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佐藤多佳子『聖夜』

2011-05-30 00:45:00 | ノンジャンル
 佐藤多佳子さんの'10年作品『聖夜』を読みました。
 キリスト教系の高等学校の毎日の礼拝や行事で礼拝奏楽をしている俺らのオルガン部は、3年で部長の俺と渡辺、2年の青木と天野、1年の北沢からなっていて、俺は天野の出す音が気になっている。俺は牧師の父と父方の祖母と住んでいるが、元ピアニストだった母は、俺が10才の時にドイツ人の有名なオルガン奏者とともに家を出ていってしまった。俺は聖書研究会にも入っていて、神の残酷さと気紛れを理不尽と感じ、信仰を見い出していない。今までは父の友人であり聖書科の主任である近藤先生が聖書研究会とオルガン部の顧問をしてくれていたが、先生はオルガン奏者ではなく、今回俺の通っている学校の大学院のオルガン科から倉田ゆかりコーチがやってきてくれることになった。倉田コーチは9月の文化祭にオルガン部でコンサートをやろうと提案し、俺は母の演奏で音に酔った曲、メシアンの『主の降誕』から『神はわれらのうちに』を演奏することにする。いつも初見でどんな曲でも弾ける俺が、この曲は弾けず、音楽の専門でもない学校でちょっと弾けるだけでいい気になっていたことを俺は思い知る。倉田コーチはこの曲で卒論を書いたと言ってくれ、俺がこの曲を弾くことを応援してくれる。俺は学校からの帰り、歩道橋を頑固に登る老人についての曲を作った時、自分の感情をオープンにすることになり、それがきっかけで、これまで音楽に関わる時、心をオープンにしていなかったことに気付く。俺は幼い頃から、ELPのキース・エマーソンがキーボードを暴力的に弾く様子に魅せられてきていたが、ある日気紛れから、礼拝の後奏でELPの『展覧会の絵』を演奏してしまい、近藤先生に確信犯でそれを行ったことを叱られ、奏楽のメンバーからしばらく外されることになる。その直後、同級生の深井にELPを演奏しただろうと言われ、彼から知り合いにELPが大好きなキーボード奏者がいると教えられる。文化祭のコンサートの前日、俺は青木に告白され、俺の中も外もカッコイイを言われるが、俺はその言葉を素直に受け入れることができない。コンサート当日、深井に誘われた俺はコンサートをすっぽかして、彼の家に遊びに行ってしまい、彼のレコードを聞いて楽しい時を過ごし、その後新宿の輸入レコード店に行くと、そこで例のキーボード奏者である笹本さんを紹介され、その夜、彼のライブを聞きに行く。ライブ後、笹本さんはキース・エマーソンは単純に音楽家なんだと言い、その言葉は俺に素直に入ってくる。翌日家に帰った俺は、祖母から、一切悪さをしない父のような生き方はつらいので、明るく悪さをした祖父のように生きろと言われ、また父のことをかわいそうだと言って涙ぐむ祖母を見て、母に会いたいと強く思う。その夜俺は父の部屋で初めて面と向かって話をし、その場で母から俺に宛てて送られてきていた手紙の束を渡される。俺はコンサートのことで迷惑をかけたコーチや部員に一人ずつ詫び、年末のクリスマスコンサートでは必ず演奏しようと決意する。そしてある日、本部のパイプオルガンを部員が弾かせてもらえることになり、最初に弾いた天野は弾いた喜びを先ず俺に伝えてくれ、また部の皆が笑顔だったのがいいと思い、クリスマスコンサートへの決意を新たにする。そしてコンサートの前日、またパイプオルガンを弾かせてもらえることになり、俺は天野の音に神を見、そして自分が弾き終えた後、弾いてよかった、そしてまた弾きたいと思い、音楽の素晴らしさを強く心に刻む。そして建物から夜空の下に出た俺たちの口は、自然と賛美歌を口ずさむのだった。
 音楽の素晴らしさを文章で表現しようという困難な試みを、かなりの程度まで成功させた作品だと思いました。いい意味での青春小説にもなっていたと思います。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto