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ラーラ・プレスコット『あの本は読まれているか』その1

2020-08-20 00:12:00 | ノンジャンル
 ラーラ・プレスコットの2019年作品『あの本は読まれているか』を読みました。

プロローグ タイピストたち
 わたしたちは(中略)一流大学を出てCIAに就職しており、だれもが一族で最初の大卒の娘だった。(中略)
 タイプライターは女のために作られたと言われている。(中略)

東 1949年~1950年
第一章 ミューズ
 黒い背広姿の男たちがやってきたとき、お茶はいかがですかとわたしの娘イーラは尋ねた。男たちはお願いしますと言った。(中略)
 返事をする隙を与えず、男のひとりがわたしの腕をつかんだ。逮捕するために送りこまれたというよりも、恋人のように。(中略)

 その大きな黄色いレンガ造りの建物に入ると、黒い背広の男たちは、独房まで連れていくのがおれたちでないことを感謝しろよという目で見てから、わたしをふたりの女看守に引き渡した。(中略)

 ボリスと最後に愛し合ったのは、彼が三度めの別れ話をしてきた一週間後のことだった。(中略)
 一か月後、わたしの肌は寒いところから帰って熱い風呂に身を沈めたときのように、うずきはじめた。このうずきはイーラやミーチャのときにも経験しており、ボリスの子を身ごもったと知ったのだった。

「近いうちに医師の診察があるから」小柄な看守が言った。(中略)

 まさに、看守たちはやってきた。一度にひとりずつ引っ張っていき、数時間後、目を充血させて黙りこくっている囚人を第七監房に戻した。(中略)(わたしの番になって、入った部屋には)軍服を着た男が、部屋の真ん中に置かれた大きな机についていた。その机の上には山積みの本や手紙があった。なんと、わたしの本、わたしの手紙だ。(中略)
「自己紹介させてもらうよ」(中略)「名前はアナトリ・セルゲイエヴィッチ━━」(中略)
「話すんだ」アナトリは言った。「『ドクトル・ジバゴ』は何についての本かね?」
「知りません」
「知らない?」
「彼はまだ書いている途中なんです」(中略)
 会おうという誘いに初めて応じたとき、わたしは約束の時間に遅れたのだけれど、ボリスは早く来ていた。(中略)
 それから毎朝、ボリスはアパートの前でわたしを待つようになった。(中略)
 わたしはボリスにすべてを話した。アパートで首を吊っていた最初の夫のこと、わたしの腕のなかで死んだ次の夫のこと、夫たちの前に付き合った男たちや、そのあとに付き合った男たちのこと。自分の恥や屈辱について。秘かな喜び━━列車から真っ先に降りたり、フェイスクリームや香水のラベルを前向きに並べたり、朝食にサワーチェリーパイを食べたり━━についても。最初の数か月間、わたしはひたすら話し、ボリスはひたすら聞いていた。(中略)
 けれど、わかっていた。アナトリ・セルゲイエヴィッチが聞きたがっているのは、こんな告白ではないと。
『ドクトル・ジバゴ』は反ソ思想ではありません。
 1時間後に戻って来たセミョーノフに、書いた手紙を渡した。彼はさっと目を通しただけで、裏返した。「明日の晩、もう一度やり直しだ」セミョーノフは紙をくしゃくしゃに丸めてその場に落とし、わたしを連れていくよう看守たちに手で合図した。

 毎晩、ひとりの看守がわたしを連れにやってきて、わたしはセミョーノフと短い会話をすることになった。(中略)
 わたしはセミョーノフが聞きたがっていることを話さなかった。小説はロシア革命に批判的で、ボリスは社会主義リアリズムを拒絶しており、国家の影響を受けずに心のまま生きて愛した登場人物たちを支持していると、教えはしなかった。
 ボーリャがわたしと出会う前にその小説を書きはじめていたことも、セミョーノフに言わなかった。(中略)
 ボーリャがわたしをミューズと呼んでいたことも。わたしたちが付き合うようになった最初の一年で、彼の小説はそれまでの三年分よりも進んだことも。(中略)
 実際、ボーリャは執筆に打ちこんでいた。(中略)
 モスクワのあちこちのアパートで開かれる小さな集まりで、ボーリャが朗読することもあった。(中略)
 わたしが書いた曖昧な答えに、セミョーノフはけっして満足しなかった。(中略)

 (中略)「おまえが求めていた面会だ、ようやくできる」
「わたしが?」わたしは尋ねた。「だれとですか?」
「パステルナークだ」セミョーノフは答えた。(中略)

(明日へ続きます……)

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