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懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

がっかり観光地

2016年10月30日 | 旅行
日本三大がっかり観光地というのがあるそうだ。

札幌時計台、高知はりまや橋、長崎オランダ坂をいう人がいる。
がっかり観光地になるとどれほどツマラナイのかと見に来る人もいそうだ。

岩手県遠野の河童淵もがっかり観光に推挙したい。
この程度のものだろうと予想していたりでがっかりもしなかったが

日本がっかり観光のたび、ナニコレ風景、けったいな物たちをテーマに撮ると面白いかも         






欄干モニュメント

2014年11月14日 | 旅行
撮影場所 岡山県鏡野町

鏡野町の国道179号線の香々美川に掛かる欄干に裸婦像が二体ある。
どちらも若い女性ではなく熟女である。
一つは下腹もでた一昔まえの日本のおばちゃんの体型だ。
妙にリアルなのでカメラに収めた。

世の中にはブログで欄干のモニュメントを撮っている人がいる。日本橋の豪華で繊細な彫刻から町や村の橋に掛かる色々なモニュメント
私も旅行の傍ら見つけたら撮りたいが橋の上で停車するのは事故の危険があるので撮りたくても撮れない。
都築響一氏は雑誌の編集者だがカメラマンを雇う金がなく自分でカメラを持ち全国を撮影。
珍日本紀行であの木村伊兵衛賞を獲った。プロの卵が獲れない賞をアマチュアが獲得した。
この裸婦像も珍日本紀行に該当する価値ありとフィルムカメラ次代に撮った。

鏡野町にはこの橋を越え苫田ダム側に一キロも走るともう一体裸婦像ができた。
何の目的で裸婦像があるのか役場に聞こうかと思ったがこんな事で仕事の邪魔をするのもいけないと調べていると女山というのが近くある。男女公園というのもあるので男山もあるのであろうか


倉吉の町並みを歩く

2014年10月24日 | 旅行
鳥取県の境港にカニを買いに行くのが毎年の恒例となっている。
季節季節には美味しいものを食べるのが楽しみでありあと何年出来るだろあうとの思いもある。
家内がテレビで流れていた倉吉の蔵の並ぶ風景を見て行きたいと言った。
カニを買うついでに倉吉の町並みに立ち寄る事とした。
いつも私の行きたいところばかりで面白くも場所につきあわされていた、
家内も病気をして私もいつまで動けるかわからない。あと何回一緒に旅行出来るかわからない。
ブログにはもう1000回以上投稿しているが、夫婦で旅行した紀行文や写真をまとめた資料は一つもない。いつも暇をしているのに書き残していない。
そんな事もあり倉吉に行ってみた。
町並みは40年前に撮っていたがもう町並みを撮影する気はない。
古い町並みと言っても現在は昔のように町並みが機能しているところはない。
古い町並みは商業の中心地であったが車社会になり、駐車場もない狭い道のそんなところに
買い物に行く者はいない。
買い物は郊外の広い駐車場のある大型スーパーに行くようになった。
古い町並みが残っているところは観光客相手の施設に変わった。蔵が立ち並んでいても蔵としては使われていないし喫茶店などにしたりしている。蔵があっても建物があるだけで何も入っていない。古い建物の外観だけを見せる映画のセットのようなものになっている。
町並みが機能を失った時点でこんなの撮っても意味がないと思うようになった。

女性は機能を失った町並みでも観光地となり土産屋などを見るのが好きだ。
私も町並みは撮らないが観光気分で撮影することとした。

歩いていたら若い女性が絣(かすり)の着物をきてやってきたレンタルで3500円で食事付きと書いてある。これから観光地で若い女性を見つけては観光スポットと一緒に撮ろう。
スケベジジィのワンショットとでもタイトルをつけるか
絣というのは染色した綿糸を織り合わせた着物だそうだ。綿織物なので強いそうだ。






北条の五百羅漢

2014年07月28日 | 旅行
撮影場所 兵庫県北条町(現在は加西市)

北条の五百羅漢に立ち寄った。中国道の高速道路脇にある。
もう夕暮れだった。住職が数多くの石仏に読経とともに手を合わせていた。
素人が彫った余り上手くない石仏がならぶ、下手なだけに庶民の苦しみや幸せを願う気持ちが溢れているように思う。
「親が見たけりゃ北条の西の五百羅漢の堂に御座れ」と謳われている。
若く死に別れた親や晩年になりもう一度親に会いたいと願った者はここを訪れて安らいだ事と思う。今は写真やビデオで生前を偲ぶ事が出来るが写真のなかった時代は石仏にそれをもとめたのであろう。
今の時代は親をないがしろにする子がふえている。経済的な理由もあろうが死体を放置するや葬式もしない人が増えている。
これは流紋岩に彫られてと書かれている。
瀬戸内海沿岸の山や島はほとんどが火山のためマグマの隆起で地表に露頭した部分に流紋岩が近くに産していたようだ。

鉄道の写真を撮っていた頃に加古川線は訪れたがその支線の北条線には行っていない。
今も北条鉄道として残るがローカル味十分の路線だ。蒸気機関車の頃に訪れていたら懐かしさ一杯の写真が撮れたとおもう。






呼子のイカ

2013年10月21日 | 旅行
撮影場所 佐賀県唐津市呼子

呼子の朝市とイカを食べに行った。
佐賀県で茅葺民家を撮影し観光を兼ねて呼子にいく。
唐津には富士町の茅葺民家を撮影し虹の松原の撮影に行った事がある。
日本全国の白砂青松をカメラに収めるのも面白いと思ったが車椅子は砂地では全く動かないのでテーマには難しい。

呼子は「よびこ」ではなく「よぶこ」と読むのだそうだ。介護担当の唐津出身の女性が教えてくれた。
佐賀県出身の彼女に「とっとっと」と話かけた。大笑いしながら「とっとっと」と返事が返ってきた。「とっとっと」は席が空いているか聞く時に使う言葉でこの席とってありますかの意味で、席を取ってある場合の返事も「とっとっと」となる。とってあるのよいう意味である。地元の人ではわずかなアクセントの違いで会話になるのである。

もう一つの方言の言葉あそびは「この肉うまか」である。うまかは美味しいときに九州の人はよく使う。「この肉うまか」に対して「この肉は馬と違う牛じゃ」「ほんにうまかね」「何度言うたらわかのかこれは牛じゃ」

呼子はイカの漁港である。また朝市も有名でゆっくりと港や朝市を見学する。
港でイカを干している風景を撮影する。
イカの料理連休とあって大勢の人で食べるのに二時間半かかる。
こんなに待たされる怒りが体内に充満し味覚の神経も麻痺してしまい美味しい感動もなかった。やっぱり私は人の多いところは苦手だ。イベントや祭りには行く気にもならない。






東北旅行 その3

2013年05月28日 | 旅行
家内にずっと運転をさせ茅葺民家の撮影ばかりでは楽しくないので観光地にも立ち寄り温泉にも入ってもらう。私は温泉に入れないのでその間は車の中で新聞を読むか昼寝をしている。
10回も東北に行くとチョコチョコ立ち寄るので観光地も行くところが少なくなった。
今回は三内丸山遺跡と小岩井農場、温泉は乳頭温泉と肘折温泉に立ち寄る。

1.三内丸山遺跡は平成4年から野球場の建設のため掘削を始めたら縄文時代の土器や土偶など巨大な遺跡であるのが発見された。壺や土偶が大量に発掘され糸魚川から運ばれたヒスイの勾玉も発掘された。1000年に及ぶ生活の跡が堆積されていた。

作家の司馬遼太郎氏は街道を行くの「北のまほろば」で津軽にも縄文時代にも豊かな文化があった。決して辺境の地ではなかった。十三湖などにも遺跡が残り各地と交易をしていたと書いてある。それは三内丸山遺跡が発見される以前の事である。
豊かな文化があったにも関わらずなぜ江戸時代に飢饉で大量の餓死者をだしたのか
それは米の生産による石高制にあると指摘している。東北北部は江戸時代に米の生産には適さなかった。なせ寒さに強い麦を植えて食料にしなかったのか米による石高制による年貢が足かせとなった。農民にしても日本人はやはり米に対する憧れが強かったのであろう。特に小麦は皮が硬く粉にしてパンやうどんのような使い方しかなく粒食のできる米にこだわったのであろう。
司馬遼太郎氏は三内丸山遺跡の発見を喜び自分の考えに間違いがなかった事を新聞やテレビで語っている。しかし発見されてから数年して司馬氏は突然亡くなる。
街道を行くは一年以上にわたりNHKテレビで放映されたので観ている人は多いとおもう。
私も毎回その内容を書き残し何冊かの記録帳になった。
そのなかでも「北のまほろば」は傑作であった。まずネーミングがよい。
「まほろば」は優れた場所をさす言葉だそうだ。「まほ」は真秀と書き素晴らしい意味だそうだ。「ろ」は接続語
こんな表現は他にもある。「み」を接頭語につける表現、崎に「み」を付けて岬、
空にみを付けて美空、「靴が鳴る」の歌は晴れた実空に靴がなる。美空ひばりもあった。
「み」は美しいの字を指すそうだ。



小岩井農場 小岩井の名は創立者、小野、岩崎、井上の頭文字をとつた。122年の歴史
岩崎は岩崎弥太郎の長男


秋田駒ケ岳 乳頭温泉近くから見る


東北茅葺民家撮影旅行 その2

2013年05月27日 | 旅行
今回は東北旅行の最中に見つけた野草をお送りします。
五月も下旬であったので春の花は終わりではないかと思ったがまだ咲いていた。
北へ行くと山桜は残っていた。八重桜が満開であった。しだれ桜は葉桜でさすがに咲いていなかった。

秋田県の羽後町軽井沢には茅葺民家の撮影で立ちよったがカタクリが咲いていた。
山百合の茎が40センチほどに伸びていた。
秋田の茅葺民家のホームページで山百合と茅葺民家の写真を見るが一度現物が咲いているのを見て見たい。

角館から高速に乗るために鹿角インターまで行ったが国道なのに対向車が来ないと思ったら景色は冬のままであった。酒田へ向かう月山の脇を通っているような感じだった。
道路脇の湿地にまだ水芭蕉が少し咲いていた。車の中から撮影する。

茅葺民家の撮影ばかりで運転手の家内の楽しみは道路脇の山野草や山菜を探す事。
山に入る山菜採りの人に話を聞くのが楽しみ。
女性で一人で入っている人が多い。
岩木山の西側の駐車場であった30後半の女性は80歳過ぎの女性と山に入るところだった。私の岡山ナンバーの車を見て、女性は広島県の福山出身で懐かしいと言ってきた。ご主人の転勤で弘前に住んでいる。高齢の女性が山菜採りの先生で一緒に山に入る。
どこに住もうと逞しく地域の楽しみを見つけ順応して生きている。
山菜のコシアブラと漆の見分け方を教わった。漆をコシアブラと間違う人が多いらしい。
漆の新芽は赤みを帯びているコシアブラは緑色と教えてもらった。

我々のところではコゴミは県北部の限られたところしかないが東北では川岸などどこにでもあるかんじだった。
今回の旅は走行距離3450km 初日は米沢まで850km 帰りは福島から920kmまでとした。
以前、山形まで高速道路で走ると1050km還暦を過ぎた家内の体力を考えると米沢くらいまでが一日で走る距離であろうか。
走行中はCDで小説の朗読を聞くと楽に運転できる。藤沢周平、向田邦子、池波正太郎、山本周五郎、図書館で借り一回に15枚ほど持っていくので、もう200枚以上聞いた。






キクザキイチゲ


だいぶ大きくなった水芭蕉



東北茅葺民家撮影旅行

2013年05月26日 | 旅行
茅葺民家を求めて八日間掛けて東北六県を走った。
東北の茅葺民家撮影は今回が10回目
東北へはこれがもう最後になるかもしれない。
東北を全部回るには三カ月90日は掛かると思っていた。10回行っても実質は70日弱であろう。まだ回っていないところが沢山ある。国道、県道も走るところはかなり残っている。東北は行き帰りに二日掛かるので一週間でも五日しか実動できない。

