懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

2016年 茅葺写真展 各地の形 養蚕農家

2017年01月08日 | 2016茅葺写真展
養蚕は明治から昭和にかけて日本の輸出産業の花形であったようだ。
特に群馬県、関東一円から信州山梨などが盛んであったようだ。私が子供の頃は桑畑もあり桑の実を食べていた。

関東には八王子や結城、桐生など織物の町が歴史に残る。
余談だが八王子の街を走っていたら片倉町の表示が出て来た。
片倉シルクの工場があったのかと思う。シンガーソングライターの松任谷由美の実家も八王子の呉服屋でなかったか。

養蚕は蚕を飼うために二階を蚕部屋に改造している。
採光と通風をよくするために屋根を切り落としたら初めから二階建てにしている。
養蚕も中国からの安い生糸が入ってきたりナイロンの発明で衰退する。
金持ちはステータスのために現在も絹織物をファッションに使う。
庶民は化繊が安くて丈夫取り扱いが容易なために愛用する。 

ナイロンはデュポン社の商品名である。ディポンはアメリカの総合化学メーカーで兵器の火薬や爆薬も製造している。
化学繊維はナイロンからロンを付ける。テトロン、カシミロン、ビニロンなど 

養蚕は京都の秦氏が中国から渡来して広めたと言われている。 京都の西陣から全国に広がったと言われている。
養蚕の歴史は5000年といわれている。蚕は家畜化した昆虫と言われていて長年人に買われて品種改良されたため足が退化している。
人に桑の葉をもらいぶら下がり繭を作れないので繭箱で繭を作る。逃げることもなく桑を食べて繭を作るだけの昆虫になっている。