徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:エラリイ・クイーン著、宇野利泰訳『Yの悲劇』(ハヤカワSF・ミステリebookセレクション)

2019年01月20日 | 書評ー小説:作者カ行

エラリイ・クイーンの『Yの悲劇』(1933)は文藝春秋の東西ミステリーベスト100(2012)で第2位にランクインしている作品で、作品時間は『Xの悲劇』の翌年ということになっています。なぜYの方がXより人気があるのかは理解しがたいところです。

あらすじ:狂気じみた富豪のハッター家の当主ヨーク・ハッタ―の死体がニューヨークの港から発見され、その後一族の中で次々と奇怪な惨劇が起こる。先ず三重苦のエミリー・ハッター夫人と前夫の娘ルイザが毒殺されかかる。サム警視の依頼を受け、ドルリイ・レーンは捜査に協力することになり、すると今度はエミリー・ハッターが殺害され、同室で眠っていたルイザのために用意されたなしの一つに毒が注入されていた。狙われたのはまたルイザで、エミリーは偶発的に殺されただけなのか?当主ヨーク・ハッタ―は化学者であり、屋敷の中に実験室を持ち、様々な毒薬も薬品棚に保管してあり、彼の死後は実験室は厳重に閉ざされ、鍵はエミリー夫人に管理されていたが、犯人はなんらかの方法でそこに忍び込んで毒薬を持ち出していた。

家族全員が何らかの精神的・身体的異常を持つハッター家という設定も異常ですが、事件の真相と犯人はさらに驚くべきもので、ドルリイ・レーンが公式に真相を明かすことなく捜査から撤退してしまうところも異様です。もちろん真相は最後にサム警視とブルーの地方検事には明かされますが、そのまま公にしないことを捜査官たちは了解することになります。

最後に残された謎は、犯人が自分の仕掛けた毒を飲んで死んでしまったことが、単なる当人の誤りであったのか、あるいはそこにすべてを見通していたドルリイ・レーンの作為が働いていたのかということです。恐らく作為が働いていたのでしょうが、そこを明確にすると捜査官としてその犯罪を見逃すわけにはいかないので、あえて追及せずに退場することが社会公正のためには得策であるとブルーの検事は判断したということなのでしょう。そこらへんは倫理的に難しいところだと思います。1930年代という時代背景を考えれば、それも「あり」かなと考えられなくもないですが... 社会は精神異常者とどのように向き合うべきかを問いかける作品であると思います。

「犯人像は現代であれば容易に想像がつく」ということを根拠に『Yの悲劇』を古臭いと断じ、名作ミステリーの上位を占め続けることに疑問を持っている方もおられるようですが、本当にそうでしょうか。確かにネタバレになりますが「低年齢」の犯罪であるということに関しては、現代では当時ほど信じられないような意外性という者がないかも知れません。しかしながら、純粋にこの作品のストーリー展開の中で提示される内容から読者が真犯人に辿り着けるかどうかといえば、必ずしもそうではないはずで、それこそが探偵小説の神髄であり、そこが崩されていない限り探偵小説としての質は損なわれていないと言えます。受け取る側の印象が当時と今とでは変化しているのは当然のことです。それでも「古い」の一言で一蹴できない魅力があるのが「名作」であり、それは多くの名作とされる文学作品(例えばこの作品で何度も引用されているシェイクスピア作品など)に共通する特性ではないでしょうか。


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