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ラーラ・プレスコット『あの本は読まれているか』その2

2020-08-21 00:04:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

(中略)
 看守は左側にあるひとつめのドアのほうを向き、それをあけた。なかにはセミョーノフがいた。
「ふたりでずっと待っていたんだよ」彼が言った。
「ふたりって?」
 セミョーノフは壁を二度ノックした。またドアが開き、ひとりの老人が足を引きずりながら入ってきた。一瞬ののち、それが以前イーラの英語教師だったセルゲイ・ニコラエヴィッチ・ニキフォロフ、あるいは、そのなれの果てだと気づいた。(中略)「では、もう一度確認しよう。セルゲイ・ニコラエヴィッチ・ニキフォロフ、昨日、我々に証言した内容、おまえがパステルナークとイヴィンスカヤの反ソ会話をじかに聞いたというのは、事実であると認めるかね?」
(中略)
「はい」ニキフォロフは頭を垂れたまま、そう答えた。

「パステルナークと国外逃亡する計画をイヴィンスカヤから打ち明けられたことも?
「はい」ニキフォロフは言った。
「嘘よ!」わたしが叫ぶと、さっきの看守がわたしに突進してきた。(中略)

 告白が終わるとニキフォロフは連れ去られ、わたしは第七監房に戻された。痛みがいつ始まったかはよく覚えていない。(中略)けれど、ある時点で、わたしの寝具が血に染まっていると、同じ監房の女たちが看守に訴えた。
 ルビャンカ病院に運ばれ、すでにわかっていたことを医師から告げられたとき、わたしは自分の服がいまも死体置き場みたいな、死そのもののような臭いがするということしか頭になかった。

(中略)
 わたしは判決を聞いた。裁判官の言葉、彼が言った数字は聞こえた。(中略)「五年よ」そのとき、ようやくわたしは理解した。(中略)

(中略)

西 1956年秋
第二章 応募者
 それはワシントンDCによくある湿度の高い日で、ポトマック川の川面にはねっとりとした空気が漂っていた。(中略)
 元ボーイフレンドと呼んでもいいかもしれないシドニーからこの仕事の欠員について初めて聞いたのは〈バイユー〉でピザとビールの食事をした晩のことだった。(中略)でも、きみは合格間違いない。なんたって、ぼくがCIAの知り合いに頼んでおいたからね、とシドニーは言った。(中略)

(中略)「きみのお父さんのことを話して」わたしが腰かけたとたん、アンダーソンは言った。(中略)
「父のことは何も知らないんです」(中略)
「きみはお父さんがどんなふうに亡くなったか知っているかい?」アンダーソンが尋ねた。
「政治犯矯正労働収容所(ベルラーゲ)のスズ鉱山で心臓発作を起こしたと聞いています」
「それを信じる?」
「いいえ、信じません」(中略)
「お父さんが収容所にたどり着くことはなかった。モスクワで亡くなったんだ」(中略)「取り調べ中に」(中略)

 第三章 タイピストたち
 (中略)
 イリーナはロニーと肩を並べてタイプ課に戻ってきた。「ここの人たち、あなたを歓迎してくれたでしょうね?」ロニーが言った。
「ええ、もちろんです」イリーナはいささかの皮肉も感じさせることなく、そう答えた。(中略)五時きっかりに、わたしたちは立ち上がり、〈マーティンの店〉に行かないかとイリーナを誘った。(中略)
「やめておきます」イリーナは言いながら、紙の束を示した。「遅れを取り戻さないと」
「仕事の遅れを取り戻すですって?」リンダが、イリーナ以外のみんなと外へ出たときにようやく言った。「出勤初日なのに?」
「あなた、初日にフランクに会った?」ゲイルが尋ねた。
「まさか、いまだに会ったことなんかないわよ」ノーマが言った。
 嫉妬という冷たい石がおなかのあたりでごろごろ鳴り、わたしたちはもっと知りたいと思った。この新しいロシア娘のすべてを知りたかった。(中略)

第四章 ツバメ
 (中略)
 この昔の仲間たちが集まったのは、一種の記念日を祝うためだった。十一年前、あたしたちはセイロン島にあった基地を去った。すでに戦争は終わっていたからだ。OSSおよびアメリカの諜報機関の今後がどうなるかはまだはっきりしていなかった。実際にCIAが設立されたのは、それから二年後のこと。(中略)
 あたしは士気作戦部の補助職員としてスタートし、書類整理やタイプなどの仕事をしていた。仕事の方向が変わったのは、OSSの敷地を見渡せる丘の上にある、豪華なルイス・マウントバッテン伯爵邸の夕食会への招待状を受け取ってからだ。それはあたしが出席することになる多くのパーティーの最初で、あたしは自分から尋ねるか否かにかかわらず、権力を持つ男たちが進んで情報を提供してくれることを発見したのだった。(中略)その最初のパーティーであたしはツバメになった。神から与えられた、情報収集の才能を発揮する女のことだ。この才能を、あたしは思春期のころから身につけはじめており、二十代で磨きをかけ、三十代で完璧なものに研ぎ澄ました。(中略)

(また明日へ続きます……)

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ラーラ・プレスコット『あの本は読まれているか』その1

2020-08-20 00:12:00 | ノンジャンル
 ラーラ・プレスコットの2019年作品『あの本は読まれているか』を読みました。

プロローグ タイピストたち
 わたしたちは(中略)一流大学を出てCIAに就職しており、だれもが一族で最初の大卒の娘だった。(中略)
 タイプライターは女のために作られたと言われている。(中略)

東 1949年~1950年
第一章 ミューズ
 黒い背広姿の男たちがやってきたとき、お茶はいかがですかとわたしの娘イーラは尋ねた。男たちはお願いしますと言った。(中略)
 返事をする隙を与えず、男のひとりがわたしの腕をつかんだ。逮捕するために送りこまれたというよりも、恋人のように。(中略)

 その大きな黄色いレンガ造りの建物に入ると、黒い背広の男たちは、独房まで連れていくのがおれたちでないことを感謝しろよという目で見てから、わたしをふたりの女看守に引き渡した。(中略)

 ボリスと最後に愛し合ったのは、彼が三度めの別れ話をしてきた一週間後のことだった。(中略)
 一か月後、わたしの肌は寒いところから帰って熱い風呂に身を沈めたときのように、うずきはじめた。このうずきはイーラやミーチャのときにも経験しており、ボリスの子を身ごもったと知ったのだった。

「近いうちに医師の診察があるから」小柄な看守が言った。(中略)

 まさに、看守たちはやってきた。一度にひとりずつ引っ張っていき、数時間後、目を充血させて黙りこくっている囚人を第七監房に戻した。(中略)(わたしの番になって、入った部屋には)軍服を着た男が、部屋の真ん中に置かれた大きな机についていた。その机の上には山積みの本や手紙があった。なんと、わたしの本、わたしの手紙だ。(中略)
「自己紹介させてもらうよ」(中略)「名前はアナトリ・セルゲイエヴィッチ━━」(中略)
「話すんだ」アナトリは言った。「『ドクトル・ジバゴ』は何についての本かね?」
「知りません」
「知らない?」
「彼はまだ書いている途中なんです」(中略)
 会おうという誘いに初めて応じたとき、わたしは約束の時間に遅れたのだけれど、ボリスは早く来ていた。(中略)
 それから毎朝、ボリスはアパートの前でわたしを待つようになった。(中略)
 わたしはボリスにすべてを話した。アパートで首を吊っていた最初の夫のこと、わたしの腕のなかで死んだ次の夫のこと、夫たちの前に付き合った男たちや、そのあとに付き合った男たちのこと。自分の恥や屈辱について。秘かな喜び━━列車から真っ先に降りたり、フェイスクリームや香水のラベルを前向きに並べたり、朝食にサワーチェリーパイを食べたり━━についても。最初の数か月間、わたしはひたすら話し、ボリスはひたすら聞いていた。(中略)
 けれど、わかっていた。アナトリ・セルゲイエヴィッチが聞きたがっているのは、こんな告白ではないと。
『ドクトル・ジバゴ』は反ソ思想ではありません。
 1時間後に戻って来たセミョーノフに、書いた手紙を渡した。彼はさっと目を通しただけで、裏返した。「明日の晩、もう一度やり直しだ」セミョーノフは紙をくしゃくしゃに丸めてその場に落とし、わたしを連れていくよう看守たちに手で合図した。

 毎晩、ひとりの看守がわたしを連れにやってきて、わたしはセミョーノフと短い会話をすることになった。(中略)
 わたしはセミョーノフが聞きたがっていることを話さなかった。小説はロシア革命に批判的で、ボリスは社会主義リアリズムを拒絶しており、国家の影響を受けずに心のまま生きて愛した登場人物たちを支持していると、教えはしなかった。
 ボーリャがわたしと出会う前にその小説を書きはじめていたことも、セミョーノフに言わなかった。(中略)
 ボーリャがわたしをミューズと呼んでいたことも。わたしたちが付き合うようになった最初の一年で、彼の小説はそれまでの三年分よりも進んだことも。(中略)
 実際、ボーリャは執筆に打ちこんでいた。(中略)
 モスクワのあちこちのアパートで開かれる小さな集まりで、ボーリャが朗読することもあった。(中略)
 わたしが書いた曖昧な答えに、セミョーノフはけっして満足しなかった。(中略)

