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田嶋陽子『愛という名の支配』その5

2020-08-02 10:58:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

・女の求愛が、媚のかたちとして発達しているのもそのせいではないでしょうか。食べものと自由のカケラを求めるためには、仕方がなかったのです。でも、そういう状況があまりにも長くつづいたので、女の愛情乞食は常態となってしまい、いつのまにか「女は愛に生きるもの」とされてしまったのです。

・男をつかまえるとき、女がもっていていちばん有利に働いたのが顔の美しさです。それだけでワンランク上の結婚が可能になることもありました。あとは子宮があって家事能力があって、「女らし」ければ、すなわち、気立てがよくて献身的なら、人格などどうでもよかったわけです。でも、その美しさもしだいにおとろえ、亭主の名字をくっつけられた子どもは、やがて母親から離れていく。それでも最後は、夫亡きあと、その子どもにまですがらざるをえないとは、踏んだりけったりです。

・そこでロレンスは、「触覚(touch)」の世界がおとしめられることで、いかに人間性も歪められ抑圧されてきたか、人間復活のためには「触覚」の世界の復権こそが大切なのだと主張しはじめました。しかも、女と男の生活のためには「やさしさ(tenderness)」、そしてやさしいふれあいの「触感」の世界こそが大切なのだと一生訴えつづけました。

・要するに、いまの日本の既婚男女の関係は、イギリスの1920年代ごろのそれにあたる、そんな気がします。ヴィクトリア朝のイギリスが植民地支配で利益をえて豊かになり、さまざまな社会問題に直面せざるをえなくなったのとおなじように、日本もいま、高度経済成長を成しとげて貧困から脱出し、みんな食べていけるようになって、やっと「衣食足りて礼節を知る」状況になってきたのではないでしょうか。家族や他人のことを考えはじめ、自分も相手もていねいに慈しまなければならないと、これからの新しい人間関係を模索しているのだと思います。

・家庭のなかはバイ菌ウヨウヨです。平和運動をやるのも結構、ボランティア活動をやるのも大いに結構。でも、ほんとうに戦争をなくしたかったら、人の心をつくる家庭のなかからこの軍隊の構造をなくしていくこと、家庭のなかの民主化をはかること、すなわち、夫が妻を鬼伍長にするような関係を変えていくことも同時進行で行われたほうがいいと思います。

・恋愛においては、その生活のなかでひじょうに具体的に過去が再現されます。親密さが、幼児期への退行現象をも引きおこします。過去へのなつかしさが相手に対する恋情になっているのではないかとさえ思うほどです。いわばデジャビュ(既視感)体験ですね。私という個体が相手を誘発して、そういう状況にもっていくのかもしれません。

・女の人が解放されたかったら、あるいは、夫や子どもとの関係をよくしたかったら、やっぱり、自分を育ててくれた親と自分との関係をよく知ることが大切です。それは自分を知るためのとても大切なプロセスだと思います。私たちが自信に満ちて、しかも、謙虚に明るく生きるためには、ありのままの自分を受け入れることです。

・自分が成育上どういう問題を道づれにしてしまったのか。父親や母親や兄弟・姉妹とはどういう関係だったのか。だれに、どのように育てられたか。だれとどういう関係をもっていたか。どういうことにショックを受けていたのか。どんなことに、どんな人に心やからだを傷つけられたのか。忘却のかなたに沈んでいるかもしれない過去をもういちど思いだし、そのときの気持ちを味わいなおし、大人になった自分が納得しておく必要があるのです。

・男は外に、女は内にという男女の性別役割分業が、そしてもっと言えば、男はガレー船の上に、女は下にという構造そのものが、地球汚染と搾取をくり返すことになっているのです。女にタダ働きをさせることで200パーセント働ける男の余剰能力が、地球という資源を過剰にむさぼり食らう結果にもつながっているからです。

・女の人は、家事・雑事、人の面倒をよく見るように何百年にもわたって訓練されてきました。男の人は甲板の上でいばっていてなにも訓練されてこなかったから、そういうことを男の人にやらせると時間がかかる。だから、女の人は面倒になって、男を変えようなんていうより、「私がちょっとがんばればそれでいい。そのほうが波風たてるよりラク」ということになるんです。

・そのためには、これまでの価値観や生き方を変えていかないといけません。「産めよ増やせよ」や、効率重視の大量生産と消費の時代から、心とからだ、内と外とのバランスのとれた、ゆったりした生活への変化が求められているのです。

・男権支配のなかで男たちが見落としてきた、出産・育児・家事といった不払い家事労働の意味を、マルキシズムを分析の武器にして再検討するのがマルクス主義フェミニズムだと思います。

(また明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto