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徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

抗がん剤の副作用(がん闘病記4)

2017年08月13日 | 健康

8月8日に半日がかりで抗がん剤の点滴を受け、その後3日間殆ど寝ている状態でした。食欲はそれほど減退していなかったので、食事に起きて食べ始めるものの、少し経つと体が猛烈にだるくなり、ベッドに戻って横になり、少し寝て、また起きて少し食べてはまた横になる、を繰り返していました。

幸い副作用を抑えるためにもらった薬(Emend、MCP)がよく効いていたようで、吐き気や嘔吐に見舞われることはありませんでした。2日目だけ便秘になったので、必要になったら飲むようにと渡されていた Movicol を服用して何とか解決しました。それ以降は便秘になってません。

3日目は起きてる時間と寝てる時間が半々くらいでしたが、夜になって急に寒気がし出し、熱が出て、足首の関節が「うぎゃー」と叫んでジタバタしたくなるほど傷んだので、がん専門クリニックの緊急ホットラインに電話し、鎮痛剤のイブプロフェン(Ibuflam 600)を飲んでいいか相談しました。この関節痛は Paclitaxel という抗がん剤の副作用の一つだそうです。

その夜はイブプロフェンのおかげで関節痛も収まり、熱も下がりました。

翌日も関節痛があったので、イブプロフェンを飲み、また足首にサポーターを着けてしのぎました。この日は一度も日中に横になることなく起きていられました。比較的元気で、長らく放置していた二つの水槽の手入れをすることもできました。もちろん重労働は厳禁なので、色々とダンナに助けてもらったのですが。

小さい方の水槽(80cm)にはナマズがいるので、ガラスはきれいなまま。水草を切り、水を換えるだけでOKでした。

大きい方の水槽(100㎝)にはガラスの藻を食べるナマズがいないため、一面藻が繁殖し、ちょっとこすったくらいでは落ちないので、それはまたの機会に回しました。中にいる魚にとってはどうでもいいことなので。こちらは水替えではなく、蒸発した分を補う水を入れ、フィルターの洗浄をしました。

 

ゆっくり時間をかけて水槽の手入れをしたつもりでしたが、終わった時は疲労困憊でダウンしました。ちょうど鎮痛剤の効果も切れたみたいで、足首がまたひどく痛み出しましたので、再度イブプロフェンを服用。

この日(8月12日)まで吐き気を抑える薬 MCP を一日3回食事の30分前に服用することになってましたが、朝飲んだきり忘れてしまってました。でも3食問題なく食べられました。

しっかり食べているつもりでしたが、この時点で抗がん剤投与から3kg痩せてました。手術前と比べると6kg減です。

今ある副作用は足首の関節痛のみです。起きていられる時間が増えたのはうれしいのですが、関節痛は厄介ですね。

また、副作用ではないですが、CVポート埋め込み手術の手術痕がまだ少し傷みます。更にシャワーを浴びる際に傷口を守るために貼ったシャワー用絆創膏にかぶれてしまい、結構かゆいです。私の肌は通常バンドエイドにかぶれるようなやわな肌ではないのですが、これも抗がん剤によって肌の細胞が不調になってるのかも知れませんね。

  

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唐突ながん宣告~ドイツの病院体験・がん患者のための社会保障(がん闘病記1)

化学療法の準備~ドイツの健康保険はかつら代も出す(がん闘病記2)

化学療法スタート(がん闘病記3)

書評:Kelly A. Turner著、『9 Wege in ein krebsfreies Leben(がんが自然に治る生き方)』(Irisiana)


化学療法スタート(がん闘病記3)

2017年08月08日 | 健康

今日はいよいよ化学療法開始。副作用の酷さにビビりながらがん専門クリニックへ行きました。

先週埋め込み手術したCVポートが初めて使用されました。ポートに針を刺していいのはがん専門医のみで、下手な助手が扱うものではないことに安心感はありましたが、それでも「試し打ち」されてしまいました。教授の称号を持つドクターが事に当たりましたが、助手の用意した針が短すぎてポートに届かなかったのです。これはかなり痛かったです。
長い針を使ってなんとかポートに到達したようでしたが、中の水分が多すぎるとかで、そこから採血することができず、結局助手が従来通り腕の静脈で採血する羽目になりました。ここでも「試し打ち」されちゃいました。2回目のトライでもいまいちあたりが悪くて血の流れが悪かったのですが、なんとか採血できました。こういうことを避けたかったからCVポートを埋め込んだんですけどねえ。。。

投薬は下の写真のような投薬プランに沿って行われます。

I Akynzeo 300mg⇒吐き気・嘔吐抑制剤

II Dexamethason 8mg⇒ステロイド系抗炎症剤

III Paclitaxel (パクリタクセル)300mg⇒抗がん剤

IV Carboplat(=カルボプラチン)500mg⇒抗がん剤

V 生理食塩水 100㎖

VII Emend、MCP、Movicol N2(便秘薬)

IとVIIの薬は錠剤・粉薬として手渡されました。Akynzeoは1錠だけしか入っておらず、その場ですぐに服用するように言われました。

 

治療手帳(Therapie-Pass)も渡されました。来院のたびに持参しろとのことです。

中味は血液検査と投薬の記録です。

クリニックに行ったのは12時半でしたが、出てきたのは午後5時半でした。初めは混んでいた点滴ルームも最後は私一人でした。速い人はトータル30分位の点滴で済んでしまうようです。 

私の場合は、パクリタクセルという抗がん剤の点滴だけに3時間かかるので、その他もろもろの投薬でトータル4時間強になってしまいます。しかしそれは毎週のことではなく、3週間に一度だけです。来週は血液検査のみになります。

まあ、とにかく4時間することがないので、スマホもeブックも持ち込んで暇をつぶしましたが、うたた寝している時間もかなりありました。

全部済んだ時にはわずかな眩暈があり、迎えの車まで歩くのがかなり億劫に感じられました。とにかくひどい眠気があり、帰宅後すぐにベッドに倒れ込むように爆睡しました。2時間ほどで目は覚めましたが、だるさは取れず、あまり長いこと座っていられませんでした。

食欲は普通にあり、夕食後はだるさも随分なくなり、こんなブログ記事を書けるほどには回復しました。

若干耳鳴りがあるような気がします。いまいち定かではないのですが…

 

こうやって、自分の病気のことをオープンに書いているとたくさんの方から励ましの言葉や有用なアドバイスを頂きます。このようなポジティブな社会的つながりは幸福ホルモンの分泌を増やし、免疫力を高める効果があるとケリー・ターナーの『がんが自然に治る生き方』のも書いてありました。本当にありがたいことです。

最も中には「切除、放射線、化学療法は主流ですが延命効果はない」などとわざわざコメントする方もいて、不快感を感じずにはいられません。延命効果のあるなしは癌の種類や治療開始時のステージなどによって大きな違いが出ることは確かで、抗がん剤は逆にがん再発を招くこともあるという所見もありますが、だからと言って全般的に「延命効果はない」と断定するのは非科学的でしょう。それは多くのがんサバイバーの方たちが存在すること、そしてその人たちが必ずしも代替療法を受けたわけではないことからも明らかです。

そういう間違った所見をわざわざ現在進行中で化学療法を受けているがん患者に伝える意味とは何でしょうか?ただの自分の意見の押し付け、「知識」の押し売りではありませんか?

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唐突ながん宣告~ドイツの病院体験・がん患者のための社会保障(がん闘病記1)

化学療法の準備~ドイツの健康保険はかつら代も出す(がん闘病記2)

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化学療法の準備~ドイツの健康保険はかつら代も出す(がん闘病記2)

2017年08月06日 | 健康

今週は、来週から始まる化学療法のための準備に費やしました。7月31日にがん専門クリニックに初面談に行き、治療期間とか副作用とかそういったことを話し合いました。
「抗がん剤は点滴にするけど、静脈はどんな感じ?」と聞かれたので、「細くて隠れてるので、採血も点滴もよほどうまい人でないと一発でうまく針が入らない」と言うと、「ではCVポート(Portsystem)にしましょう」と方針決定。これは中心静脈カテーテル(Zentralvenöser Katheter)の一種で、日本語の正式名称は【皮下埋め込み型ポート】というようで、上の写真のようなものです(詳しくはこちら)。

というわけで、がん専門クリニックからマルテーザー病院に戻り、手術および諸々のリスクについての説明を受けた上で同意書にサインし、翌日8月2日午後に日帰りで手術を受けました。午前11時に病院に来るように言われ、手術待機室に連れて行かれたのが12時過ぎ。手術室に運ばれたのは午後1時半頃でした。救急患者が搬送されてきたりするので、仕方がないと言えば仕方ないのですが、もうちょっとどうにかならないかなと思わずにはいられません。

埋め込み手術が終わり、目覚めルームで目を覚ましたのは午後2時半くらい。ポートが正しく設置されているか確認するためにそのままレントゲンに回されました。

短期間に3度目の手術となりましたが、これは前回2回の手術と比較にならない程、麻酔覚醒後に強烈な痛みを感じました。吐き気などの麻酔の副作用などは一切なく、ただただ痛かった!「こんなに痛いなんて聞いてない!!!」と文句を言いたくなるほど痛かったです

