福岡伸一さんが朝日新聞の木曜日に掲載している恒例のコラム「福岡伸一の動的平衡」で、「命の美しさ 感じる心こそ」と題するコラムを書いていました。全文を引用させていただくと、
「子どもの育ちにとってもっとも大切なものはなんだろう。それは早々と九九を言えたり、英語がしゃべれたりすることではないはずだ。知ることよりもまず感じること。そう言ったのは、卓越した先見性をもって環境問題に警鐘を鳴らした生物学者レイチェル・カーソンである。彼女は『センス・オブ・ワンダー』という言葉を使った。驚きを感じる心、とでも訳せようか。何に対する驚きか。それは自然の精妙さ、繊細さ、あるいは美しさに対してである。
自然とは、アマゾンやアフリカのような大自然である必要は全然ないと言う。ほんの小自然でよい。近くの公園や水辺? いや、コンクリートに囲まれ、空調の中に住み、電脳世界に支配されている私たちにとって、もっとも身近な自然とは、自分自身の生命にほかならない。私たちはふいに生まれ、いつか必ず死ぬ。病を得れば伏し、切れば血を流す。これこそが自然だ。そして私の生命はいつもまわりの自然と直接的につながっている。
心臓の鼓動でセミしぐれの声に、吐く白い息が冷たい空気の中に、あふれた涙がにじんだ夕日に溶けていくことを感じる心がセンス・オブ・ワンダーである。それは大人になってもその人を支えつづける。私の好きな高野公彦に次の歌がある。〈青春はみずきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき〉」
また、7月20日に掲載されたコラム「外来種 一番迷惑なのは…」の全文を転載させていただくと、
「南米原産のヒアリが日本各地で発見された。まるでエイリアンが襲撃してきたかのような騒ぎだが、少し冷静になった方がよいかもしれない。
我々はなぜかムシの話題に過敏だ。数年前、デング熱ウイルスを媒介する蚊が潜んでいるとして代々木公園が一時封鎖された。もう少し前には、セアカゴケグモという毒グモの日本侵入が連日ニュースをにぎわせた。
蚊は今も飛び交じっているはずだが、代々木公園には平穏が戻り、セアカゴケグモも着実に日本各地へ分布を広げているのだが、私たちはすっかり忘れている。
ヒアリは毒針を持つが、アリはそもそもハチの一種なので、アリが刺すくらいのことはいくらでもアリうる。そして人が指先でつまみでもしないかぎり、好戦的に攻撃をしかけてくることもない。それをいうならスズメバチの方がよほど凶暴だ。いちど、私は巣の様子を見ようとちょっと近づいたところ、いきなり警戒バチにスクランブルをかけられた。慌てて逃げようとしたが、悲しいかな運動音痴、一気に耳を刺された。
どんな固有種でも、最初の生命が海で生まれた以上、もとは外来種である。そして、1億年以上前からこの地球に生息しているムシたちにとって、一番迷惑な外来種はヒトである。ヒアリの移動も人間のせいだ。私たちはもっと謙虚であるべきなのだ」
また、7月27日に掲載されたコラム「作ることは、壊すこと」の全文を転載させていただくと、
「伊勢神宮と法隆寺、どちらが生命的だろうか? ある建築家と話していて、こんな奇妙な議論になった。私が、生命を生命たらしめているのは、絶えず分解と合成を繰り返す動的平衡の作用である、と言ったからだった。20年に1回、新たに建て替えられる伊勢神宮の方に一見、分があるように思える。が、法隆寺の方は、世界最古の木造建築といわれながら、長い年月をかけてさまざまな部材が常に少しずつ更新されてきた。その意味で、全とりかえをする前者よりも、ちょっとずつ変える後者の方がより生命的ではないか。これが私の意見である。
ところで世間では、しばしば、解体的出直し、といったことが叫ばれるが、解体しなければニッチもサッチもいかなくなった組織はその時点でもう終わりである。そうならないために、生命はいつも自らを解体し、構築しなおしている。つまり(大きく)変わらないために、(小さく)変わり続けている。そして、あらかじめ分解することを予定した上で、合成がなされている。
都市に立ちならぶ高層ビル群を眺めながら思う。はたしてこの中に、解体することを想定して建設された建物があるだろうか。作ることに壊すことがすでに含まれている。これが生命のあり方だ。そろそろ私たちも自らの20世紀型パラダイムを作り替える必要があるのではないだろうか」
