日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* ちょっとだけ観戦 大阪マラソン ありがとう・・ *

2023年02月26日 | イベント


残念でならないのは、出足が遅かったこと。 NHK放映で府庁前のスタートを見た。
背中にカイロ、マフラー、手袋、ダウン着て万全を期した。 近くなのですぐ行けるTV観戦長すぎた。
知人の娘さんは毎回完走、「今年は気合入れて家族が黄色のシャツに、タイガースのバットで応援するのよ」
みなと通り10㎞の折り返し地点、高校の前で応援と聞いていたので「向かいから写真撮るね」
そう言っていたのに、夫もたもた・・着くも、時すでに遅し。

3年振りの第1回ン。 イベント好きな夫のお陰で、今までほぼドーム前で応援してきたが3年前、
孫娘が中学校で社会勉強と給水場所でボランティアをしたので高校の向かいから写真、応援をここに決めた。 
夫も以前のようには、生き生きはつらつとはいかない。
こう言う時、わざわざ全国から参加して下さっている、ましてや家から近い。 沿道から応援するのが礼儀と。

最初は声を出すにはちょっと年齢的にも勇気がいるが、一生懸命走っているのに黙って見ているのは申し訳ない。 
いえ、自然に声が出てしまう。 大人しかったのに中学は応援団をした。

ゼッケンに添えて、名前や企業名が書いてある方を素早く見て呼ぶ 「○○さーん、頑張って!」「ファイト!」
かぶり物をしている人には「スパイダーマンさーん、頑張って!」 声をかけると、皆さんニコッとされて
手を振って「ありがとう!」と返して下さる。あきらかに私達より高齢の方もおられて「頑張って下さーい!」
折り返し地点なので往路いっぱいのランナー。 ありがとう、大阪まで・・この地点でかなり・・な方もおられる。
大阪に来て走ってくれている、声援を送ると返してくれる笑顔、こちらがありがとう、胸がいっぱいになる。
隣にいた若い女の子が”Fight!”と書いたうちわ若い子は可愛いけど、杖をついたおばあさん、同情票かな?

「応援 ありがとう 感謝!」と自分で布に書いた幕を時折、沿道に向けながら走っている方もいる。 嬉しい。
用意して来てね、感激。 走る人、声援を送る人その一体感。 段々我を忘れ私も声に力が入る。 
本当は恥ずかしいけど、黙って見ておれない。 声を出さずに見ている方が逆に不自然に見える。
1時間もしないうち夫が「もう腰が痛いから帰る」と言う。 後ろ髪惹かれる思いとはこのことだ、ごめんなさい。
反対方向に帰るの申し訳ない気がする。

公式ホームページをさっき見たら、ランナーは29、285人、完走率95.3%、100万の沿道応援とあった。
出会った友人はトップから見ていたそうで、川渕さん見た、鳥谷さん見逃した。MBSアナ川田さんは見た。
観戦・・来るの遅かった!
NHK,・読売テレビ、毎日放送の繋がれたTVの中継を家で観戦。
先日福士加代子さんが、孫娘の通う高校に来たと。男の先生が初めて走ると言う。ダンス部がダンスで気合入れ
エールを送るのである。 孫もちらっとTVに写った。

ちょっとだけでも応援出来て良かった、ランナーと沿道の応援がひとつになって。 
アスリートたちが「応援の声が力強く背中を押してくれた」「元気をもらって走れた」と良く言われるが、完走した
フィニッシュでランナーが同じことを言った。 「3年振り、大阪で走りたかった」と泣きだす男性もいた。
それぞれの完走の感動の感想はこちらももらい泣き。 ありがとう・・は、こちらのセリフである。

ランナーの川渕さんと言えば・・私も過去何度か見たが・・コブクロさんの公式ホームページで拝見した。
マラソン第1回が2011年、2012年に完走、2019年新公式テーマソングを依頼され「大阪SOUL」作成された。

コブクロ「大阪SOUL」

 