まずイブプロフェンの錠剤をもらいましたが、全然効かなかったので、待機室に戻ってからNovalginの点滴を3本入れてもらって、漸く我慢できるレベルまで下げることができました。そして執刀医および麻酔医の問診を受けて晴れて午後8時に病院を出ることができました。

翌8月4日に、またコントロールのために病院に行き、例によって例のごとく散々待たされた後に短い診察を受けて、絆創膏を交換してもらいました。それだけのことに4時間つぶれ、どっと疲れが出て、帰宅後はふて寝しました。

さて、多くの化学療法同様、私の受けることになる化学療法も頭髪を失うことになるのが確実なので、がん専門クリニックで頭髪喪失証明証兼かつらの処方箋を発行してもらいました。私の方から何か働きかけたわけでなく、全くのルーチンワークのようでした。

このかつらの処方箋を持ってかつらショップに行けば、健康保険にかつら代を出してもらえるわけです。通院のタクシー代とかは知ってましたけど、かつら代にはさすがに驚きました。

がん専門クリニックの看護師さんの話では、髪が落ちる前にかつらショップに行った方がいいとのことだったので、早速金曜日に行ってきました。

何事もポジティブに考えて、楽しもうと心がけているので、もちろんかつらショップでも少々遊ばせてもらいました。

   

金髪も意外に似合うと評判でしたが、選んだのは手入れの簡単な無難なショートカット。

総額は575ユーロで、健康保険は最高404.60ユーロ出してくれます。私は自己負担分の170.40ユーロをその場で払いました。残額はショップと保険の間で直接清算されることになっています。

かつらに出してくれる金額は保険によって違います。404.60ユーロというのは法定健康組合数社の限度額です。


今週はマルテーザー病院から入院費の請求書も来ました。

11日間の入院で、トータル110ユーロです。もちろんこれは自己負担分のみの請求で、実際の入院および手術費用の総額は不明です。民間保険であれば、総額の請求が患者に来ますが、法定健康保険組合の場合は請求が保険の方に直接行ってしまうので、費用に関して患者は蚊帳の外です。この点は、「医療費はタダ」のような誤った感覚を冗長させるという批判もあります。私自身も請求書のコピーくらいは欲しいなとは思います。ただの好奇心からですが。

それでも「医療費はタダ」などと思ったことは一度もありません。なにせ毎月約680ユーロが健康保険料として支払われていますから。私の負担分は361ユーロで、残りは雇用者が払っているわけですけど、年金保険料に次ぐ大きなポジションです。

 

ところで、がん専門クリニックに行った翌日にクリニックから私の主治医宛の手紙のコピーが届きました。CVポート埋め込みの件と8月8日から化学療法が開始される旨を知らせるものでしたが、その後に「稀に臓器損傷、生命の危険または死に至ることがある」とまるで何でもないことのようにさらっと書いてあってびっくりしました( ゚Д゚)

確かに、インフォームドコンセントでそのようなリスク諸々について知らされていましたけど、患者用資料は補足的な説明が多く、不安にはなっても、かえって本質的なリスクを把握しにくい面もなくはないと思います。

しかし医者同士のやり取りではそうした「盛り」が一切削ぎ落とされ、端的な事実が言及されているわけです:臓器損傷、生命の危機または死(Organschäden, Lebensgefahr und Tod)。これはかなりぐっさりと心に刺さりますね。しばらく言葉を失っていました。

しばらくして「稀に」という言葉に一種の希望を見出して、気持ちを立て直した次第です。なかなか心の平静を保つのは難しいですね。

 

退院してから一週間以上になりますが、毎朝の血栓症防止注射 Clexane を自分で注射することにまだ慣れずに試行錯誤を繰り返してます。

刺す場所や角度によって痛みが強かったり、青あざが大きくなったりするので、難しいです。

太腿はもう注射跡だらけ。あと5週間がまん。

 

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唐突ながん宣告~ドイツの病院体験・がん患者のための社会保障(がん闘病記1)

書評:Kelly A. Turner著、『9 Wege in ein krebsfreies Leben(がんが自然に治る生き方)』(Irisiana)


唐突ながん宣告~ドイツの病院体験・がん患者のための社会保障

2017年07月26日 | 健康

唐突ですが、10日ほど入院していて、今日(7月26日)退院しました。最終的な診断書と治療方針などを含む紙の束を抱えて。

(がん患者のための社会保障は記事末尾にまとめてあります。)