身体の問題もあり車の座席に乗るのが自力で出来なくなった。誰かに介助してもらわないと乗れないのは辛い。
宿泊は東横インはバリアフリーの部屋があって今回は助かった。

新規発見する民家も少なくなり同じ場所ばかではマンネリ化して感動が少なくなった。
今回の旅でそれを強く感じた。いつまで撮影するのか止めどきが難しい。
デジカメ写真は撮りぱなしで全く整理もしていない。撮影場所と撮影年月日、解説くらいしておかないと撮影した写真を残しても意味がない。
我々素人の撮った写真は残すほど価値のある物ではないと言われそうだ。写真の整理など考えずカメラを持って旅行も兼ね楽しめばいいのかもしれない。














万治の石仏

2012年06月28日 | 旅行
長野県に行った。
目的は原田泰治氏の絵を見る事、諏訪大社を見る事、万治の石仏を見る事、長野の茅葺き民家を探す事
であった。
原田泰治氏の絵を見るあいだ二時間炎天下の車の中にカメラを置いてあったら液晶が液漏れを起こして使えなくなっていた。
電子カメラは高温と水滴、液晶部の衝撃は避けなくてはいけない。持って歩くのが重かったので置いていったのが失敗の元、出鼻からカメラの故障でがっくりきた。
しかし、一眼レフはモニターが使えなくても設定は初期値に戻り露出補正などの変更はできるしちゃんと撮れていたのが幸いであった。モニター補修に二万円近く掛かった。私のような愚かな事をしないでください。

万治の石仏の異様な姿は一度見たくなる。諏訪下社の春宮の隣にあった。
諏訪にくるまで諏訪大社が四カ所もあるのを知らなかった。上社二か所、下社二か所
諏訪大社へ行きたいと言っても通じない。諏訪大社のどこに行きたいかを言わないと話が通じない。

諏訪大社下社春宮の横に綺麗な川が流れていて子供が沢山水遊びをしている。
親がついているわけでもなく子供たちで遊びにきている。
子供にとってはやってはいけない事ほど楽しいものはない。
しかし、川の流れも速くこの日も雷鳴がなっていた。長野の山は高くて雷雨が一気に川を下り押し流される災害が過去にも何度もあった。子供にはその予知はできない。

万治の石仏は万治3年(1660年)に建立された。
石仏までの道は平坦でなく階段があり私は諦めて待っていたら地元の人が通りかかり、「ここまで見に来たのに見ないと悔いが残るでしょう行きましょう」と観光客の若者四人を連れてきて車椅子を持ち上げてくれた。有難い親切を受け感謝しています。
地元の人の話では長年首が落ちたまま放置されたり周囲は畑で行く道もなく不遇な石仏だったそうです。
しかし、岡本太郎さんがこれを見て高い評価をしてPRをしたため人気がでたそうだ。 








蕪島のウミネコ  

2012年06月06日 | 旅行
青森県八戸市の蕪島は八戸港にある。周囲800メートルで今は陸続きで下まで車でいけるが近くに置くと車の上にウミネコがとまり糞をしていく。いい車の人は離して停める。

ウミネコの一大繁殖地で四万羽と言われている。
産卵場所が無いので所かまわず産卵している。人に全く警戒しない。
それでも猫の餌食になる鳥もいるであろう。
いつ行っても蕪島には海猫はいるのだろうと思ったら四月から六月の産卵期だけ集まり後は各地に散乱するそうだ。冬場は渡り鳥として南の国に行くもの、北国で散乱したものは日本の南部に移動するそうだ。
地元の監視している人の話では毎年同じペアーで同じ場所に帰ってくるそうだ。
あのオシドリもペアーが変わる事もよくある事らしい。
海猫が毎年同じペアーは疑わしい気もする。

海猫の卵は鶏の卵ほどある大きいものだ。
ウミネコは飲んだ魚を吐く習性があり屋根や広場に魚が散乱する事がある。いつかオタマジャクシが散乱し色々な説がでた。竜巻説、いたずら説まででたが犯人はウミネコが最有力と言われている。

蕪島の上には神社がありここに登るにウミネコの糞を落とされるので傘を貸してくれる。

東日本大震災では八戸の港も津波に襲われた。
蕪島の横の車やドラム缶資材が流された映像が流れた。ゆっくりした流れが次第に速くなり埠頭にある物をどんどんながしていった。自分の訪れた場所が被害にあうのは痛ましい。