「大阪 SOUL」          (公式ホームページより転写)
作詞・作曲:小渕健太郎

歌:コブクロ

作詞:小渕健太郎

作曲:小渕健太郎

発売:2019-12-07 05:16:04

「もう二度と走れない」と 仰向けのまんま空を見てた
目を閉じても消えない 痛みの後にまた湧き上がるもの

「もう二度」とから一体 もう何度目だろう?
靴底がすり減った分だけ 分厚くなってゆく希望

自分の弱さに勝てなかった あの日の
悔しさをバネにして走れ 走れ

涙の中に光る笑顔の 花を咲かそう
誰も見た事のない大きな 夢 大阪SOUL

(愛を咲かそう 君を咲かそう)

自分だけに用意された 宝物が待ってるゴール
たとえそこがスタートと同じ場所でも 強くなれた気がする

手を振りながら 別れ際 君がくれた
言葉を羽にして跳べる 跳べる

一人一人が胸に掲げた 花を集め
俯く君の足元にそっと 愛 大阪SOUL
涙の中に光る笑顔の 花を咲かそう
誰も見た事のない大きな 夢 大阪SOUL

©2019 by Warner Music Japan Inc. & M.C.CABIN MUSIC PUBLISHERS, INC. & MIN


* クリスマス変遷・・ *

2022年12月25日 | イベント


我が家はみんな車でも15分程の所に住んでいた(過去形)息子のお休みが日曜だけなので、クリスマスは日曜。
息子家族は今は、お嫁さんの実家のそばに住んでいる。

4軒が持ち寄って料理、息子は料理人、お嫁さんはパティシエ、毎年クリスマスや誕生日のケーキは買う事はない。
帝塚山のお店で任されて、パンやケーキを作っていたので。 私達はとても幸せだ・・といつも感じた。 

子供たちが考えたクリスマス、私らは招待される。 
メインはおなかいぱいの食後の、サンタさんからプレゼント。 次女の婿がサンタさんの役目である。
いつの間にか部屋からいなくなり、隣の部屋で着替え、あちこちへプレゼントを届けベランダからやってくると言う、
そしてひと言もしゃべらない設定、本当のサンタさんと思っているので、サンタになりきって会話は息子が言う。
小学校になっても不思議そうにサンタさんの顔を見つめながら、ジェスチャーに真面目に答える。 
「いい子にしてたかい?」「はい」固まっている。 プレゼントをもらうと一気に笑顔、大人が一番笑える時間である。
「サンタさんはお父さんやん」分かったのはいつだったろうか。




娘んちに大きなツリーあるので引っ越すとき、処分しようかと思ったが、孫達が大きくなった分かさばるので、
飾る気配もなさげ? なのに2日前「飾らへんの?」ときた。 (え? 私がすんの? ロフトに母登らすんかい)
ツリーに欲しいもの書いて吊ってたなぁ、過去を思い出しながら全員が出かけた後1人で飾った、嬉し気に。


若い時は皆仕事なので行事ごとの料理は殆ど私。 もう世代の交代である。 
今年は有難い事に日曜日、ウィークデーなら私がしてしまうが、日曜は娘たちがしてくれる。 
オーブンで焼くローストチキンだけは、毎年私の役目。 今年は日曜で助かった=! 


孫が大きくなるとリアル、「かんはバレーボールが欲しいと思う」と娘が言うのでネットで注文。
包装してプレゼントしたら大喜び・・部活からの帰宅友達と公園で遅くまでバレーボールしている。
高一の孫娘は夫に聞く「じぃじ予算はいくら?」自分でネット注文。「じぃじ有難う!」 あっさり。
婿から息子へはゲーム買うカード、娘には できるリーダーは、「これ」しかやらない メンバーが・・・・・の本だった。
鹿児島チームには、娘たちと考えてみんなにプレゼント、パパママにも1年間ご苦労さまと、お年玉も添えて。
「ひとりで行ける?」大きな箱を夫がコンビニへ(最近頼むようになり行ってくれる)過保護解禁。
私たちもプレゼント交換をした。 いいよいいよと言いながら、年を重ねてもプレゼントは嬉しい。 
やはり行事、食は家族を繋ぐカテゴリ。 サンタと思っていたことさえ、話しにも出なかった今年のクリパである。

🍰を食べた後、今日までだと言う中之島の・・、大の出かけたい派の孫娘がやいやい言うのでみんな出かけた。
お出かけ大好きな夫のDNAだろう、大の苦手な私は、ひたすら片付ける人。 

みんなが集まる・・食べる・・賑やかに出かける後ろ姿・・それで私は満足。 

 


* 七夕飾りは・・・ *

2022年07月07日 | イベント

 

七夕の日の夜、雨が降っていることは結構あった。 「織姫様と彦星様は会えないね・・」なんて、寂しい雨。 
今年はバッチリ晴れ予想的中、殊の外嬉しい。

7月7日と言うと、我が家では恒例の七夕飾りの行事で嬉しく楽しいイメージ・・だったのだけれど、変わった。
20018年7月7日だった。 西日本に雨による豪雨災害が起こったのだ。 
実家に安否の電話をすると、因島の甥っ子家族が駐車場に土砂、ご近所には浸水の所もあり、因島大橋が渡れる間に・・と、
実家に避難してきたとの事だった。 
広島県でも大きな被害に見舞われた。 身内や島の友人たちも、水の出ない自衛隊さんの給水車のお世話になり、不自由な
食やお風呂など、大変な生活が続き辛い思いをされた年である。
私には衝撃な印象になってしまった七夕の日、この頃雨が降ると(今年は大丈夫かなぁ・・)と、思いだしてしまう。

長女が生まれて二年、あの頃は七夕前になると幼稚園児や小学生がいる家の軒には大抵小さな七夕飾りが飾られていた。
”星に願いを・・(わたしもしよ!) その年からお花屋さんで笹を買ってきて飾るようになった。 

子供の成長に応じて、字を覚え飾りを作るようになり・・そして孫も加わり、賑やかな・・それは楽しい行事だった。
子供たちも我が家では、当たり前の行事として皆で楽しんできた。

三人の子供が結婚して二人になった時「どうする?」と言ったが、止めると言う選択肢はなく、皆車で20分程の距離、
集まって短冊を書いたり、来れない時は届けていた短冊を取りに行き、みんなの願いを飾った。
子供が小さい頃はまだ川や海に流しに行くことが出来て趣もあったが、ある時から禁止になり味気ない七夕流し。

過去のアルバムより、昭和55年7月に三人が誕生日を迎える2週間前、長女四歳、長男二歳、次女十一ケ月の時の七夕の写真があった。 
最初の家の時、第三子・・この日初めて「歩いた~!」 今は、この娘家族と同居生活をしている。

46年の時の流れ・・
年々決まった願い事もあれば、その年の社会や家庭事情が願いになったり、それは家族の変化であったり子供や孫達の成長のあかし。

今年も七夕前夜、夕食後みんなで短冊を書いた。 
みんなしてテーブルを囲み書いている光景を見た時、(これが家族・・)少し胸がジーンとしたと言うか嬉しかった。
実は二人しかいない昼間、夫は一番に短冊を書いていた。 昨年”家内安全”を”家内案全”と書いて皆から大笑いされたので
短冊の漢字を一つひとつスマホでチェックしていたのである。 なんか微笑ましい?

孫娘の ”全国大会で みんなのいい笑顔がみれますように” が現実的で健気だった。
コロナになり帰省できていない私たち ”早く田舎に帰れるように” ”そのうちに80台一発!(ゴルフ)” お決まり以外の夫の二枚。
来れない長女の家庭、鹿児島の長男家族のは代筆で書いた。
”それぞれの家族が 健康で明るく楽しい生活が送れます様に・・”
「明日は一日晴れやから願い届くよ、いっぱい書こう」と言ったので、短冊だらけの今までで一番地味な七夕飾りになった。
孫娘が「明日はお寿司やね!」 そうか忘れてた! 七夕の日はちらし寿司やおそうめん、夏野菜で暑さを乗り切ろうだった。
私も年をとった・・細かいことに気配りが出きなくなった。 検索の達人、孫娘に感謝。

