日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 今宵は・・ほろ酔い? いえ私たち夫婦はしらふです *

2022年10月31日 | 雑感


実家に立ち寄りお墓参りと形見分けを済ませた妹夫婦は、尾道泊。 そして翌日新幹線で大阪へ寄ってくれた有難き。
ホテルで待ち合わせ待つはずが、妹たちの方が先についていて、地図苦手な大阪の私たち夫婦が迷って待たせてしまった。
私たちの行動は殆どがミナミで、様変わりしたキタは殆ど利用しないのである。  
妹達が大阪へ来た時は、駅近のホテルに泊まるので、長女にディナーのお店探してと頼んであった。

夕食を久し振りに楽しむつもりが妹達が泊まるのを知り、長女は瞬く間に「泊まっておいでよ」と早々に手配してくれた。
今はクーポンがつくから絶対お得と、最上階の31階で部屋も近い所にお願いし叶った。 いけいけの長女、有難い。

会いたいし食事だけでも一緒にと、娘二人も仕事の後合流。 4,5年振りかなぁ。
前は中華だったが、高齢者やしと阪急グランドビル31階、世界の創作料理京風ダイニング鍵<京月さん> を予約。  
実家での滞在中の様子、お姉さんの心遣い、娘たちの家族のことや、何しろコロナ禍それぞれの行動範囲の制限。
4人娘は毎日グループラインをしているし、娘達も妹とラインで繋がっている。
娘たちが入ると明るくその場の楽しさは倍加する。 と同時に、自分は母親であることを再認識、そして老いを感じる。

京月さんのコース料理、料理もさることながら一枚一枚手作りの器、盛り付けにも作りての心と技、実に素晴らしい。
「食は目から」と言うが、見て味わって感動さえ。 誰もが言う、「どの料理も皆味しいね」
スタッフの対応も良いし、お店の雰囲気、高層からの夜景は格別だし言う事なし、長女には本当に助かる。 

妹の旦那さんの誕生日が間近なので、長女はお店にデザートの後サプライズを頼んであった。
テンプレートに書かれた絵と、娘達の思いがけないプレゼントそれぞれ・・2人はほろ酔い・・大喜びである。


トップの写真は、一番下の妹が実家にて4姉妹に、色紙細工の秋をプレゼントしてくれて、千葉が届けてくれた。
中には石灯籠が見えて・・細やかな細工である。
妹も、私達が合流で泊まることを知り「行きたいわぁ」と言っていたが、今度は京都の姉の方角で4人で集まろうよね。


私の5人兄弟もそうだが、夫の5人兄弟、嫁同士もみんな仲が良い。 
育ててくれた母たちのお陰、長幼の序をしっかり守っているお互いの家族である。

そしてこの度は私以外、実家にコロナ禍亡くなった母や兄のお墓参りが叶った事。

10年くらい前だったろうか、兄嫁さんが「みくさん、もし母が亡くなってもお墓参りだけで帰らないでね、
家に必ず寄って下さいね」本当にこの度の再会・・感動である。
地元の妹がおればこそ、お姉さんの母へのご苦労も見て聞いて私たちに伝えてくれるから、有難い。
だからお姉さんには感謝しかないのである。 

何といっても人は生きてる限り・・夫婦も家庭も、愛和・・仲が良いことに尽きるのではないだろうか。
その為の年月を重ねているのだと思う。 
私達の結婚式の祝電に「一生をかけていい夫婦になって下さい」とあった。 
22日は”いい夫婦の日”である。 まだまだ・・私たち、道半ば。

妹夫婦はほろ酔い・・移動でお疲れ、もっと話したいけど・・、今夜はおやすみなさい。

昔は、何処でも遠慮がちではあるが、パシャパシャ写真を撮っていた。 だって素適なホテルやお店のレイアウトや。
(何このおばちゃん)ひんしゅくをかいそうで、もう素敵な景色も撮れない。 唯一の残念である


* 佳き佳き・・を残してくれた母の財産・・ *

2022年10月31日 | 雑感


母亡き後そして年が明けるとコロナ禍三年となるが、昨日・・姉、すぐ下の妹、一番下の妹が実家に帰省した。
お墓参り、そしてお姉さんへ母をお世話頂いたお礼と感謝を伝えに馳せ参じ、形見分けの時間を持った。