診断から手術まで

事の起こりは6月12日にかかりつけの婦人科にがん予防定期検診に行ったことでした。そこで例年のごとく超音波検査を受けたのですが、ドクターが画像を見ながら「うーん、これは全く気に入らない」とかなり長いこと唸っていたので、何かと思ったら、前回(15か月前)には影も形もなかったのに、いきなり3cmの子宮筋腫(Myom)ができていると言うのです。通常子宮筋腫というのは良性で成長も遅いものです。何年もかけて数ミリ成長するのが相場なので、15か月以内に3cmは確かに異常な成長率です。私は2年前に既に子宮筋腫で子宮掻爬術(Abrasio des Corpus uteri)を受けており、今回は再発なので、子宮切除を勧められました。

「子宮の切除」などいきなり受け入れられるわけもなく、セカンドオピニオンを聞きたいと思いまして、とある超音波診断専門医を紹介していただき、早速予約を入れて、6月19日に診察を受けました。その女医さんも「子宮切除」に関しては同意見で、「子宮筋腫ばかりでなく、子宮内膜の様子も変」という所見を出し、3週間以内に何らかの処置をとるように強く勧められました。

その診察の帰りにまたかかりつけの婦人科に戻り、診断書を渡すと、「既にファックスが届いてる」と言われて、驚きました。とにかく緊急性が高いので、翌朝に診察に来るように言われました。

翌朝にその婦人科へ行くと、子宮切除に関する意向を聞かれたので、切除に同意しました。希望する病院があるかどうか聞かれたので、それはないと答えると、その婦人科医は「マルテーザー病院がいい」と言って、彼の助手に病院の予約を電話で入れるように指示しました。電話でその助手が病院に断られそうになっているのを見て取るや、自分で受話器を取り、私の診断と緊急性を説明して、なんと翌日に予約を「ねじ込み」ました。やはり緊急性があると扱いが違うのだな、と驚きました。ドイツでは病院などの予約を患者自身が入れようとすると場合によっては数か月先になってしまうこともざらにあるからです。

さて、翌6月21日に、そろそろ病院へ行く支度をしようかと思った頃にかかりつけの婦人科医から電話があり、子宮頚の組織検査の結果が「悪性腫瘍」だったことを知らされました。その最新の診断結果もマルテーザー病院の方へファックスしてくれました。それで実際に病院へ行ってみると、確かに書類は全部届いてましたが、それでも私が一から説明することからは逃れられませんでした。要するに書類整理がまだできてなかったみたいですね。

とにかくそこでも超音波検査を受けました。その際マルテーザー病院婦人科の医局長が自ら立ち会っていたのですが、画像を見ながら「子宮内膜がん(子宮体がんともいう)みたいだね」と軽くのたまりました。その診断そのものにもびっくりでしたが、なぜそんなすぐに予想が立てられたのかそのことにも驚きました。同じ超音波検査なのに、機械の精度の違いなのでしょうか。経験の違いもあるかもしれません。

というわけで診断は「子宮筋腫」⇒「子宮筋腫+子宮内膜病変?」⇒「子宮筋腫+子宮内膜がん?」と発展しました。

まずは本当にがんであるかを確認するために、子宮掻爬術(Gebärmutterausschabung, Abrasio des Corpus uteri)で子宮内膜を採取することが決定し、その手術を6月26日に受けました。この時は入院ではなく日帰りでした。24時間は車の運転をしてはいけないことになっていたので、ダンナに迎えに来てもらいました。

この手術で掻き出した子宮内膜の組織検査の最終結果を聞いたのは7月6日のことです。「子宮筋腫+子宮内膜がん?」の「?」が取れて診断が確定しました。ステージはまだ不明でしたが、悪性度はG2(通常の速さで増殖)とのことでした。

他器官への転移がないかを調べるためにその翌日にCT検査を受け、「転移なし」の結果が出たので、7月16日入院で、17日に卵巣・卵管を含む子宮全摘手術が決まりました。術式は基本的に腹腔鏡手術(Laparoskopische Chirurgie)で、場合によっては開腹手術に変更になることもある、とのことでした。また切除部位も術中に変更することもあるとか、あれやこれやのリスクがあることを詳細にわたって知らされ、「そのリスクを全て了解した上で手術に同意しますか」と聞かれて逃げ出したくなりました。「インフォームド・コンセント」のドイツ版です。

どんなに確率の低いリスクでも、症例があれば全て言及するのがドイツ式です。こうなると患者の意思の尊重ではなく、病院や医師を訴訟などから守るためのものと言えます。患者には余計な心配が増えるばかりです。心配や不安が強まると免疫力が低下するので、治療的観点から見るとこのドイツ式インフォームドコンセントは全くマイナスにしかなりません。「知らぬが仏」って言葉あるよなあ、と考えながら、同意書に署名しました。

フランスでは、患者が質問すれば医師も詳細に答え、質問が無ければ特に言及しないそうです。お国違えば… ですね。

そんなこんなでビビりながらも16日の夕方に入院しました。

 

病室は2人部屋で、取りあえず私一人でした。

病棟にはテーブルと椅子が置かれた広いベランダがあり、病室よりはちょっと開放感があります。

このマルテーザー病院は「森の病院」という別名があり、本当に森に囲まれているので、環境はいいと言えますが、入院してしまえば、周りが森でもあまり関係なくなりますよね。

お昼以降は食べてはいけないと指示されていたので、お腹ぺこぺこなのを水を飲んで誤魔化してました。手術前の処置として血栓症(Thrombose)防止用注射(Clexane)を受け、浣腸もされました。

そして翌朝9時少し過ぎに手術室に搬入され、病室に戻されたのは夜の8時過ぎでした。手術時間は正味9時間ちょっとだったようです。腹腔鏡による卵巣・卵管を含む子宮全摘(Totale laparoskopische Hysterektomie mit Adnexektomie beiderseits)だけで約1時間半、リンパ節郭清(Pelvine und paraaortale Lymphonodektomie)も含めておよそ4時間の手術と予想されていましたが、術中に卵巣への転移および子宮の外側の腹膜にもがんが見つかったため、急遽大網膜も切除する(Omentektomie)ことになったのでした。大網膜は血管や神経が集中する繊細な組織なので、慎重に扱う必要があり、そこに最も時間がかかったようです。

手術後に患者は「覚醒室(Aufwachraum)」とでもいうのでしょうか、そういう特別な部屋に運ばれて、麻酔から覚めるまで厳しい観察下に置かれます。麻酔から目覚める時、多くの人が吐き気を催したりしますが、私は過去2回とも何事もなく目覚めたので、事前問診でそのように回答してあったにもかかわらず、今回はものすごい吐き気に襲われ、担当の看護師さんが驚いていました。ともかく吐き気に効く薬を注射され、酸素チューブを装着されました。私はその時眠りたくて仕方なかったのですが、「病棟からの迎えが来るまで起きてて」と体をゆすられて何とか覚醒状態を保ってました。ここからは起きた患者さんしか病棟に引き渡せないことになっているんですね。

病室に戻ったとき、のどがカラカラで辛かったです。

ダンナが手術にかかった時間やおおよそ何が行われたのかを説明してくれましたが、うつろな意識でそれを聞きながらあっという間に眠りに落ちてしまいました。看護婦さんたちにもいろいろ質問されたような気がしますが、何をどう答えたのか覚えていません。

手術後の経過

翌日は看護婦さんたちに支えられながらベッドから起き、1回立ち上がっただけで、後はずっと寝てました。食べていいとは言われましたが、殆ど食べられない状態でした。冷や汗をかいて眩暈がするなど循環器系の問題がありました。

二日目も似たようなものでしたが、立ち上がるだけではなく、病室の中を少し歩かされました。

三日目に尿カテーテルが取れて、一人でトイレに行けるようになり、大分不快感がなくなりました。食事も少しできるようになりました。鎮痛剤も点滴から錠剤(イブプロフェン400)に切り替わりました。この日、従手リンパドレナージの施術も受けました。

四日目にはドレーンも取れてすっきりし、トイレばかりか病棟の中を歩き回れるようになれました。でも非常に疲れやすく、食欲も余り回復してませんでした。

五日目から出されたものが完食できるようになり、このあたりから自分でも分かるほど回復してきました。因みに病院食は下の写真のような感じです。

パン食は朝晩出され、昼食だけが温かい食事になります。私のはベジタリアンメニューでした。朝晩同じようにラクトーゼフリーのチーズが続き、見るのも嫌になりましたよ。この日は車イスを借りて森に散歩に行きました。まだ一度にたくさん歩けなかったため、車いすに座って押してもらう時間の方が長かったのですが、新鮮な空気が吸えてよかったです。

六日目はもう車イスなしでも散歩に行けました。我ながら凄い回復ぶりですね。

病院サービスと社会保障

手術後三日目の7月20日、尿カテーテルが取れて大分気分が良くなった時、執刀医の一人が挨拶に来て、がん患者は50%の身体障碍者認定が申請すれば受けられるとか、今後の可能性についてざっと説明し、臨床心理士とソーシャルワーカーそれからアロマサービスを要請したことを伝えてくれました。