どれも大変勉強になるコラムでした。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
「子どもの育ちにとってもっとも大切なものはなんだろう。それは早々と九九を言えたり、英語がしゃべれたりすることではないはずだ。知ることよりもまず感じること。そう言ったのは、卓越した先見性をもって環境問題に警鐘を鳴らした生物学者レイチェル・カーソンである。彼女は『センス・オブ・ワンダー』という言葉を使った。驚きを感じる心、とでも訳せようか。何に対する驚きか。それは自然の精妙さ、繊細さ、あるいは美しさに対してである。
自然とは、アマゾンやアフリカのような大自然である必要は全然ないと言う。ほんの小自然でよい。近くの公園や水辺? いや、コンクリートに囲まれ、空調の中に住み、電脳世界に支配されている私たちにとって、もっとも身近な自然とは、自分自身の生命にほかならない。私たちはふいに生まれ、いつか必ず死ぬ。病を得れば伏し、切れば血を流す。これこそが自然だ。そして私の生命はいつもまわりの自然と直接的につながっている。
心臓の鼓動でセミしぐれの声に、吐く白い息が冷たい空気の中に、あふれた涙がにじんだ夕日に溶けていくことを感じる心がセンス・オブ・ワンダーである。それは大人になってもその人を支えつづける。私の好きな高野公彦に次の歌がある。〈青春はみずきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき〉」
また、7月20日に掲載されたコラム「外来種 一番迷惑なのは…」の全文を転載させていただくと、
「南米原産のヒアリが日本各地で発見された。まるでエイリアンが襲撃してきたかのような騒ぎだが、少し冷静になった方がよいかもしれない。
我々はなぜかムシの話題に過敏だ。数年前、デング熱ウイルスを媒介する蚊が潜んでいるとして代々木公園が一時封鎖された。もう少し前には、セアカゴケグモという毒グモの日本侵入が連日ニュースをにぎわせた。
蚊は今も飛び交じっているはずだが、代々木公園には平穏が戻り、セアカゴケグモも着実に日本各地へ分布を広げているのだが、私たちはすっかり忘れている。
ヒアリは毒針を持つが、アリはそもそもハチの一種なので、アリが刺すくらいのことはいくらでもアリうる。そして人が指先でつまみでもしないかぎり、好戦的に攻撃をしかけてくることもない。それをいうならスズメバチの方がよほど凶暴だ。いちど、私は巣の様子を見ようとちょっと近づいたところ、いきなり警戒バチにスクランブルをかけられた。慌てて逃げようとしたが、悲しいかな運動音痴、一気に耳を刺された。
どんな固有種でも、最初の生命が海で生まれた以上、もとは外来種である。そして、1億年以上前からこの地球に生息しているムシたちにとって、一番迷惑な外来種はヒトである。ヒアリの移動も人間のせいだ。私たちはもっと謙虚であるべきなのだ」
また、7月27日に掲載されたコラム「作ることは、壊すこと」の全文を転載させていただくと、
「伊勢神宮と法隆寺、どちらが生命的だろうか? ある建築家と話していて、こんな奇妙な議論になった。私が、生命を生命たらしめているのは、絶えず分解と合成を繰り返す動的平衡の作用である、と言ったからだった。20年に1回、新たに建て替えられる伊勢神宮の方に一見、分があるように思える。が、法隆寺の方は、世界最古の木造建築といわれながら、長い年月をかけてさまざまな部材が常に少しずつ更新されてきた。その意味で、全とりかえをする前者よりも、ちょっとずつ変える後者の方がより生命的ではないか。これが私の意見である。
ところで世間では、しばしば、解体的出直し、といったことが叫ばれるが、解体しなければニッチもサッチもいかなくなった組織はその時点でもう終わりである。そうならないために、生命はいつも自らを解体し、構築しなおしている。つまり(大きく)変わらないために、(小さく)変わり続けている。そして、あらかじめ分解することを予定した上で、合成がなされている。
都市に立ちならぶ高層ビル群を眺めながら思う。はたしてこの中に、解体することを想定して建設された建物があるだろうか。作ることに壊すことがすでに含まれている。これが生命のあり方だ。そろそろ私たちも自らの20世紀型パラダイムを作り替える必要があるのではないだろうか」
どれも大変勉強になるコラムでした。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)