 (中略)「おまえが求めていた面会だ、ようやくできる」
「わたしが?」わたしは尋ねた。「だれとですか?」
「パステルナークだ」セミョーノフは答えた。(中略)

(明日へ続きます……)

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エミール・クストリッツァ監督『世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ』

2020-08-19 00:06:00 | ノンジャンル
 先日、「あつぎの映画館kiki」で、エミール・クストリッツァ監督の2018年作品『世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ』を観ました。パンフレットから文章を転載させていただくと、

 給料の9割を貧しい人々のために寄付し、職務の合間にはトラクターに乗って農業に勤しむ。風変わりだけど自然体で大統領という重責を担った、南米ウルグアイの第40代大統領ホセ・ムヒカ。「世界でいちばん貧しい大統領」と全世界から注目を浴びるようになったのは、2012年にブラジルのリオデジャネイロで開催された「国連持続可能な開発会議」でのスピーチだった。まん丸な体とやさしい瞳のムヒカから放たれたのは、環境危機を引き起こしている真の原因は、消費至上主義であるという鋭くも真っ当な指摘。経済発展は必ずしも人類の幸福に結びついておらず、むしろ経済格差が広がり続ける現状を憂い、怒り、より良い未来に向けて行動を起こせと呼びかけたのだ。インターネットであっという間に広がったスピーチは、翌年の2013年、14年とノーベル平和賞にノミネートされるほど強い影響力があった。

 国民のより良い生活のために自己犠牲をいとわず、予想外の政策を打ち出すムヒカ。そんな姿に憧れる映画監督がいた。それは『パパは出張中!』(85)『アンダーグラウンド』(95)『黒猫・白猫』(98)などで故郷ユーゴスラヴィアの混沌とした時代と庶民をパワフルに描き、世界三大映画祭で絶賛された名匠エミール・クストリッツァである。民族や宗教対立が故郷を引き裂く悲劇に巻き込まれたクストリッツァは、トラクターに乗る大統領の存在を知り、写真を見て「世界でただ1人腐敗していない政治家だ」と直感。2014年からムヒカの撮影を開始し、大統領として任期満了する感動の瞬間までをカメラに収めた。また、軍事政権下のウルグアイで極左ゲリラとして戦い、苛烈な拘留生活を過ごした事実や、生涯のパートナー、ルシア・トポランスキーとの固い絆にも迫る。
「大多数に選ばれし者は、上流階級のようにではなく、大多数と同じように暮らさなければならない」
 極貧家庭に育ち、権力と闘い、大統領として国民に愛されたムヒカ。波乱万丈の人生が終盤にさしかかった彼が語る言葉に、今こそ耳を傾けたい。


 ムヒカ大統領、その妻のルシア・トポランスキー、この映画の監督のエミール・クストリッツァ、それぞれの顔が実にいい顔をしているなあ、と思いました。特に大統領が監督に水タバコを与えるシーンは、なんともほのぼのとしていて、見ていて心が癒されました。こんな大統領が世界にいるなんて、なんて希望のもてる世界なのでしょう。まだまだ人類は捨てたものじゃないと思いました。日本の政治家も一歩でも早く、ムヒカのように考え、感じ、行動していってほしいと強く感じました。

 安倍政権はコロナ対策に失敗し続けており、それは全国の自治体にも普及してしまっているのですが、そんな中でも(つまりコロナ禍が収まってないうちにでも)自分たちに都合がいい時を見つければ、すぐに衆議院は解散され、総選挙になるでしょう。
 次回の総選挙では、野党陣営はしっかりとタッグを組んで、絶対に自民党・公明党・維新の会の3派からなる改憲勢力を過半数割れに持っていかねばなりません。そのためには、大同小異、意見の割れる部分もあるでしょうが、とにかく改憲勢力に勝つという1点で結びつき、過去そして現在の不仲などはとりあえず脇に置いておいて、小選挙区で野党の立候補者を1人に絞っていかねばなりません。立憲民主党、そして国民民主党が解体されて新たにできる新党、社民党、日本共産党、無所属で改憲に反対してくれている議員の方々が結束して、絶対に小選挙区で「護憲派VS改憲派」という図式を作っていかねば、また自民党に負けてしまいます。
 コロナ禍がまったく収まっていない今、全国民に対してPCR検査を無料で行なう(そして希望者があれば、何度でも無料で検査を受けられる)体制をすぐに作り出す必要が出てきています。本来コロナはインフルエンザの親戚みたいなものですから、夏に抑えこんでおかないと、秋、冬になるにつれて、また感染患者が増加していく心配があります。
 安倍首相も1日検査入院なんかしている場合じゃありません。緊急的に財政出動をして、桁数の違う検査の実施をただちに始めていただきたいと思います。そしてコロナが収まらない間は、少なくともその収束に全精力を注ぎ、選挙のことなど考えないでいただきたい。そう強く思いました!!(ちなみに堤さんの報告にもありましたが、8月24日の16区市民連合の会合で、護憲派の議員の方々にハンコを押してもらえるような要求の項目の洗い出しをしていくとのことでした。8月24日アミュー606号室で午後2時~4時での会合、参加するのを楽しみにしております。)