ワクチンが打てない実家のお姉さん、姉が娘夫婦に連れられ「お墓参り帰れるかなぁ」「全然OKです」と許可が下りた。
それならばと、千葉の妹夫婦も合流の帰省である。 

あれだけ帰省を拒んでいたお姉さん、それは感染者の多い大阪、千葉、京都 何とも! ひたすらに感染しないようにと
母を守るためであったこと、そう思いつつも葬儀にも帰れなかったことには多少の悔いを感じていたけれど、
日が経つにつれ、母をお姉さんファミリーと地元の妹夫婦で見送れたことは、結果的に良かったと思ったし、
母と過ごした18年間は余りに短く、お姉さんが母と過ごした46年間はあまりに長くそして厚い。 完全に惨敗である。

母が万一感染したら・・恐らく100歳が届く年齢、助からないかも、そして悲しい見送り方になるかも知れないの懸念。
そんなこともあって、コロナ禍は田舎でもあるし周囲の目もあり、「帰らないで欲しい」帰省はずっと拒まれた。
思えば私たちには悪いと思いつつも、大切に母を思えばこそのお姉さんの母への愛と行動には、感謝しかない。

私は大阪だから、感染者数もまだ多い、でも誰もみっちゃんも帰っておいでが無かったのは少し寂しかったが、地元の
妹が、母が亡くなる三日前、退院したばかりの夫と長女とで母を見舞うことが出来たし、実家や夫の実家のお墓参り出来たし、
義兄夫婦にも会えたそんな事柄と、病院で会ったお姉さんは、退院した夫より私の方が悪そうでずっと気にして下さっていて、
日を改めて・・と逆に無理をして帰省するのを案じて、私を気遣い声がかけられなかったそうよと妹から聞いて納得。
そこまで思いを馳せて下さっていたのだと、有難く申し訳ない気持ちになった。

夜、妹から電話があった。 賑やかにみんなの声が聞こえていた。 いわゆる形見分けである。 女5人想像がつく。
四姉妹の送った母の日、誕生日や敬老の日、それに帰省の時など皆から送られてきた洋服やら・・着てないものも多々。
そして母の手芸作品の数々、皆さんでお好きなものをと、お姉さんが。 「みっちゃんこれどう?」写真を送ってくれる。
孫の結婚式に母が着た上等な総レースの上着、これは私にとお姉さんの方から少し前言ってもらっていた。
そんな心遣いすごい。
賑やかな声が聞こえた。 本当に楽しそうだった。 千葉は夜は尾道のホテル、姉と下の妹はお姉さんのはからいで
実家に泊まった。 遅くまで語らい姉たちもまた、遅くまで・・。 それを聞いただけで私も楽しかった。

天国の母の笑顔が浮かぶ。 お姉さんの優しさ、姉妹たちとの仲・・佳き佳き。 
亡き父も、母も、必ず最後口にする言葉。「兄弟仲ように・・」今思えば遺言のような言葉。
守られるように育ててくれた母、帰省しやすいように46年をかけお姉さんを讃えつつ、私たちを戒めながら生きた
母の佳き心の財産だと私は思っている。

守られているよ、お父さん・・お母さん。 それはこれからもずっとね。


* 『初恋の日』 そんな彼と一緒になってもう49年になった。*

2022年10月30日 | 雑感
* 『初恋の日』に・・ * - 日々雑感 ~写真と思い~

* 『初恋の日』に・・ * - 日々雑感 ~写真と思い~

娘たちと、結婚や誕生祝いの買い物に出かけた。セイ君が送り迎えしてくれ駐車場の心配なく助かる。あちこちのデパートでもそうだが、○ごうデパートにも大きなツリーが飾られ...

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 ときめき? 初恋の日さえ忘れていたし。 今は言うなれば感心、尊敬・・ 見直した!かな。

ブログを書き始めた2005年の時も初恋の日があった!