46年間、誰ももういいんじゃない・・と言う者はいなかった。 
ご近所やあちこち見渡しても飾っている家は我が家だけのようだ。
いつまでできるだろうか・・できればずっと、夫と一緒に楽しめます様に・。 

(8日の突然の出来事に更新をためらい、今に至りました)


* バレンタインに寄せて *

2022年02月14日 | イベント


一番下の妹の手作り 「バレンタイン」 因島公園内にあるホテルいんのしま(旧いんのしまロッジ)に飾ってあるそうだ。 
毎月、季節や行事で彩る趣味の、折り紙細工である。 
姉もすぐ下の妹も、三人とも手先が器用、母はとても器用、なのに私だけ不器用。 嘆かわしい・・女らしくない。

白のマーガレットの花のハートの中にポッキーが見える。 スマホで送って来た画像だったけど私、見つけた。
バレンタインに寄せて・・アップする写真、ないので借りた。

昔々から、バレンタインにもらうチョコ、嬉しげに自慢げに喜んで並べていた夫。(えへん!) まるで勲章でももらったかのように。
男性にとっては、チョコが苦手でも、もらうのは嬉しいようだ、たとえ飲み屋のおばちゃんであろうが、義理チョコであろうが。
年々老々、数は少なくなってきた。 しかし欠かさない年中行事、家族だけだけでもあるから嬉しいに違いない。

かつては・・



夫婦あちこ傷みやほころび、膝や腰や腕や手や・・少々向き合っている。
同病相哀れむ・・。 自分に痛みがあればこそ、相手の痛みも分かる・・、良かった。 
が、目が見える、耳が聞こえる、しゃべられる、歩ける。  これが幸せと言うものだ。 
チョコレート、今年ももらえて良かったね、夫。 勲章だよ、家族の為に働いていてくれたんだもの。
家族は贈るよ、いつまでも、バレンタイン。 


 たのしみは 今年も並べて チョコを撮る 夫のゆるんだ 顔をみるとき *


* 感謝感激 三六丑寅会・古希祝いの宴・・ *

2018年05月27日 | イベント

 

   もし二人でバスで出かけていたら、みんなに会えるドキドキやわくわく感で、きっと胸がいっぱいだったであろう。

 長女がホテルに送るよと言ってくれたので、次女は美容院へ予約し、孫たちもみんなで賑やかな見送りになった。
 なので、車の中はわいわいで、ドキドキ感などすっかり飛んでいた。 
 
 5時前にホテルに到着。
 フロントの方がすぐに冷たいお茶を出して下さった。 
 昨日、今日と大阪は30度近くで暑い。  今年初の、少し甘くて美味しいグリーンティーを頂いた。 

 T美が早朝の出発から何度かLINEで現状報告をしてくれていた。
   着くなり電
話が入りバスが遅れているとのこと、みんなに迎えられるはずが、私たちが迎える側になった。

 予定より30分遅れて到着。 
 「わ~ぁ」みんなが次々と笑顔で入って来る、まるで「大阪へようこそ!」と言った感、なんか変。
 手を振ったり握ったり、懐かしい再会である。

 夫とは小学校は違うが、中学でみんなと一緒に学んだ仲、男同士のおつきあい、女性以上に深いものがあるであろう。

 それなりに年を重ねている一人一人、でも変わらない面影が嬉しいなぁ・・一気に心は高揚する。
 85歳になられた恩師、I先生・・みんなに混じってお元気で来られた姿に胸がいっぱいになる。 

 6時の宴会が6時半になったので、それまで別々に部屋で談話。 男性はお風呂に。

 小学校の還暦の祝いの会、中学校の還暦旅行以来、10年ぶりの再会であるが、一瞬にして年月の距離が無くなった。
 懐かしい小学校や中学時代の話に花が咲く。 そしてこの場所に来られない人たちにも、心を馳せる。

 大阪では他に男性のSちゃん、女性のY美ちゃんも参加。 
 即効誰か分かるのに、Y美ちゃんとは高三では生徒会で一緒にやった仲なのにどうしてもあの頃の顔が繋がらない。 
 お仕事でエステやってる・・そっか、それでなんや。 うちもやって欲しいわぁ・・。

 別の部屋のM美ちゃんが、大阪の二人にと、手作りの布袋に田舎のワカメを、手作りのお財布、岩城の芋けんぴを下さった。
 宴会参加歓迎のプレゼントだそうで。 常日頃から彼女はそうらしいが、すごいなぁ、その心遣い、嬉しいなぁ。

   6時半、いよいよ宴会場へ。 
 くじびきで席が決まった。 同席は Tちゃん、Kちゃん、T君Mちゃんの5人。
 Tちゃんを見ると幼稚園のお弁当の時間、あることを言われ泣いて帰った苦い思い出を必ず思い出す。 
 今なら笑い話で終わるが、今更ね・・と言わなかった。
 

 幹事さんの挨拶、責任者、先生のご挨拶、みな「挨拶は短めに!」がついていた。
 大阪在住のSちゃんの乾杯の音頭で”古希祝いの宴”は始まった。



 何を話しても嬉しくて懐かしくて楽しい。 お酒が入ると尚更。
 Mちゃんも私も飲めないので、こういう時は少し寂しい。 趣味や健康、親の介護の話・・色々話は尽きない。 
 
 「同じテーブルになったと言う事はどこかで繋がっとるんよのう」Kちゃんが私と同じこと思っていた。
 いきなりの縁でも、きっと共感したり、教えられることがあるように思う。 
 
 同級生夫婦だったMちゃん、旦那様が亡くなられている。 同じ地域だったのでMちゃんとは良く行き来していた。
 「二人の人が羨ましいわ・・一人は寂しいよ」しみじみと言われる言葉に、胸が詰まった。
 夫にもっと感謝しなくては・・少しでも長くいられるように・・彼女の言葉は私にそう思わせた。
 
 Kちゃんの長男さんは鹿児島で所帯を持っているとか、我が家と同じだ。 
 あちらのご両親が孫の成長が楽しめるし、男手がない分助かるしおすそ分けそう思えば・・「ほうかのう・・」 

 夫にみんなを撮ってよと言っていたので回っていたが、でしゃばったらあかんからと思っていて控え目だった。
 還暦旅行では、夫と写真を撮って全員へのメッセージ入りでデジブックを作成、希望者にDVDをプレゼントさせてもらった。
 今回は途中参加なのでせめて今夜の写真だけでもと思っているが、感激で手が震えた?映りが良くなくて申し訳ない結果。

 恩師に夫を紹介させて頂くつもりでいた。 T美が「はよ行き」と催促、同じこと思ってくれて有難いなぁ。 

 先生に夫を紹介すると「K次さんじゃろ」そう言ったので夫は驚いていた。 
 後で夫は、「なんで知ってたんかなぁ、会うと思うて、ちゃんと下調べしてるんや、すごいなぁ」と言った。 
 
 昔の先生はそうだったが、特にI先生は、生徒の家の事情もまるごと抱えて下さり心ある熱血教師だった。 
 私も、母が身体が弱かったり色々な家庭の事情があったりで、良くアドバイスして下さった。
 私が生きる中で、人生を変えてくれた人十人の中にいる存在である。
 「あんあたはいつもそう言うてくれるが・・」と言ったけれど、本当に感謝をしている。 

 男子は先生が宿直の時に遊びに行ったり、クラスのみんなを家に呼んで奥様のおぜんざいを頂いたり心いっぱいだった。 
 もう、恩師で年賀状のやりとりが続いているのは先生だけである。
 
いつも印刷の挨拶のそばに、変わらない達筆で、折々に見合う言葉を必ず添えて下さっている。

 奥様をなくされてお一人住まいだけど、ひと回り小さくなられている気がするけれど、T美やU子も良く
地域の役でお会いするので、離れていても続いている三人娘(先生は三馬鹿と言う)縁を喜んで下さっている気がする。

 昨年の秋彼岸二人で帰省した時、島の懐かしい場所をあちこち思い出を辿りながら車で回った。
 先生の家のそばも通った。
 夫には先生の事を良く話しているので「行って来いや」と言ってくれたが、咲いていた彼岸花だけを撮った。

