日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 一月の終わりに・・ *

2013年01月31日 | 雑感

一月はいぬると言うが、早い。  もう一月が終わる。
新しい年を迎え、新しい気持ちでスタートしたはずなのに、前の年と変わらない日常を送っている自分が少し情けない。
しかし何と言っても、大阪12人家族(内2人はシンセンだけど)なんとか健康で終われる事は感謝である。

今年はなぜか、いつもなら年の初めに遅くとも一月にはたてる「今年こそは!」がまだない。
そればかりか、なりたい自分に消極的になっているかも知れない。
今日一日をつつがなく過ごせたら、そしてそうなるように努める平凡でもそんなことが一番の幸せではないだろうかと思える。
”日々是好日” 今日が好い一日であったと言える日を過ごすように努めようと。

1月は腰や膝、同病相哀れみ労う夫婦になっている。 それは2月も同様、恐らく。 
暖かくなった春には、せめて2人花写真でも撮る楽しみで歩いて行けるように。 

思うことはある、色々と。 悔やんだり悩む事もあるし、落ち込むことも無くは無い。
しかし悔やんでも落ち込んで捕われていても、始まらない。  時は容赦なく過ぎて行く。
強くは無いが出来ることならそんな心、流せなくとも忘れられなくとも、そのことを踏まえて前に進もうと言う、
そんなエネルギーへと変えて行こう。
そのように努め過ごす事へ、大げさだが生きる力を注ぎこもう(偉そうかな)
日々の当たり前に感謝して。

私のタイトル日々雑感 ~写真と思い~の下には「今日と言う日二度と来ない、だから今日を大切に」 そう書いてある。
さぁ、明日ははや2月、逃げるように早く過ぎてしまいそうな2月がスタートする。  
時に追われず、追いかけるが如く、がんばろう。

言い聞かせ 言い聞かせながら・・


* ほっとな朝だったのに・・・ *

2013年01月25日 | 雑感


照れくさいのかどうなのか、そこんところは分からない。

一滴たりともアルコールを受けつけられなかった義父、その月命日の25日は義父がこよなく愛した珈琲を供える。
朝ご飯の炊きたてがあるときはたまに、「お願い」と言って夫に供えてもらっている。
でないと、義父の写真に目を向けることないし(たまには見ているかな?) 
手を合わせることもまず無いので、強制的に頼む。
「はいよ」と受けとって、供えてくれるのに。
孫たちは競って喜んで、供えるのに。

珍しく朝食をパンにした。  パン食の時は野菜サラダ、ハムエッグ、それに必ずスープがないと駄目な人。
「今日は珈琲を飲んでね、月命日だし」 「おぅ」
会社で珈琲を飲むので、朝珈琲は飲まない、ほぼ。

今朝は食後にほっとを頂きながら、義父を思い出したり、義母を看てくれている兄夫婦を思い出したり。

朝、夫が起きて来る前に供えるときには「義母さんが穏やかで過ごせますように。 義姉さんを忘れませんように」
そして「お父さん、今日も一日よろしくお願いしますね」そう笑顔で手を合わせた私だったが・・

今日は金曜日、夫の卓球の日。  
出来れば今年は区民大会に出ないで欲しいと先日お願いした。  返事はまだ無い。
腰も膝も良くは無いのに。  卓球のような小さな球を追うので、無理がかかる。
早くに敗退すれば自分も落ち込むだろうし・・と。
そんな自分を見せたくはないだろうから、出るのなら見に行くのをやめようと思っている。

そんな夫が11時半を過ぎても帰って来ない。  なんの連絡もない。
12時を過ぎても・・。 次女夫婦と同居していた時は、展君が起きてくれるので私は眠いと寝ていたが
今は2人だし、鍵を持って出ないので寝る訳には行かない。
でないと酔っ払いさん、「ピンポンピンポンピンポン!」 近所迷惑になるのに早押しする。
12時半、思いあまって電話をかけた。 出ない。 鳴らし続けた。 (何してんねん・・) 
20回くらいでやっと出た。
「もう近くまで帰ってるで」 「電話くらいしてよ」思わずそう言った。

年末の卓球の忘年会の後、帰りに雨の中自転車のチェーンがはずれよろけて電気やさんのシャッターへドン! 
ずぶぬれで冷え切って帰り、腰も膝も最悪・・そんなことがあったので、心配しているのに。

「あ~寒・・」 はぁはぁ言いながらあがってきた夫に・・
「背中でも流してもらってたん?」 お気に入りさんのいるお店なので、思わず皮肉を言ってしまった悪妻。
「いいや、途中から船長が来て・・長びいたんや」 私の皮肉に、表情も変えず答えた。 
(いいやって・・今日はそうじゃないけど、たまには?) 

お酒を飲んでいるので冷えた身体でお風呂に入るのは危ない。
何度も温度を気にしながらお風呂のお湯をみて、少しぬるい目にしておいたのだけど。

反省として・・
「寒かったでしょう・・良かった、無事に帰って来てくれて!」
にっこりと、そしてそんな可愛い気のある言葉、言えなかったの?私。

義父の月命日やのに・・義父さんごめんなさい。
この次は可愛く言おう、うん。


* 夜行観覧車(湊かなえ) *

2013年01月18日 | 詩・エッセイ・短歌・小説

(11日、天保山で長女を見送ったときに撮った写真、画像を取り込んでいるサイト”ピカサ3”のヒートマップと言う操作)

前宣で、見ていた。
湊かなえさんの第5作目「夜行観覧車」 原作の映画「告白」に続き、書き下ろしTVドラマ「境遇」 映画「北のカナリアたち」
すごいなぁ。 

「子供の頃から、本ばかり良く読んでたわ」 彼女のお母さん、同級生のCちゃんは言っていた。

告白で受賞したとき、「5年後に目指す姿として、まず作家であり続ける、そして告白が代表作でないようにしたい」
そうインタビューにこたえていたのは印象的であり、あれからずっと活躍していて、先日本屋さんのベスト10にも2冊も
入っていたのを見た。  それに新聞や雑誌、TV彼女の顔を何度も見ている。
描いた通りの道を歩んでいる。 

同級生の娘さんと言うだけに、興味をそそられ、新聞を切り抜いたりしている自分だ。

この小説はまだ読んでいないが、同級生の娘さんの原作とあらば予約録画!  最近予約が、自分で出来るようになった。
予約は夫にあずけ、私ができないと言うのを夫にちょっぴりの優越感を与えていた? (簡単なことなのに)
あまりドラマは、見られたらいいし見られなかったらそれでと、そんな感じだったから。 今回はしっかり予約。

何処かでありえるかも知れない家族、家庭での出来事。  冷や冷やドキドキするミステリー・・今後が楽しみである。  
犯人が分かると面白くないので原作は読まないことにした。

あらすじも感想も下手な私なので、書けないが・・

金曜夜10時 夜行観覧車   全てはこちらに。


* 冬のヒルズ 独り言 *

2013年01月17日 | 花や木

よし、歩こうか
と言えども 手にはカメラ ははは

しかし真冬の公園では  遠い春までの寒さに耐える木々が  静かに立っているだけ

そんな中でサザンカの花が 際立って鮮やかに存在感を見せていた

あんなに鮮やかな紅葉を見せた秋の公園は 逆転してまさしく冬
あれ 黒い雲がでてきたぞ



せっかくだし さっさと登ろう

雲を背に 灯りとりの体育館の天井がやけに白いではないか

枯れ古木が多い中で わずかな緑を残す一本の木に
ただただ ピーピーピーピー 鳥たちの昼下がりの談笑だろうか 鳴き声が響き渡る
やかましいぞ
え? もしかして 早く帰ったほうがええんと違うかい とでも?



華はないが 冬芽をつけた古木の季節も嫌いではない
じっと耐えた後には 今はまだ遠いが 温かい陽ざしがあふれて そのうち芽ぶく季節がやってくるという
希望がある 望みがある

ぽつりぽつり 冷たいものが落ちて来たぞ

たいていなら 今くらいにはいっぱい咲いているはずのボケの花・・
ジャカランダの花もそうだったけど 花々は 遅れ遅れに咲いた昨年だったが
案の定 咲いていたのは一輪、たった一輪だった
ゆえにその花色は やけに紅く感じられた

「雨かなぁ みぞれかなぁ・・」
ヒルズの階段を急いで降りた時 自転車に乗ったおばさんがそう言いながら通る
「みぞれでしょうね」
私はそう言いながら せっかくだから少し歩こうかな
ぽつりぽつり ぽつぽつ
やっぱり帰ろう


* 小山明子さん *

2013年01月16日 | 雑感

大島渚監督の訃報を知った。
奇しくも昨日、定期購読している”清流”の本で、奥さまの女優小山明子さんの記事を拝読したばかりだったので驚いた。
最後まで看とられお家に連れて帰られたと言う、そんな折今日から舞台に立たれると言う奥さま。

清流には”小山明子のしあわせ日和”と題して、小山さん書の水彩イラストを織り込んで連載で記事を載せておられる。
いつの頃からだったろうか、10年以上も購読しているので、過去のを残している訳ではないが、
覚えているだけでも7年はようにたっている。

監督の度重なる病気、介護、その中でご自分がうつ状態になり入退院を繰り返すと言う、壮絶な人生。

自分自身が毎日の生活を楽しまなければ、いい介護はできない」と言われた小山さん、無理をしてでも自分の為の時間を
作るようにしていると何年も前の記事には書かれていた。
束の間の息抜きにと、それでも年に数回の事と言いながらお月見に出かけられたり、女友達と歌舞伎に行かれたり、銀ブラで
お買いものを楽しまれるなど、絵もそうであろうか。
初めのうち、女優さんだし金銭的にも出来うること・・とそう思ったりしていたが、それは懸命な介護をされていたからこそであり、
介護でうつ状態になってご自分が入退院を繰り返すようになられても、監督の介護をやり遂げる為に考えられた末の、
知恵であり大切な心なんだと納得する事が出来た。

同じような楽しみ方は出来ないにしても、身の丈に合った今の生活の中での楽しみ方、自分の処し方を考える・・
それは人それぞれで、小さな些細なことでも、自分が喜べるようなことを持つ楽しみな時間は、とても大切な事だと思った。
実際介護と言っても、様々な状況、家庭環境があるので、同じようにはいかないのではあるが。

2009年の小山さんの記事のコピーから・・

介護の夫をほっとらかしにして自分だけ楽しむなんて」と、眉をひそめる人もいるかも知れませんが、介護は毎日、毎日同じ事の繰り返し、
それがいやだとは決して思いませんが、時にはそこから離れて非日常の時間を過ごしてリフレッシュすれば、その分また心のこもった
介護も出来ます。 自分がいろいろ見たり感動したことを話すと、不自由な身の主人にも外の世界を感じさせてあげられますし、
その報告を聞くと彼の顔もイキイキ、ニコニコしてきます。 家の中に閉じこもって、二人だけの世界に浸ってしまうのはお互い苦しいだけ。
だから私は、自分が楽しむ事に罪悪感をもつ必要はないと思っています。
とはいえ、こうした楽しい時間が持てるのも、誘ってくれる人や一緒に出かけてくれる人があってこそ。
充実した老いを迎えるには、人間関係の貯蓄が大切と言う話も聞きますが、まさしくその通りだと実感している今日この頃です

亡くなられた時「明日が分からないから、今日を精一杯と尽くして来たので悔いはありません」と、言葉を正確には記憶してないが
きっぱりと言いきられた姿に感動を覚えた。

介護と聞くと、田舎で義母を看てくれている兄夫婦を思う、いつも思う。
365日の介護の日々、義兄には外に出てラージボールをしたり麻雀など楽しむすべはあるけれど、姉に楽しみはあるのだろうかと思う。
「花を育てたり、畑で野菜を育て収穫する、畑にへ行っているときが一番のストレスの解消よ」と言う。
そこに娘さん3人にパートナーが出来、6人みんなが揃う事や、近くに住む娘さんのお婿さんが1人でも寄ってくれることもあると
新たな楽しみなことを話してくれた。
週2回のデーサービス、月一度のショートステイ、あずかってもらっているその時間が、唯一ほっとされる兄嫁さんの時間。
兄のことは分からずとも、身近で毎日お世話される兄嫁さんだけは・・どうか最後まで覚えていて欲しいと、
朝義父の遺影に手を合わせるとき、心の中で願う。

小山さんの細やかな心遣いの献身的な介護、そんな中での楽しみ方、出会う人を大切にされながらご自分の人生をも
豊かなものにと、日々の気配り心配り・・・
本をやめずに長きにわたり購読している不思議は、もしかしたら私の将来の為にと誘ってくれているのか。
時々夫と老いた2人の行く先を話すときがある。
私が先にくたばると以前から夫は言っているが、お互いに腰や膝を労わる現実、どちらになっても小山さんの心の持ち方、
この事がらを活かす事はとても大事だと思った今日である。

大島監督のご冥福を心からお祈り致します。