* 秋 初物をいただく・・ *

2022年10月28日 | 料理・その他食


丹波の加工屋さんへ行ったとき、帰りに栗とピーマンをいただいた。
縫製所の裏に栗の木が見えていたが、その栗。 立派な栗、こんなことなら写真撮っておけば良かった。

ピーマンは早速、奥さまに伝授したピーマンとお味噌と卵を使った一品を作った。 ノンアルでもいい一品。
栗ご飯をしようと、水につけて皮をむく、分かっているけど難儀。 左手の親指の付け根骨折中。
8個むいた時左の人差し指に包丁・・赤いものが・・。  栗ご飯止めて、茹でることにした。

孫も大きくなったので、茹で栗半分に切ってスプーンで・・幼い頃みたいに喜ばないのでは? 
そう察した夫は、古い映画を見ながら、30位の栗の実をスプーンで救い出してくれた。 (偉い!)
「ご苦労さん ありがとう」「なんか考えて作れ、巾着とか」かなりな量である。

裏ごしして(面倒だけど)、リクエストの栗巾着を作った。 いくつも出来た。 
8個の皮をむいた栗は、小さく切って夕ご飯に炊いた。
お塩が入るのでみんな喜んだ、いつも炭水化物少なめの孫娘も美味しいなぁと食べた。
夫の「ただ喜ぶ顔がみたいんや」いつも言うそれは、これなんやね。

食後に栗巾着を、ご所望。
「こりゃあうまい!」

(初もの・・長生きするねんよ)


* 月命日には・・ *

2022年10月26日 | 雑感

 

昨日25日は義父の月命日だった。  
三々九度のお神酒にも口をつけなかったとか、奈良漬けも駄目、そんな父はこよなく珈琲を愛されていたので、
亡くなられた後、月命日には、珈琲を三つ入れひとつを小さな額の父の写真にお供えする。 
父にはお砂糖もフレッシュも入れる、入れていたから。 私達は、フレッシュだけ。
時に父の事を思い出し話ながら、夫と飲む。 これが当たり前の月命日だった。 

病気をしてから今年は、毎朝食後のお決まりの珈琲を飲んでいない。 ピタッと止まった。
今はお客様も呼ばないし、珈琲メーカーしまおうかと思っていた。
薬の副作用で口に合わなくなったのかも知れないと、しかし敢えて聞かないことにしている。

先達て「久しぶりに珈琲頂こうかな」と言ったので、なんか嬉しくって、「ハイ」と言って喜んで入れた。
インスタントは飲まない。 「久しぶりやなぁ」「今年初めてよ」 

義父は大変器用な人だった。 長女が生まれて3ヶ月くらいの時に大阪に来てくれた。
「鰻が好きだ」と言われたので、鰻どんぶりをした。 「美味しいのう」あの時の顔着ていた服も覚えている。
「高野豆腐も好きじゃ」と言ったのを覚えていて高野豆腐を炊くと、「おやじも好きやったなぁ」と
夫も、高野豆腐の卵とじ、喜んで食べてくれる。

お風呂の蓋、「ジャバラのは子供に危ないぞ」と、近くのお店で材料を買って来て作ってくれた。 
引越しの時、父親の作ったお風呂の蓋、夫は持って来た、新築の家に。 
父親の思いと、父親の息のかかった蓋が捨てられなかったのだろう。 使うこともないのに。
子供とお風呂を楽しむ、可愛い猫や花のシールもはがして新しい家に持って行き、タイルに貼った。
決してきれいではないが、夫には子供とのお風呂時間、楽しかった時を簡単に捨てられないのであろう。
何にしても、夫の優しさが垣間見えるあれこれ。 

だからと言って、25日に「今日は親父の月命日やなぁ」とは言った事ない。
母親、家族の誕生日さえ、あまりちゃんと覚えていないのだ。 義父はずっと単身赴任だった。
男4人、女1人、5人の子供。 母の働きのいかに大変だったかが、伺える。 
「家庭的なところが好きだった」お付き合いしている時言われたことがある。
ひとつづつ、そんな夫の思い・・裏切らないように・・私。 

来月の25日、「珈琲もらおうか」って言うかな。 「ひと口飲む?」って言おうか。