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深作欣二監督『仁義なき戦い・完結篇』その2

2014-06-28 08:58:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 “昭44.9.15 広島市流川附近”。数日後、槙原への松村の工作を知った市岡は、一挙に態勢を挽回すべく広島に繰り出し、店を荒らし出した。天政会からの電話に松村は出ない。市岡は大友に会うが、松村が仕掛けてくるまで待てと言われる。間野は、今は松村は留守だと言い、市岡と大友の動きを松村に報告し、市岡は襲われる。“昭44.9.15夜 市岡組々長 市岡輝吉死亡”。これは反松村派を震え上がらせた。市岡の弔い合戦を決意した大友は、早川と槙原に応援してもらえず、間野からは付いていけないので松村に身を預けると言われ、1人拳銃を腰に差し事務所を出て行くが、周りを固めていた警官に逮捕される。“昭44.9.16 大友勝利逮捕 懲役6年”。これで反松村派は壊滅し、警察は松村を拘引して事情聴取をしたがすぐに釈放し、松村は急遽幹部会を開いて政治結社としての天政会を解散させ、傘下の全会員と改めて盃を交わした。早川だけは引退し、組を解散させることを警察に届けたが、若頭は新しい組を作り天政会に参加したいと申し出て、若頭補佐は尾道の明石組系列の新風会の望月と兄弟分となり、どちらに転んでもいいように手を打った。
 氏家の許にアキが新人を無理矢理連れて来て、勝手なことをするなとアキは怒られる。氏家は問題は武田が出所してからだと言い、松村は武田が戻ってきたら、自分はまた理事長の席に戻ると言った。武田は出所して会長に復帰し、3ヶ月後の広能の出所に備える。松村は広能に明石組と縁を切るように言うことを提案するが、武田は喧嘩を売っているようなものだと言い、取りあえず広能のことは保留とする。その話はその日中に広島中に広がり、山守と早川は槙原に、松村と武田は反目し合っているので、トップを取るチャンスだと焚き付ける。呉では広能組と槙原組が小競り合いを始め、アキは家族から金を盗み拳銃を買う。“昭45.7.7 呉市 中通り商店街”。槙原を狙ったアキはビビって小便を洩らし、代わりに相棒が拳銃を発射する。“昭45.7.7 槙原組々長 槙原政吉死亡”。天政会幹部は広能組への態度を硬化させ、円満解決を図る武田は窮地に立つ。
 “北海道 札幌刑務所”。広能の出所は秘密裏に行なわれ、正門前で待つ50名の明石組は裏をかかれた。都内に潜伏する広能を武田が訪れ、幹部会で広能が引退せぬ限り広島入りを認めないと決まったと言い、槙原を殺ったのは2回りも違う若者だったことから、自分も引退すると言ったが、広能は断った。
 翌日、広能は主だった子分を連れて松山の明石組系の組に草鞋を脱いだ。広島では広能・明石連合軍が攻めて来るという噂が流れ、天政会幹部は色めきだった。松山から広島までは水中翼船で1時間。3日後、松村は武田に無断で広能を訪ね、「会長は引退声明を出し、自分に後を継げと言っているが、その返事はあなた次第だ。氏家さんに理事長の席を用意する」と言うが、広能は「寝首を掻かれるような所へ氏家を出せない。まず足元を固めろ」と答え、松村は「襲名式の後、またお邪魔する」と言って去る。
 9月20日に松村の襲名式が決まり、松村は関西に挨拶に回るが、元早川組の者と元大友組の者に命を狙われる。“昭45.9.18 大阪西成・南海線今池駅附近”。踏切で松村の車は襲撃される。“昭45.9.18 天政会副会長 江田省一死亡”。松村は江田と席を代わっていたので命は取り留めたが、重傷のまま広島に返される。反松村の早川の許には尾道の新風会主体に二百人の応援が集まるが、広能は早川からの電話には出ない。昏睡状態から覚めた松村は、警察の圧力で襲名披露の会場が借りられなくなり、親分衆も帰ってしまったと知らされるが、広島の者だけでいいと言って襲名披露を強行し、訪れた広能は氏家の世話を頼むと頭を下げる。広能「ええ若いもんを連れたのう」武田「落ち着いたら一杯飲もう」「飲まん。死んだもんにスマンけんのう」。
 2人は共通の予感、つまり戦いの火はまだ燃え続けるという思いを持っていた。“昭45.9.25 呉市 中通り三映劇場前”。乱射事件。アキの葬式。広能は少年の顔を覚えていなかった。そして引退を決意した。「20数年、組織を作り戦って来たが、若者の血が流れただけだった。弱肉強食の世界はいつ終わるのか」のナレーションで映画は終わる。

 やはりアクションシーンでの手持ちカメラのブレ具合が印象に残りました。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto