉を言うのを幼い頃から耳にしてきた。 正直(もういいよ)と思う時もあった。
兄が結婚してからは事あるごとに「こんなに幸せでいいんじゃろうか」を口にするようになり、年を重ねるほどにその言葉は増えた、確実に。
周りにすればそんな母の言葉は、時に羨ましくもあり、うとましくも思える事もあったに違いないと思いながら、しかし言い続けてきた
小さな事への感謝や有難い・・そんな言葉が綴られながらの生き方は、幸せ・・に繋がっているのではないかと思う。
言葉は生きている。 言い続ける事・・それは成るに通じていて、敢えて求めた訳ではなく与えられたものだと思っている。

兄の最後の2行の言葉、「迷惑をかけないように・・」だから特に健康に気をつけているといつも口癖のように言っている母。
そばで何気に聞いて来たであろう兄ではあろうが、自分が身体を患いいっそうそんな母の口癖がただ事ではなかったと言う事を、
実感として味わっているのであろう。 私でもそうだが、親の思いがぐっと腹に入る時があるがちょっとうるうるっときた。
手紙のやり取りが少なくなった今、硬ぶつだった兄とこうして文を交わせるようになったことを内心嬉しく感激している私である。


* お弁当事情 *

2011年10月27日 | 料理・その他食


母は昔からお弁当を作るのが好きだった。  中学、高校と5人の子供のお弁当を作って来た。 
「子供たちが一生懸命に勉強する姿や食べる姿を思いながら作るのは楽しい」と良く言っていた。
料理上手な創意工夫を凝らした母のお弁当は自慢だった。 決して裕福とは言えない我が家だったのに。
嬉しそうにお弁当を作る母を見て育った精か、それに格別に美味しいお弁当だった精か、私は結婚したら
旦那さんのお弁当を作る! と言うのが、一つの夢だった。

会社では業者さんのお弁当をとっていたが、夫は残り物でも口の合うおかずがいいに決まっているので
お弁当を持って行った。 子供が1人2人・・3人目が出来た時はさすがに会社仲間からもう作っては
もらえないだろうと思われていたが、作った。  時期には子供たちのお弁当も作った訳で・・。
夫のお弁当はその時経理をしていた今は84歳の神戸の夫人が食べていたようでそれも意識して作った。
お弁当の話となると娘たちがお母さんのあのおかずは美味しかったわとか、友達から羨ましがられたとか
楽しげに話してくれるときがある。 邪魔くさいなぁと思って作った事は無いと思う、多分。
それは楽しんで作ってくれていた母のお陰であると確信している。 
未だに時折、台所でエプロンをかけて楽しげにお弁当を作っていた母の姿が懐かしく浮かぶのである。

次女と同居になって最初は2人して2人分のお弁当を作っていた。 
展君が仕事を変わって食堂で食べるようになったので、お弁当を作るのを休止した。
今や何処でもオフィス街にお弁当屋さんは氾濫している。 会社のビルの下にもお弁当屋さんがあるし、
いくらでもお店が軒を連ねている。 気まぐれにお弁当を作っているが、外食も夫は適当に楽しんでいるようだ。
こんなお店があったとか、美味しい料理を話す事がある。 
私への気遣いもあるだろうけど、出来たての温かいものが食べられるのにはお弁当は負けるかも知れない。

「わざわざ作らんでもいいで」と言う言葉に甘えて、朝は貴重なネットの時間にしていたりする。
別居になったらゆっくり時間があるので(お弁当くらい作ってあげよう)そう思っていた。 別居になったけれど・・。
人間ドックで完全なるメタボリック、あれこれ予備軍がつき「お弁当は太るわ」等と言うし(低カロリーをめざして
考えて作るようにしよう)そうは思っていたのだけれど。
今は夜のおかずの残りが色々あるときに夫の方から、「あれとこれと詰めてくれたらいい」と要望するようになった。
邪魔くさいとは思わないが、お弁当がないと楽。 その分2人の朝食を楽しんで作っている。
「無理に作らんでも、食べるとこなんぼでもあるんやから」そう言う夫に甘えようか、それとも・・やっぱり作ろうか・・
今こっそりと悩んでいる。


* 嬉しい便り・・因島発 *

2011年10月26日 | 絵 他

「ふとお2人のことを思って絵手紙を書いてます・・」と因島に住んでいる同級生のTちゃんから便りが届いた。
絵手紙の便りをもらったのは何枚目だろう。 
最初は還暦旅行の時の行程を、夫と全員の写真を撮っていたので1人1人にメッセージを入れたデジブックを
作らせた頂いた。  そのデジブックを希望者に差し上げたお礼の便りに絵手紙をくれた。

