徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:大友茫人編、『徒然草・方丈記』(ちくま文庫)

2016年02月05日 | 書評―古典

大友茫人編の「徒然草・方丈記」(2012年第三刷)はちくま文庫の「日本古典は面白い」シリーズ第5巻で、現代語訳→原文→語釈という流れで構成される古典入門書。角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス日本の古典」シリーズに比べて、ややお堅い感じがします。恐らく語釈に含まれる文法的解説がそういう印象を強めるのではないかと思います。編者によれば、この徒然草と方丈記は二大思想書として並び称されるが、二つを同列に並べることは本来できないということを読者にも理解してもらいたいので、二作品をまとめて比べられる形にしたとのことです。

私の古典の知識というのはせいぜい日本の高校の授業で習ったレベルですので、徒然草も短い序段の「つれづれなるままに日暮らし硯にむかひて、心にうつりゆくよりなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそもの狂ほしけれ」だけしか記憶に残っていませんでした。
それでも自分のブログのタイトルに選んだのは、このブログが何か決まったテーマを持っているわけでもなく、それこそ「心にうつりゆくよしなし事」をなんとなく書きつけようと思ったからで、それはそれでぴったりだと自分でも思っている次第です。

作者はずっと吉田兼好だと思っていましたが、実は本人がそう名乗ったことは一度もないそうです。出家前は卜部兼好(うらべかねよし)、出家後は兼好(けんこう)という法名を名乗っていたので、法名の方を採って「兼好法師」とするのが正しいのだそうです。ただ彼の実家(卜部家は神祇官の家柄で、吉田神社の社務職を世襲)が後世に吉田姓(吉田に分家した卜部氏だったので)を名乗ったために、それが兼好法師にまでさかのぼって「吉田兼好」と言われるようになったのだとか。まあそいういうこともありますよね。

作品自体は本当にとりとめがないので、感想も段によってだいぶ違います。全体的には、どちらかと言うと共感できない段の方が多いように思います。彼の女性観や俗人に対する考え方などは反感すら抱くほどです。出家した人ですし、男性ですから仕方ないと言えばそうなのかもしれませんが、世の中誰もが出家してしまえば社会が成り立ちません。食べ物を育てたり、採取したりする生産者がいて、その食べ物を運ぶ人がいて、またそれを売る人がいて初めて非生産者は食べ物にありつけるわけですし、服や家財道具などなども同様のことが言えます。出家者が自給自足してるわけではありませんから、世俗の多くの方々の働きに依存しているという自覚を持つべきだと私は考えるのですが…
兼好法師の女性観は、特に真新しいことなどなく、男尊女卑の日本社会、女性蔑視の仏教の考え方を踏襲したものと言えるでしょう。キリスト教でもそうですが、禁欲しなければならない男性は自分の性欲を抑えるために余計に女性敵視するのではないかと思われます。自分が油断すると誘惑されてしまうから、己の心の弱さを棚に上げて、「女は男を誘惑し、悪の道に導くから悪」みたいな勝手な言いがかりをつけているとしか思えません。こういう男性は相手にするに値しないと思います。

強く共感したのは例えば吉日・凶日について述べた段で、「吉日であっても悪を行えばそれは凶だし、悪日に善行をすればそれは吉だ。吉凶は人によるもので、日によるものではない」という主張です。

その他、「学識を誇らず」、「人と争わない」、「分を知れ」などの日本的道徳観や仏教の諸行無常に根差したものの見方など。「まあそうだよね」と同意できることもあれば、「まあそういう見方もできるね」、「人それぞれじゃない?」あるいは「好みの問題では?」と思うものもあれば、反感を抱くものもありました。

 

方丈記は高校の時に序文の「ゆく河の流れは絶えずして~」から「消えずといへども、夕べを待つ事なし」まで暗記・暗唱させられました。

作者の鴨長明は俗名、出家後の法名は蓮胤で、作品にも法名で署名してあるらしいのですが、なぜか俗名の方が通り名になってしまったようです。彼の実家は加茂御祖(かものみおや)神社、通称下鴨神社の禰宜の家系だとのことで、上の兼好法師と似たような家庭環境だったのでしょうか?130年ほどの時の隔たりはありますが。

方丈記はとても短く、【思想書】とするにはちょっと抵抗を感じます。諸行無常の思想に貫かれ、それをまさしく顕現していると思われる事象、<安元の大火>、<治承の辻風>、<福岡遷都>、<養和の飢饉>、<元暦の大地震>の記録を書いている一方、厭世観や出家について、庵・閑居住まいの心地よさなどを記してます。無常観、厭世観は結構ですが、ご本人は飢え死にや地震や大火で苦労することも死ぬこともなくのんびり隠居できてよかったね、という感じです。

内容はともかく、文章は徒然草よりも格調高く、美文と言えると思います。よく推敲された結果のそれなりに技巧を感じさせるまとまりのある文学作品という印象です。徒然草の日記らしいとりとめのなさとは対照的ですね。でもどちらもどこがどう【思想書】扱いできるのか甚だ疑問です。

好みの問題としては、まあどちらも私の好みではないですね。