その女医さんが去った後、間もなくして臨床心理士が来て、50%の身体障害者認定のことやメンタルケアについて説明してくれました。

続いてアロマサービスの人が来て、ルームアロマを提供してくれました。

その後に病院付属図書館の人が来て、「何か読むものを持って来ましょうか?」と御用聞きに来てくれました。私は何冊も本を持ち込んでいたので、丁重にお断りしましたが、この「姫扱い」にかなり感動してました。

翌日ドレーンが取れて人並みに感じられるようになった時、ソーシャルワーカーが来て、50%の身体障碍者認定の申請用紙やその他のがん患者のための公的支援についてのパンフレットの山を持ってきてくれました。もちろん私にとって重要なことは丁寧に説明してくれました。

がん患者は法律によって申請すれば、自動的に50%の身体障碍者認定を受けられます。その認定があると、様々な保護や特典(交通費・博物館や美術館の入場料割引など)を受けられるのですが、中でも重要なのは、定職に就いている場合の解雇保護(解雇には管轄の統合局の許可が必要になる)や追加有給休暇1週間および税制上では障碍者特別控除があり、税負担が軽減されることです。

因みにがんに限らず病気になった場合は、6週間までは雇用主が給料を100%払うことになっています(Fortzahlung bei Krankheitsfall)。その後は健康保険が傷病手当(Krankengeld)として税込月収の70%(上限は手取り月収の90%)を支給します。支給期間は病欠初日から数えて78週間です。つまり約1年半は働かなくても収入が確保できるわけです。健康保険はどんな雇用形態でも強制保険なので、派遣などでも傷病手当が得られます。

治療費はもちろん健康保険が負担してくれます。自己負担額は公的健康保険の場合は薬1種類あるいはマッサージなどの施術1件につき最高10ユーロまで、年間自己負担総額の上限が年収の2%未満となっています。

ドイツは社会保障が手厚くて助かりますね!

何よりも素晴らしいと思ったのは、自分で調べなくても、病院がこうした情報を提供してくれるということです。

私はそこまではマルテーザー病院に(食事を除いて)大変満足していたのですが、手術後五日目(7月22日)の夜11時過ぎに出産したばかりの女性と新生児が私の病室に運び込まれ、彼女のダンナさんが夜中の1時過ぎまで病室に居たこと、そしてその後に赤ちゃんがぐずりっぱなしだったことで、途中耳栓をもらったにもかかわらず大した助けにはならずに殆ど寝れなかったことで、一挙に気分がダウンしました。

普通は手術患者と新生児を抱えた母親を同室にすることはないとのことですが、その晩はたまたまベッドの空きが他になくてやむを得ずそういうことになったっそうで、病院側の都合で私には大変迷惑なことでした。手術後で休養が必要なのに眠れなかったというばかりでなく、片や出産したばかりの幸せなお母さん、片やがんのために子宮を始めとする女性的な器官をごっそり失った女(妊娠・出産経験なし)の対比があまりにも激しく、普段は考えもしないようなネガティブな方向へ思考が行ってしまい、かなりの情緒不安定に陥りました。

翌日の午後に部屋割りが変更され、母子は別室に移され、代わりに若い手術を控えた患者が同室となりました。二晩はさすがに身体的にも精神的にも耐えられなかったと思いますが、一晩で済んだのでなんとか。。。

それにしてもその母子を運び入れた夜勤看護婦が私に事情説明するなり、断わりを入れるなりしてくれても良かったのではなかろうかと思います。しかしその看護婦さんは私に考慮する様子は全くなく、さも当たり前のように母子を運び込んだのです。耳栓を要求した時も、「こんなことになってごめんなさいね」くらい言っても良さそうなのに、無言で耳栓を持ってきただけでした。後から考えるとかなりひどい対応じゃないかと思いますね。

朝の巡回に来た看護婦さんに苦情を言った時はきちんと説明もしてくれたし、私に対して理解も示してくれ、その日中に何とかすると約束し、その通りに実行してくれたので、模範的な対応だったのですが…

最後の二日間は元気になり過ぎて病院に居ることが苦痛でした。ネットの接続速度が遅く、その上不安定だったのでそのせいでイラつくこともありました。

退院前日にはまた臨床心理士が、私がハーブなどに興味を持っていることを覚えていてくれて、放射線・化学療法以外の補完的ながん治療法に関するパンフレットをわざわざ持ってきてくれました。

まだパラパラっと見ただけですが、有名な砂糖絶ちやゲルソン療法等は「お薦めできない」というスタンス。詳しく論証されてる訳ではないですが、結局のところ臨床検査で効果が確認されてない、つまりエビデンスグレードが低いというのが論拠になっています。

とにかく、がん治療は放射線や化学療法が優先されるけど、それを補うエビデンスグレードの高い療法もあるので、その辺はがん担当医と患者で話し合いすべき、とのことです。私も末期がんで絶望的と言う状況ではないので、ひとまずそういうスタンダードな路線で行くつもりです。

最終診断と治療方針

さて、最終的な診断ですが、「悪性度グレード2の子宮内膜腺がん(Endomeriodes Adenokarzinom)、卵巣転移(metastasierte Ovarien)、プラス原発性腹膜がん(Peritoneales Karzinom)」のステージ3b期(FIGO-Stadium IIIb)と出ました。ただし腹膜がんが原発性か卵巣からの転移かについては病院の腫瘍カンファでもかなり議論があり、100%確実ではない所見だそうです。それにしても最初の「子宮筋腫」から随分遠い所に辿り着いてしまった感じですね。時間の経過とともにどんどん診断が深刻になっていって、本当に心臓に悪いです。腹膜がんは予後不良とも言われているので。。。

手術前に行ったCT検査で、卵巣がんや腹膜がんが見つからなかった(卵巣には嚢胞があることしか分からなかったのです)という事実にも驚きを禁じ得ません。この二つは子宮内膜がんという診断があって手術したからこそ発見されたわけで、それが無かったらいつ見つかったのだろうかと想像するだけでも恐ろしい気がします。

CT検査では他に小さい胆石および軽い肝臓肥大が見つかりました。これも本当に「いつの間に?!」と驚くばかりです。ずっと健康なつもりでいたので、自覚症状が無いのは結構怖いことなのだなと思った次第です。

治療方針は、腹膜がんの診断が出る前までは放射線と化学療法の組み合わせという話だったのですが、腹膜がんのせいで下腹部全体にまだそれとは分からないがん細胞が散らばっている可能性が出てきたので、まずは化学療法のみで様子を見るということになりました。がん治療は手術したマルテーザー病院ではなく、別のがん専門クリニック(Onkologische Praxis)で受けることになります。この分業にはちょっと辟易しますが、少なくとも最初の予約はマルテーザー病院が入れてくれました。

入院中に毎朝血栓症予防のための注射(Clexane)を打たれてましたが、退院後6週間はこの注射が必要とのことで、しかも自分でそれを打つとなるとかなり気が引けます。とりあえず病院で6日分もらいましたけど、ちょっと不安ですね。

こんな状況になっても、ブログ記事を書けるほどには元気なので、未だに自分が「重病患者」であるというのが信じられないくらいです。化学治療が始まったらもしかして実感が湧いてくるのかも知れませんが、そうならないことを祈ります。

余談ですが、私はハウスダストアレルギーで、普段は抗アレルギー剤を飲まないとくしゃみが止まらないのですが、手術後は体がハウスダストなどに構ってられなくなったせいか、抗アレルギー剤なしで全く平気でした。今現在でも平気です。


ドイツにおけるがん患者のための社会保障まとめ

  • がん患者は法律によって申請すれば、自動的に50%の身体障碍者認定。
  • その認定があると、様々な保護や特典(交通費・博物館や美術館の入場料割引など)を受けられる。中でも重要なのは:
    • 定職に就いている場合の解雇保護(解雇には管轄の統合局の許可が必要になる)
    • 追加有給休暇1週間
    • 税制上では障碍者特別控除があり、税負担が軽減。
  • がん治療後のリハビリ
  • 必要に応じて家事ヘルパー、在宅介護ヘルパーの派遣
  • ソーシャルワーカーによる全般的支援
  • 臨床心理士による心のケア

病気になった場合の経済保障:

  • 6週間までは雇用主が給料を100%払う(Fortzahlung bei Krankheitsfall)。
  • その後は健康保険が傷病手当(Krankengeld)として税込月収の70%(上限は手取り月収の90%)を支給。支給期間は病欠初日から数えて78週間。
  • 治療費は健康保険が負担。
  • 自己負担額は公的健康保険の場合は薬1種類あるいはマッサージなどの施術1件につき最高10ユーロまで。年間自己負担総額の上限が年収の2%未満。
  • 民間健康保険の場合は保険プランによって自己負担額も変動。

化学療法の準備~ドイツの健康保険はかつら代も出す(がん闘病記2)



風邪薬・胃腸薬『第一大根湯』の効能を自分で確認

2017年02月23日 | 健康

2月20日月曜日夜、急に水を飲みこむのすら苦痛に感じるほどのどが痛くなりました。寒気もしていたので、風邪かと思い、早速以前にネットで見つけて保存しておいた薬膳レシピ『第一大根湯』を試すことにしました。

