ウィンブルドン・テニス、いよいよ開幕です。今錦織圭の初戦が放送されています。相手は格下のチェキナート。6-2、6-2、6-0のストレートで快勝しました。試合時間は1時間11分。体への負担も少なく、勝ち上がりました。ケガの心配も今のところないようです。次の選手はランキング100代の選手。ただ、以前にフェデラーを破ったこともあるとのこと。決して油断はできない相手だそうです。錦織、何回戦まで勝ち上がるれるのか、楽しみです。ちなみにマリー、ナダルも初戦は楽勝だったそうで、、バブリンカは初戦で敗退したそうです。
さて。また昨日の続きです。
僕は2年になり、学校にも慣れ、余裕が出来てきた。そんな中、空前の恋愛ブームに最初に火をつけたのは環境クラブに所属している長内という男子と土生という女子だった。あんな奴に先をこされた、皆そう思った。そこから、学年中に告白の風が吹き荒れたのだ。学年で可愛い子は限られていた。サッカー部内でも、4人が同じ女の子のことを好きだった。雑賀(さいが)真琴という、陸上部の子だった。雑賀と姉を比べるのはまったく申し訳なかったが、僕はどうも「私を見て!」的な女の子には、恐怖に似た嫌悪を感じるようだった。僕はある時、ぶつかりそうになって、まじかから肌を見た有島の肌を思い出すようになった。
有島との恋が始まるということは、男同士の、他愛もない楽しい時間が終わるということだった。僕はどうしたか。保留にした。有島の気持ちが分かっただけで十分なのだから、僕はその優越感、幸福感を棚にあげることにしたのだ。僕の格は、上なのだ。サッカー部、身長、顔。僕の手元には、たくさんの青いクレヨンがあったのだ。僕はだんだん、有島に告白したことを、後悔するようになった。有島はマメに手紙を書き、僕に寄越したが、僕は返事を出さなかった。そして、これが一番重要なことだが、有島そのものに魅力を感じなくなってきていた。有島は僕の前で可愛らしい仕草をするようになった。別れを告げたとき、有島は傷ついたようだった。それはそうだ。そもそも告白したのは、僕の方なのだ。この初めての、そしてとてつもなく苦い恋愛経験は、そちの僕の恋愛に、少なからず影響を与えるようになった。
母は痩せた。母は、明らかにウキウキしていた。母は、1週間に一度、平日の夜に必ず出かけた。僕の中で不倫というものは湿っぽく、後ろ暗いもののはずだった。なのに母からは、そのような雰囲気が微塵も感じられなかった。僕は帰国後も、月に一度か二度は、父に会っていた。僕は私立の男子校に行きたかった。僕の仲の良い友人が行くと言っていたからだ。僕はいつも自慰の後、自己嫌悪に陥った。僕はつまり、女の子のいない世界に行きたかった。付き合うとしても学外の子だろう。学外の子であったなら、どんなにたくさんの子と付き合おうが、よしんば二股をかけようが、女の子たちにバレることはないだろうと思ったのだ。久しぶりに会った父は、これ以上不可能なほどに痩せていた。思わず絶句した僕だったが、父は思いのほか元気だった。父は僕の志望校が決まったことを母から聞いていて、励ましてくれた。父といたら、僕は毎日父に感謝しなければならなかっただろう。
サトラコヲモンサマは、みるみる巨大化していった。参拝者は、後を絶たなかった。参拝者は、サトラコヲモンサマの建物をネドコといった。力を持つようになった者はそのままサイコザンとよばれ、その下にコザン、チュウケン、シンザンが続いた。チュウケンがコザンになることや、コザンがサイコザンになることは決してなかった。サトラコヲモンサマの最大の特徴は、いわゆる教祖がいないことだった。おばちゃんは、サトラコヲモンサマに供えられた金品を、自分のために使うことはなかった。母も祖母も、以前のように矢田のおばちゃんを訪ねるようになった。そんなおばちゃんが、特別に接する人物がひとりだけいた。姉である。今、姉は、真剣に祈っているように見えた。姉は今橋家の一員としておばちゃんの家に遊びに行った。祭壇のなくなったおばちゃんの家で、姉は小さな頃のようにおばちゃんに甘え、時々は一緒に銭湯に行った。矢田のおばちゃんが合うことが出来ない信奉者たちにとって、おばちゃんに会うことが許されている姉は、教祖の預言者となる人だった。姉はだから、奇行によって注目を集める必要がなくなった。僕は希望校に受かり、本当に嬉しかった。一番大きな喜びは、通学の間だけでも、この街を離れられることだった。
発表の夜、僕の合格を、祖母の家で祝ってくれることになった。夏枝おばさんは、お礼に神社へ姉と僕を連れて行った。おばさんの隣に立って目をつむると、ヤコブがいたということを、奇跡のように思い出すことが出来た。(また明日へ続きます……)
さて。また昨日の続きです。
僕は2年になり、学校にも慣れ、余裕が出来てきた。そんな中、空前の恋愛ブームに最初に火をつけたのは環境クラブに所属している長内という男子と土生という女子だった。あんな奴に先をこされた、皆そう思った。そこから、学年中に告白の風が吹き荒れたのだ。学年で可愛い子は限られていた。サッカー部内でも、4人が同じ女の子のことを好きだった。雑賀(さいが)真琴という、陸上部の子だった。雑賀と姉を比べるのはまったく申し訳なかったが、僕はどうも「私を見て!」的な女の子には、恐怖に似た嫌悪を感じるようだった。僕はある時、ぶつかりそうになって、まじかから肌を見た有島の肌を思い出すようになった。
有島との恋が始まるということは、男同士の、他愛もない楽しい時間が終わるということだった。僕はどうしたか。保留にした。有島の気持ちが分かっただけで十分なのだから、僕はその優越感、幸福感を棚にあげることにしたのだ。僕の格は、上なのだ。サッカー部、身長、顔。僕の手元には、たくさんの青いクレヨンがあったのだ。僕はだんだん、有島に告白したことを、後悔するようになった。有島はマメに手紙を書き、僕に寄越したが、僕は返事を出さなかった。そして、これが一番重要なことだが、有島そのものに魅力を感じなくなってきていた。有島は僕の前で可愛らしい仕草をするようになった。別れを告げたとき、有島は傷ついたようだった。それはそうだ。そもそも告白したのは、僕の方なのだ。この初めての、そしてとてつもなく苦い恋愛経験は、そちの僕の恋愛に、少なからず影響を与えるようになった。
母は痩せた。母は、明らかにウキウキしていた。母は、1週間に一度、平日の夜に必ず出かけた。僕の中で不倫というものは湿っぽく、後ろ暗いもののはずだった。なのに母からは、そのような雰囲気が微塵も感じられなかった。僕は帰国後も、月に一度か二度は、父に会っていた。僕は私立の男子校に行きたかった。僕の仲の良い友人が行くと言っていたからだ。僕はいつも自慰の後、自己嫌悪に陥った。僕はつまり、女の子のいない世界に行きたかった。付き合うとしても学外の子だろう。学外の子であったなら、どんなにたくさんの子と付き合おうが、よしんば二股をかけようが、女の子たちにバレることはないだろうと思ったのだ。久しぶりに会った父は、これ以上不可能なほどに痩せていた。思わず絶句した僕だったが、父は思いのほか元気だった。父は僕の志望校が決まったことを母から聞いていて、励ましてくれた。父といたら、僕は毎日父に感謝しなければならなかっただろう。
サトラコヲモンサマは、みるみる巨大化していった。参拝者は、後を絶たなかった。参拝者は、サトラコヲモンサマの建物をネドコといった。力を持つようになった者はそのままサイコザンとよばれ、その下にコザン、チュウケン、シンザンが続いた。チュウケンがコザンになることや、コザンがサイコザンになることは決してなかった。サトラコヲモンサマの最大の特徴は、いわゆる教祖がいないことだった。おばちゃんは、サトラコヲモンサマに供えられた金品を、自分のために使うことはなかった。母も祖母も、以前のように矢田のおばちゃんを訪ねるようになった。そんなおばちゃんが、特別に接する人物がひとりだけいた。姉である。今、姉は、真剣に祈っているように見えた。姉は今橋家の一員としておばちゃんの家に遊びに行った。祭壇のなくなったおばちゃんの家で、姉は小さな頃のようにおばちゃんに甘え、時々は一緒に銭湯に行った。矢田のおばちゃんが合うことが出来ない信奉者たちにとって、おばちゃんに会うことが許されている姉は、教祖の預言者となる人だった。姉はだから、奇行によって注目を集める必要がなくなった。僕は希望校に受かり、本当に嬉しかった。一番大きな喜びは、通学の間だけでも、この街を離れられることだった。
発表の夜、僕の合格を、祖母の家で祝ってくれることになった。夏枝おばさんは、お礼に神社へ姉と僕を連れて行った。おばさんの隣に立って目をつむると、ヤコブがいたということを、奇跡のように思い出すことが出来た。(また明日へ続きます……)