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小峰健二『惜別 森崎東(もりざきあずま)さん 「喜劇」の底流に悲哀や怒気』

2020-08-18 00:13:00 | ノンジャンル
 8月15日の朝日新聞の夕刊に、記者の小峰健二さんによる『惜別 森崎東さん 「喜劇」の底流に悲哀や怒気』と題された記事が載っていましたので、全文を転載させていただきます。

 21日に公開される映画「糸」の瀬々敬久(せせたかひさ)監督(60)は、今作で初めて組んだ倍賞美津子さんの姿に驚いた。誰もが認める大女優は、若いスタッフに小道具の使い方について意見を求めていたのだ。「森崎イムズが宿っているんだな」と思い至った。
 森崎さんは映画づくりの場で誰かが幅をきかせることを嫌ったという。たとえ、それが監督やベテラン俳優であっても、倍賞さんの分け隔てのない気さくな振る舞いは、1969年の「喜劇 女は度胸」から8本の作品に出続けた森崎映画の看板女優ならではのものだ。瀬々さんは、そうみている。
 森崎さんがつくる映画も同様だ。主役ばかりが中心になるのではない。登場人物それぞれの個性を浮き上がらせた。「まるで寄せ鍋のような群像劇。僕もそんな映画がつくりたいと思っています」と言う。
 映画に落とし込んだ感情も、森崎さんならではの多彩さだった。初監督作「喜劇 女は度胸」や71年「喜劇 女は男のふるさとヨ」のように「喜劇」とうたう作品にすら、底流には悲哀や怒気があった。映画評論家の山根貞男さん(80)は、「アマルガム(融合体)」と評する。「言い換えるなら、ごった煮のような独特の作品。それを見て、私たちは笑ったり、しんみりしたりしたものです」
 近所に住んでいたこともあり、45年にわたって親交を結んだ。電話で呼び出されて自宅に向かうと、映画のアイデアをぶつけられることもあった。「いつも生活者の声を採り入れることを考えていた。監督だからと、偉そうにふんぞり返ることのない人柄でした」
 いま、庶民の心の機微をすくい取る映画がどれほどあるだろう。コロナ禍に対する後手後手の対策により、世間が泣き、怒り、右往左往する現代にこそ、森崎さんの新作が見たかった。

 以上が記事です。この記事に出てくる瀬々敬久監督は私と同い年で、私も瀬々監督と同じように森崎監督の「女」シリーズの熱狂的なファンであり、その証拠に「喜劇 女は男のふるさとヨ」はDVDに焼いて、いつでも見ることのできる状態にしてあります。その映画の主演の倍賞美津子さんが魅力的なのはもちろんなのですが、ヌード劇場に女の子を派遣する「新宿芸能社」の女将さんを演じた中村メイコさんがヤクザのねぐらとなっている地下のバーに向かって汚物をまき散らす場面や、緑魔子さんが片目だけメーキャップして舞台に立つ、なんともせつない場面などもすぐに目に浮かびます。森崎さんは私が大学時代に親しくしていた早大シネマ研究会の学生たちとも親交があったようで、私は大学を卒業してから、その話を聞きました。
 とにかく森崎監督に私は何か縁を感じるほど、好きで好きでしょうがありません。ぜひ森崎監督の後を継ぐ新人監督が現われるのを切に願って、この文章を終わりにしたいと思います。

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ローレンス・ブロック編『短編画廊』

2020-08-17 04:40:00 | ノンジャンル
 ローレンス・ブロック編の2019年作品『短編画廊』を読みました。まずブロックによる「序文 はじめるまえに……」を一部転載させていただくと、

 エドワード・ホッパーは1882年7月22日にニューヨーク州アッパー・ナイアックで生まれ、1967年5月15日にニューヨーク市ワシントン・スクエア近くの自らのアトリエで死んだ。それまでの85年にわたる彼の人生はなかなか興味深いものだが、それをここで詳しく語るのは私の仕事ではない。(中略)
 話は脱線するが(中略)いかに本書編集のアイディアが浮かび、なぜこれほど著名な多くの作家が賛同してくれたのか、少し書いておきたい。
 (中略)気づいたときにはもうそこにアイディアが━━土台もタイトルも何もかもそろったアイディアが━━あった。私はほとんど何も考えることなく、仲間に迎えたい作家の最初のリストをつくった。
 そのとき考えた作家の大半がぜひ参加したいと言ってくれた。
 理由は友情ではなかった。(中略)エドワード・ホッパーが惹き寄せたのだ。全員が彼の作品を愛し、彼の作品に呼応してくれたのだ。それもいかにも作家らしく。
 ホッパーの絵に強く惹かれるというのは、アメリカだけでなく世界において珍しいことでもなんでもないが、私は最近とみにこう思うようになった。その傾向は読書家と作家にとりわけ顕著だと。(中略)
 ホッパーはイラストレーターでも物語画家でもない。(中略)ただ強く抗いがたく示唆している。絵の中に物語があることを、その物語は語られるのをも待っていることを。彼はある一瞬を切り取ってわれわれに提示する。そして、その瞬間には明らかに過去と未来がある。しかし、そのふたつを見つけるのはわれわれの仕事だ。
 本書の寄稿者はみなそれを実践してくれた。(後略)

では、具体的に収録されている短編を述べていきましょう。

ミーガン・アボット『ガーリー・ショウ』(ホッパーの作品は『Girlie Show』、以下同じ)
ジル・D・ブロック『キャロラインの話』(『Summer Evening』)
ロバート・オレン・バトラー『宵の蒼』(『Soir Bleu』)
リー・チャイルド『その出来事の真実』(『Hotel Lobby』)
ニコラス・クリストファー『海辺の部屋』(『Rooms By The Sea』)
マイクル・コナリー『夜鷹(ナイトホークス』(『Nighthawks』)
ジェフリー・ディーヴァー『11月10日に発生した事件につきまして』(『Hotel By A Railroad』)
クレイグ・ファーガソン『アダムズ牧師とクジラ』(『South Truro Church』)
スティーヴン・キング『音楽室』(『Room In New York』)
ジョー・R・ランズデール『映写技師ヒーロー』(『New York Movie』)
ゲイル・レヴィン『牧師のコレクション』(『City Roofs』)
ウォーレン・ムーア『夜のオフィスで』(『Office At Night』)
ジョイス・キャロル・オーツ『午前11時に会いましょう』(『Eleven A.M.』)
クリス・ネルスコット『1931年、静かなる光景』(『Hotel Room』)
ジョナサン・サントロファー『窓ごしの劇場』(『Night Windows』)
ジャスティン・スコット『朝日に立つ女』(『A Woman In The Sun』)
ローレンス・ブロック『オートマットの秋』(『Automat』)

 この中で特に面白いと思ったのは次の3編でした。

『海辺の部屋』 1年経つと1つずつ部屋が増えていき、家の構造も時によって変化するというファンタジーで、日本では三崎亜紀さんが書きそうな作品でした。

『映画技師ヒーロー』 映画技師をしている若い主人公が、みかじめ料を要求するやくざたちを、彼の恩師である引退した映画技師の指導に導かれて、5人射殺して回るというアクション満載の作品でした。

『窓ごしの劇場』 主人公は中庭をはさむ向かいの部屋で、若い女性が下着姿になったり裸になったりするのを毎日眺めています。そしてある日、今までの女と同じく、セックスで屈服させるため、手錠とナイフをポケットに入れて、彼女の部屋に入ることに成功しますが、セックスは彼女のペースで進んでしまい、彼は絶望して帰宅します。しかしあきらめきれない主人公は再び女の部屋を訪れると、そこには大量の血が残っていて、かけつけた警察は彼女の部屋から彼の精液の入ったコンドーム、そして彼の部屋からは女の血痕のついたナイフを発見します。しかし女の死体は見つかりません。それもそのはず、彼女は精神薄弱な妹の元に帰っていて、自分が殺されたように仕組み、男をだます策略を取っていたのでした。

 上記の3作品の中でも『映画技師ヒーロー』がダントツで面白かったと思います。キングとディーヴァーは遥かに予測を下回る出来でした。(キングに至っては数ページの文章でしかなく、他の作品に対して無礼であるとも感じました。)

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