 良かった。 先生と言葉が交わせて。 夫も紹介できたし。 
 「それでは先生、お元気で」 先生は少し小声で「みっちゃんなぁ、ちょっと痩せや」肩を叩いて言われた。


 最初から参加していたら、カメラ係と認識して撮り回ったと思う。 小心者で、気になりつつ撮るのならしっかりと・・
 そう思いながら、料理がくると撮っては、カバンにしまったカメラ。 
 
 撮り忘れもあるが、献立の中に自分で作るおだしで食べる明石焼きが一品にあったのが、大阪に来た感いい演出だった。
 Mちゃんと「おなかがいっぱいやね」と言いながら私は完食。 美味しい料理だった。 

 U子がお役なのか、最後に”瀬戸田音頭”をみんなで踊ることになった。 歌詞カードも用意してくれている。
 過去の役職もあり何処でも率先してやれるいい性格だ、実に羨ましい。 
 
 踊りなんて私や夫の大の苦手分野だけど、同級生と言う親近感はそんな気持ちを払拭、なんの躊躇もなく
さっと輪に入った自分を意外に思った。 

  同級生・・活躍していようがなんであろうが、小学生時代からを知っている訳で、誰がどうあろうと私が
デブッチョでも気を使うことなく、あの頃のお互いに戻れると言う気安さ。 いいなぁ・・。
 
 年を超えた同窓会はそうはいかない気がする。 
 夫が、高校のそれに近くのホテルだったので参加した時「もう、行かへん」と言った。 
 知らない人の多いこと、年の差、プライド、面白くも何ともなかったそうだ。 

 みんなが輪を作り踊る宴、和やかな盛り上がりで終わったいい宴、企画だった。
 おとなしい私は、自分の席から離れることはなかった・・何人か言葉をかけに来てくれたが、せっかくなのに
今度いつ会えるか分からないのに、大阪ならばこそ会えたのに、みんなに声をかけてお礼を言えば良かった・・悔い。

  明日の予定が、”あべのハルカス” ”なんばグランド花月”と言うこともあり、宿が道頓堀だったのだろう。
 宴会の後カラオケに・・と繰り出したが、夫はせっかくなので、タイガースが優勝で飛び込む橋、グリコのネオンは
見とかなあかんやろうと、案内した。
 日曜と言うこともあって、観光客に一番人気の道頓堀はすごい人。 「やっぱり都会じゃのう・・」

 道頓堀へ来たら、法善寺横丁に、そして水掛け不動さんへお参りしないとね。 
 「お賽銭百円以下はあかんで」 みんなを笑わせながら夫は言った。
 せっかくならみんなを連れて行ってあげたい、家でそう言っていた夫の気持ちが伝わった。

 (この翌朝T美が行ってない人を誘って、7時半の食事の前に、水掛け不動さんへお参りしたよ」と月曜電話をくれた)

 ジャンカラ、カラオケへ。
 誰がうまいとかどうとか知らないけれど、マイクを持つと(わ・・ぁ)と、びっくりしたり。
 人が変わるなぁ。 笑って笑ってなんと楽しい1時間半。 

 普段歌わない夫も、歌うならこれしか・・”岬めぐり” ”宗右衛門町ブルース” 二曲もいってびっくりした。
 
 11時前「バスの時刻表見て」と次女に電話した時、次女は私と夫に「もうバスないので迎えに行くからゆっくりして」
と電話、LINE入れていたと言う。 以心伝心、やっぱり親子やなぁ・・すごい偶然。


 ホテルの前まで迎えに来てくれて、みなさんにもお礼を言ってくれた。 
 ありがとう、みなさん。 さようなら、次は喜寿に会おうと言う、うん、会おうね!

 バンザイ・・同級生、ありがとう、古希祝いの宴。 さぁ、どうやって写真を編集して送ってあげようか・・。
 夫と同郷、同級生で良かった。 知り合って56年、人生の金婚式を終えている、すごい。
 共に生きて共有できる思い出は多く重なっている訳で、そしてこれからも楽しく?重ねていける訳で・・。