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西加奈子『サラバ!』その10

2017-07-06 05:52:00 | ノンジャンル
 今日はビル・エヴァンスとともにそれぞれのパートにソロの部分を置くという現在のジャズの形を創造したスコット・ラファロが亡くなってからちょうど56年目に当たる日です。スコット・ラファロは自動車事故で急逝し、27歳で死んでしまいました。改めて彼の残してくれた演奏に感謝するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

 さて、また昨日の続きです。
 僕の入ったサークルの貼り紙には、映画の1シーンと部活の場所しか書いていなかった。一緒に載っている写真だけが変わっていた。「こわれゆく女」のジーナ・ローランズ、「女は女である」のアンナ・カリーナ、「パリ、テキサス」のハリー・ディーン・スタントン。映画の説明は書いていなかったのに、それが分かる自分が誇らしかった。
 結局僕は、このサークルにどっぷり浸かることになった。そんな中で、僕は、人生で初めて、小説を書く奴に出会った。小説は、書こうと思えば、たった今からでも書けるのだ。僕は衝撃を受けた。彼は小学校3年から書いていたと言った。僕は、絶句した。勝てない。そのときそう思った自分が不思議だったが、でもその感情は真実だった。
 僕は純粋な男同士の喜びに没頭するたび、日々自分の体が浄化されてゆくような気がした。もちろん部員の中には恋愛を楽しむどころか、まっさらの童貞もたくさんいた。彼らは諦めていなかった。でも、そんなサークルの平和が、ある女の子の登場で崩れた。夏の暑い日、部室の扉をノックする音がした。鴻上がやって来たのだ。鴻上がいるだけで、男子部員は落ち着かなかった。皆、会話もしなかった。そのとき、僕には恋人がいた。アルバイト先で知り合った、晶(あきら)という、男の子みたいな名前で、髪をひっつめて縛っていた。晶は化粧もしていないのに、すごく美人だった。最初に話かけたのは誰だっただろうか。いつの間にか鴻上はれっきとした部員になった。飲み会に参加し、ときに自分が好きな音楽のCDを持ってきてかけ、秋になる頃には授業をさぼって部室でダラダラするという、僕達の伝統を守るようになっていた。それだけなら良かった。鴻上は、股のゆるい女の子だった。飲み会の後、送っていった部員と鴻上が関係を持っていると僕が知ったときには、もう鴻上は、ほとんど全員とヤッテいた。
 ある日、鴻上は僕に言った。「今橋さんって、私のこと軽蔑してますよね?」僕はむせた。「むせてる。図星だからだ。」「別に、軽蔑なんて……。」「いいんです。無理しないで。分かってるし。軽蔑されるのって、楽だから。」そしてやっぱり、にっこりと笑った。
 皮肉なことに、鴻上は、僕の人生において初めての女友達になった。僕と鴻上はあの日から、不思議なほどよく会った。初めは警戒していた僕も、鴻上のあまりの屈託のなさに、段々心を許すようになった。無口と思っていた鴻上は、実によく喋った。映画のこと、音楽のこと、そしてほとんどの部員と関係をもったいきさつまで。「俺、昔関係あった子と絶対会いたくないわ。」「え、私全然平気です。」僕は部室に行かなくなった。今や僕は、部室よりも鴻上といる方が心地よかった。「そういえば、鴻上って、将来やりたいこととかあるん?」「いやー、特にないですね。なんかずっとこんな感じで生きていけたら、て思ってますけど、まあ、無理でしょうね。私、一度誘拐されたことがあるんです。家に戻ってから、両親の溺愛ぶりが、もう半端なくなって。私、今までの人生で両親からダメって言われたこと一度もないんですよ?」「鴻上のグレたお姉さんは、今どうしてるん?」「死にました。飛び降りたんです。二十歳のとき。もうすぐ姉を越しちゃうな。」小さな声で、呟いた。
 姉は、父の住むドバイで、安定した生活を送っているようだった。父の記述で多かったのが、姉がモスクの礼拝に行った、というものだった。圷家は空中分解していた。だが、僕は、今このときが、我々にとって一番心安らかな状態だと思っていた。母は、いつの間にか新しい恋人を作っていた。それにしても、父の忍耐力と懐の深さには、本当に恐れ入る。厄介な長女を引き受け、別れた妻とその家族を援助し、ほとんど関係がなくなった親戚の借金まで返済、そして長男を、東京の私立大学に行かせているのだから。父がどうしてそこまで自分を追いつめていたのかは、後に知ることになる。僕が4年生になった夏のある日、父からFAXが届いた。『年内に赴任が終わります。』僕はもちろん、憂鬱だった。あの姉が、帰ってくるのだ。
 僕は就職活動をしなかった。晶は、数十社受けて、やっと小さな映像プロダクションに入社していた。朝から晩まで働かされ、安い給料で、日に日にやつれていた。晶とは休みの日もあまり会えなくなって、いきおい僕は、鴻上と過ごすことが多くなった。定年まであと数年しかない父の願いは、思ったより簡単にかなえられた。父は東京支社勤務となった。姉がまた母とふたりで暮らして、うまくいくわけがないと、父も確信していたのだろう。(また明日へ続きます……)