材料:

 

  • 大根おろし大さじ3
  • 生姜のすりおろし小さじ1
  • 醤油大さじ1
  • 熱い番茶(またはお湯)2カップ

大根おろし、しょうが、醬油を番茶またはお湯で割るだけとのことでしたが、私は番茶がなかったので、大根おろし、しょうが、醬油を鍋に入れて、水2カップ、さらにはちみつを小さじ1加えて、沸騰する直前くらいに火を止めて頂きました。

水を飲むのはのどが痛くて苦痛なのに、不思議とこれはのど通りがよくて、問題なく飲み込めました。

翌朝、すでにのどの痛みがましになっていましたが、朝食代わりにもう一度『第一大根湯』プラスはちみつを頂きました。夜にもう一回。

そして水曜日の朝には完治していました。それでも朝食の後に『第一大根湯』プラスはちみつ1/2の量を頂きました。

月曜に風邪の症状が出た時は、本格的にダウンするのかと思いましたが、『第一大根湯』プラスはちみつのおかげでもう全快です。まさかここまで効き目があるとは思いませんでした。

 

正直、びっくりです。


急な喉の痛みにはDolo-Dobendanとセージティーなど

2016年04月08日 | 健康

火曜日の午後、急に肩が凝るなと思っていたら、夜にはお茶や水を飲むのが苦痛なほど急にのどが痛くなり、痛みで寝れない程でした。翌朝医者に行ったら、「風邪ですね。リンパ腺かなり腫れてます」と言われ、会社に届けるための金曜日までの診断書(正確には「労働不能証明書」、Arbeitsunfähigkeitsbescheinigung)を出してもらいました。うちの会社は3日までの病欠は診断書なしでも構わないことになっている(電話連絡だけでOK)なのですが、まあ念のため。

薬の処方はなく、まずはカモミールティーの吸入(ティーバッグ3個を1ℓのお湯に入れ、その蒸気を口から吸入)とセージティーでのうがい、さらにDobendan akutというのど飴(薬局にしか置いてないもの)を奨められました。さて、薬局に行ってそのDobendan akutとやらを求めると、「こちらのほうが良い」とDolo-Dobendanなるものを奨められ、私にはどっちがいいのやら分からないので、ひとまず薬局の人の勧めに従ってDolo-Dobendanを購入しました。

有効成分はCetypyridiniumchloridとBenzocain。と言われても私には何のことやらさっぱりですが。味を調えるためにライムオイルやシトラスオイルそれにグルコース・スクラロースという甘味料が入ってます。のど飴、と言うと私はすっきりする系統のもの(はっかなどが入っているもの)しか使用したことありませんでしたが、このDolo-Dobendanはそういうすっきり効果は皆無で、レモンやライムの味もかすかで、甘みもほとんど感じない、何とも物足りない代物でした。解ける瞬間に少し「しゅわ」と酸が発生するようでした。さて効果の方はどんなものかとこの刺激皆無ののど飴を全部で6錠なめてたのですが、のどの痛みは翌日にはほぼ退いていました!

こののど飴の他にやったことは、医者の勧めに従ってカモミールティーの吸入を2回。セージティーでのうがい1回。セージティーを普通に飲むこと1杯。

近所のスーパーで買ってきたBio(オーガニック)のセージティー

更に生姜湯1杯(生のしょうがを摩り下ろし、お湯を入れ、アガベシロップを少々)。普通の食事はできなかったので、リンゴと人参とレモンをミキサーにかけてムース状にしたものとメロン3切れほどを食べました。

アガベシロップと生しょうが

翌日の木曜日はのどの痛みはほぼ退いたものの、まだリンパ腺の腫れが触れれば分かる程ありました。でも、飲み込むたびに走る痛みは気にならない程に緩和されていたので、食事はほぼ普通にできました。若干食欲は後退していましたが。この日は生姜湯とセージティー一杯ずつ飲みました。のど飴は4錠。

そして3日目の今日、金曜日にはそのリンパ腺の腫れも殆どなくなり、多少のだるさを除けばほぼ全快。こんなに急に症状が出た風邪も初めてでしたが、これほど早く治った風邪も初めてでした。

春とはいえ、日中最高気温は12-14度、最低気温は2-5度くらいで、まだまだ油断がならない感じですので、体調を崩す方も多いようです。どうやら珍しく私もその一人となったようで。。。

拙ブログを読んでくださっている方々、体調を崩さないように気を付けてください。