懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

鰺のフライ

2020年09月20日 | 懐かしい物
人生で記憶に残る食べ物がいくつかある。
それは決して御馳走ではない。
空腹や寒さなどが絡んでくる。
空腹は一番の御馳走というがまさにその通り。

私には記憶に残る食べ物が3ッある。
1.北海道の小沢村で食った味噌ラーメン、札幌で食べた味噌ラーメンは万人向で美味しくない。しかし、小沢村のラーメンはニンニク、唐辛子、味噌濃い目で雪中冷え切った身体に美味かった。練炭でお婆ちゃんがノンビリつくった。

2.姫路駅の立喰いそば、春の高校野球に自分だけで行った。曇りの気温一桁の寒い日だった。2試合見たら寒気が引かず、終わり急いで電車に向かった。姫路まで何も食べず。姫路駅の構内の立喰いを食べた。空腹と寒さが解消できて電車で寝てしまった。ヤクルトの山田哲人が試合を終え、神宮球場近くの立喰いそば屋て300円のソバを食べているのがフライデーにスクープされた。
年収〇億円の選手が自分で金を出し見栄も張らず偉いと思った。

3.宮崎の居酒屋の鰺フライ  夜中の11時半 工場の門が開き労働者が吐き出される。工場の周りにはスナック、居酒屋があった。自分は酒が飲めず居酒屋には一人では生きにくい。オジサンの後をメダカの糞のように付いていった。空腹もありここの鰺のフライが忘れられない。
オジサンの話も上の空もっと真剣に聞いておくべきだった。
ウスターソースしかなくドレッシングやトンカツソースは無かった。

高松道の津田SAに大きな鰺のフライがある。何度か鰺フライを食べた。アジフライの思い出を家内に語った。
そうしたら家内が鰺フライは、何度も作ったのに何んの感想も言わなかった。
彼女との思い出でもあるのかといいだした。

男は兎角、鈍感である。物言えば唇寒し秋の風である。

こんな居酒屋はバラックが多く排水路に橋を架けた小屋風のもあった。
工場で働く人も減り45年して訪れたら廃墟のように残っていた。
昭和の赤提灯の滝田ゆうの漫画の世界である。
機会があればあの漫画をもう一度見て見たい。

居酒屋の裏に寝泊まりの出来る部屋がある。友達が雨の降る深夜、看板まで一人で飲んでいた。客はいなかった。
おばちゃんが「あんた女抱いた事あるとね」と聞く。
無いと言ったら、「おばちゃんが相手してあげてもよかとよ」と自分の母親くらいの女性に裏の部屋で筆おろしてもらった。
酒と女にのめりこむ男もいた。20歳も年上の女性45歳を好きになり、旦那とすったもんどと揉め金を払い一緒になる。女が65歳で要介護になり世話をしていると噂で聞いた。
人間は人には言えない古傷や汚点がいくつもある。心に仕舞い、墓場まで持っていくしかない。

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