前にも書いた事があるが、彼女は映画化された「告白」の作者である湊かなえさんのお母さんである。
中学で一緒になり同じクラスになって、良く彼女の内に遊びに行ったことがあった。 

湊かなえさんは著作「告白」の時も、映画化されたうえ海外からのオファーがあったようで、その後作家として、
TVに新聞雑誌にと彼女の顔や言葉を目にする事が何度もある、それは未だに。
先日TVで知ったが、東映創立60周年記念作品として湊かなえさんの著作「往復書簡」の第2話
「二十年後の宿題」を原案にしたミステリー映画に吉永小百合さんが教師役で主演されると言う。
またテレビ朝日の創立60周年記念作品としても、この冬著作「境遇」がスペシャルドラマ化されると言う。
2009年「告白」が第6回本屋大賞を受賞されたが、某新聞のインタビューで5年後に目指す姿として・・
「5年後も作家であり続ける、そして告白が代表作でないようにしたい」と語られたその事柄は着実に
素晴らしい形となって映画やTVに発表されようとしている、他人事とは思えずその栄光が素晴らしい。

彼女の母Tちゃん、2年前の還暦旅行の時娘さんを知る一部の女友達には話す機会があったようだが、
宴会の席でも言えば言えたのに、それに何度かくれた絵手紙の葉書にだってひと言もそんなことは書いていない。
電話した時こちらから言えば「そうなのよ」と応えるが、そんな彼女の控え目な素敵が私は偉いなぁと思うし、
聡明な彼女、湊かなえさんを産んだお母さんとして充分にその値打ちをアピールしているように思う。
芸術の秋、読書の秋・・私もそんな素晴らしい作品に触れて楽しんでみたい。


* 兄夫婦の結婚記念日 *

2011年10月25日 | 行事

実家の兄夫婦の結婚35周年であった。
昔から親子兄弟で誕生日や結婚記念日はお祝いの電話など欠かすことの無い習慣、母が率先していたから。
引っ越しやなんやらで忘れないようにと、心していた。 
夫の方にはそのような習慣が無かったので少し気がひけるが、兄嫁さんには特にお世話をしてもらっている由。
感謝以外の何ものでもないし、お祝い電報や何やと気持ちを届けている。

30周年は姉が音頭をとってくれて姉妹4人で薔薇のブリザードフラワーを送った。
今回は個人で多分・・と思い、鉢物とメッセージを送る事にして昨日長女が来てくれたのでゆいちゃんをみてもらい、
自転車を走らせた。 今日届くようにと。
迷ったが大きな幸福の木にした。 母が2人には本当に良くしてもらい幸せ幸せと言うものだから。
A4サイズに背景に飾りのテンプレートを印刷、毛筆で頭に兄夫婦の名前をひらがなで並べて、その下に言葉を並べ
お祝いの言葉に託した。 それをしっかりラミネートしたのをお店の方に同梱してもらった。

夜電話があって、兄嫁さん、兄、母と代わった。
昨年の結婚記念日は、兄が検査で胃に悪性腫瘍が見つかり手術となった。 3人目の孫が21日に生まれたばかりの時に。
胃を全摘して随分と体重が落ちた兄、お嫁さんの出産、産後を家で預かって、母の世話も兄の世話も、そして週2の
ヘルパーさんの仕事もこなして来られた兄嫁さん。 1人何役もこなされた。 
そんな事がらを乗り越えて、今年の4月は米寿を迎えた母に吉野の桜を見せてあげたいとの兄夫婦のたっての希望で、
大阪、奈良、京都と何処も満開の桜の時に、親孝行の桜の旅をし私たちも便乗させてもらった。
この事は本当に良かった感激だったと3人から改めて言われた。
とりわけ母は「こんなに幸せな者はおるじゃろうか」と涙声だった。

長男へ嫁いだとは言うものの365日、目をかけ心をかけて下さる兄嫁さん、そして昔から孝行な兄。
申し訳ないかな自分たちの事でいっぱいで、母さえ忘れる日があるかも知れない私たち・・申し訳ない限り。
いつも明るい兄嫁さんの声で、生活が見えるようでほっと救われる。

兄が12月の終わり頃4人目の孫が生まれるので「来月からお嫁さんが産休で、息子と孫と3人が帰って来る、
賑やかになるわい」嬉しそうに言った。 「極早生のみかんを送るから」と付け加えて。
実家が安泰だと私たちも幸せをあやからせてもらえるようで、心から安らかな感謝の気持ちになる。