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西加奈子『サラバ!』その15

2017-07-11 05:18:00 | ノンジャンル
 昨日の衆参での参考人招致で、前川元事務次官と政府側の答弁が真っ向から対立し、どちらかが嘘を言っていることが明らかとなりました。普通に考えれば、嘘を言って得することなど一つもない前川さんの言葉をみな信用すると思います。安倍首相が帰国後、どのような「説明責任」を負い、またどんな反論をするのか、期待しましょう。

 さて、また昨日の続きです。
 アイザックは、とても理知的で静かな、学者タイプの男だった。姉の急な帰郷、そして変貌に驚いたあまり、母のことをじっくり見るのを忘れてしまっていたが、母は昔のような輝きを失っていた。「ふたりは、あの、どこで出会ったん?」恐る恐る訊いた僕に、姉は「チベット。」即答した。「じゃあ……」「4年前かな?」母も、姉とアイザックのつきあいが思ったより長いことに、驚いたようだった。「寺院でバター彫刻を見てたら、彼も同じのを見てたの。」「それで? 見つかった?」夏枝おばさんだった。「見つけたわ。」姉はにっこり笑って言った。
 翌日、アイザックがユダヤ教徒であると伝えると、母は驚いた。「私も改宗したの。ユダヤ教徒はユダヤ教徒としか結婚出来ないらしいから。」と姉。
 すぐに戻るつもりだった僕は、思いがけず長く、実家に留まることになった。僕は髪も、美しい女の子たちも、興味深い仕事も失ったのだ。この15年で、僕はこんなに変わってしまった。一方、同じように変わった姉だったが、その変化は僕のそれとは違った。決して、惨めなものではなかった。ヨガは姉の日課だった。姉はよどみなく話した。かつて姉がこんなに饒舌に話すことはなかった。僕は、姉の前で完全に気配を消していた。姉はたやすく何かを「大いなるもの」にし、それに完全に、全身全霊でよりかかってきた。「ヨガって、いろんなポーズがあるでしょう。そのどれも、体の幹がしっかりしてないと出来ないの。私が見つけたのは、信じたのは、その幹みたいなものなの。」そのとき、澄江から携帯に電話がかかってきた。聞こえたのは、澄江がセックスするときに立てる声だった。
 地面に叩きつけられるような気がした。僕は澄江が気づくまで、じっとこのままでいてやろうと決めた。「あれ、もしもし? 歩君? 繋がってる?」「あはははは」僕は笑った「ははははは、最高やわ、最高!」僕の笑いは、狂気じみてきた。
 遅れて怒りがやって来たのは、明け方だった。最後のメールには、もし許してもらえるならば、大阪まで行く、と書いてあった。ざまを見ろ、という気持ちになったのは、僕が澄江と別れるつもりだったからだし、少し気分が良かったのは、澄江が焦燥していることが分かったからだった。僕は澄江に電話することにした。「好きになられへんくてごめん」というつもりだった。しかし「歩君、ごめんね。」という澄江の一言で僕のプライドは崩れた。「僕は付き合ってる気なかった。」「歩君は、いつもそうだよね。そうだったよね。」澄江はしばらく泣いていた。それから、「今までありがとう」と言った。いつまで、そうやってるつもりなの? 僕はその質問から全力で逃げていた。
 驚くべきことに、姉とアイザックの朝のヨガに、母も同行するようになっていた。澄江とのことがあってからも、僕はだらだらと実家にい続けていた。姉は僕に言った。「芯を持ちなさい。」僕は、これ以上ないほどの暴力的な気持ちになった。「あんたが信じるものを見つけるために、僕らの家族がどれだけ嫌な思いをしたか。分かるか? 父親が出家したんやぞ? それもあんたの芯のなせる業か?」「私は少なくとも、信じようとしたのよ。あなたは違う。何かを信じようとしてこなかった。あなたは誰かと自分を比べて、ずっと揺れていたのよ。チベットで、アイザックに会ったの。」「なんやねん。結局男かよ、人任せやん。」「違う。聞いて。私が信じるものは、私が決めるわ。だからね、歩。あなたも、信じるものを見つけなさい。」
 僕は逃げた。姉から、実家から逃げた。そうしないと自分を保っていられなかった。姉からの愛を、恐ろしいほどに感じたあの一瞬を、僕はなかったことにした。そんな時、須玖からメールが届いた。「早く会いたいわ! 話したいこといっぱいあるねん。鴻上さんも今橋に会いたいって言うてるで!」まるで、神様から手紙が来たような気分だった。僕はふたりを強く求めた。(また明日へ続きます……)