朝日新聞のノンフィクション特集で紹介されていた、山田規畝子さんの'04年作品『壊れた脳 生存する知』を読みました。度重なる脳卒中によって高次脳機能障害に陥った著者が、自分の体験を書いた本です。
著者は、大学2年生のときの「一過性脳虚血発作」という軽い脳硬塞に始まり、大学6年生の時の「モヤモヤ病」による脳出血、そして34才の時の脳出血と脳硬塞、37才の時の脳出血と立続けに病魔に襲われます。特に34才の時に右脳の頭頂葉に大きなダメージを受け、医師からは「以後、余生を楽しむように」と言われ、それからは後遺症に悩むようになります。それは、アナログの時計が読みにくいなど、周囲に理解してもらえないそれらの症状が、思考、記憶、学習、注意といった人間の脳にしか備わっていない次元の高い機能が失われる「高次脳機能障害」と呼ばれるものであることを知ったのは、山鳥重先生の本を読んでのことでした。著者は初めての理解者に会えた感激から、先生に苦労して長い手紙を書き、先生に返事をもらえたことから、自ら高次脳機能障害の勉強を始めることになります。そして実際に先生と会う機会に恵まれると、先生から「その貴重な体験を何かに記録しておくように」と勧められ、患者としての主観的な記録を綴る決心をします。そして著者によって綴られていく症状は、対象物を正しく認識できない「視覚失認」(地と図の区別ができない、3次元の把握ができない)、特に短期記憶ができない「記憶障害」(単語の記憶の再生に障害を起こす「喚語障害」を含む)、体性感覚の失調、規則性の不理解、物の機能の不理解などであり、その結果、本を読む際に行を読み終わると、次にどの行へ移ればよいか分からなくなったり、新聞のレイアウトを理解できなくなったり、漢字を書けなくなったり、要するに世の中の約束事に関する記憶を失った「常識のない人間」になってしまい、知能の低下のない高次脳機能障害者は、自分の失敗が分かり、周囲からの叱責も理解でき、大きな精神的打撃を受けることになります。しかし、幼稚園の母親仲間で始めた子育て勉強会で機能の回復が促進され、症状についての理解が深まると、自分の障害を客観的に面白がれるようにもなり、触覚を多用することによって失敗も減り、そして術後2年半で姉夫婦に勧められて高齢者の高次脳機能障害リハビリ施設において職場復帰を果たしますが、、再び大きな脳出血を起こして、左半身の麻痺、左半身・左側の空間に対して注意が向けられなくなる「半側身体失認」、食べ物を正しく飲み込めない「球麻痺症候群」を発症し、ろれつも回らなくなり、死への願望も生まれます。ところがここでも姉夫婦が自らが経営する老人保険施設の施設長の仕事を紹介してくれ、仕事で生きる勇気をもらう傍ら、自らリハビリに励むことになります。著者は、そうした中で、信号のない横断歩道、進行方向と平行の段差、学校でのスリッパや和式トイレ、社会ルールを守らない人々、両手がないと使えない多くの商品などに怒りを感じ、また、目に見えない障害のために世間の冷たい風をもろに受け、まだまだ社会で活躍できるはずの多くの人が、家に閉じこもって暮らし、自殺者も後を絶たず、専門医の数も絶対的に少なく、不用意な発言で患者のやる気をそぐセラピストが多くいることを嘆きます。そして現在は速聴と速読、百ます計算で訓練を行っていることを述べ、同病者には回復には時間がかかること、病気のことをカミングアウトすることがずっと気持ちを楽にさせること、元気を無理に出さず、がんばらないことを教えてくれています。
もの心ついた時には10才以上上の姉たちが毎日のように父に叩かれていて、食卓は父の怒声と姉たちの泣声であふれ、母が常に著者を見張っている状態の中、著者が大きなストレスにさらされて育ったことがこの病気に至った原因であることが示唆されていました。まだまだ知られていない、この病気を理解するには最適の本だと思います。現在健康な方も是非読まれることをお勧めします。
著者は、大学2年生のときの「一過性脳虚血発作」という軽い脳硬塞に始まり、大学6年生の時の「モヤモヤ病」による脳出血、そして34才の時の脳出血と脳硬塞、37才の時の脳出血と立続けに病魔に襲われます。特に34才の時に右脳の頭頂葉に大きなダメージを受け、医師からは「以後、余生を楽しむように」と言われ、それからは後遺症に悩むようになります。それは、アナログの時計が読みにくいなど、周囲に理解してもらえないそれらの症状が、思考、記憶、学習、注意といった人間の脳にしか備わっていない次元の高い機能が失われる「高次脳機能障害」と呼ばれるものであることを知ったのは、山鳥重先生の本を読んでのことでした。著者は初めての理解者に会えた感激から、先生に苦労して長い手紙を書き、先生に返事をもらえたことから、自ら高次脳機能障害の勉強を始めることになります。そして実際に先生と会う機会に恵まれると、先生から「その貴重な体験を何かに記録しておくように」と勧められ、患者としての主観的な記録を綴る決心をします。そして著者によって綴られていく症状は、対象物を正しく認識できない「視覚失認」(地と図の区別ができない、3次元の把握ができない)、特に短期記憶ができない「記憶障害」(単語の記憶の再生に障害を起こす「喚語障害」を含む)、体性感覚の失調、規則性の不理解、物の機能の不理解などであり、その結果、本を読む際に行を読み終わると、次にどの行へ移ればよいか分からなくなったり、新聞のレイアウトを理解できなくなったり、漢字を書けなくなったり、要するに世の中の約束事に関する記憶を失った「常識のない人間」になってしまい、知能の低下のない高次脳機能障害者は、自分の失敗が分かり、周囲からの叱責も理解でき、大きな精神的打撃を受けることになります。しかし、幼稚園の母親仲間で始めた子育て勉強会で機能の回復が促進され、症状についての理解が深まると、自分の障害を客観的に面白がれるようにもなり、触覚を多用することによって失敗も減り、そして術後2年半で姉夫婦に勧められて高齢者の高次脳機能障害リハビリ施設において職場復帰を果たしますが、、再び大きな脳出血を起こして、左半身の麻痺、左半身・左側の空間に対して注意が向けられなくなる「半側身体失認」、食べ物を正しく飲み込めない「球麻痺症候群」を発症し、ろれつも回らなくなり、死への願望も生まれます。ところがここでも姉夫婦が自らが経営する老人保険施設の施設長の仕事を紹介してくれ、仕事で生きる勇気をもらう傍ら、自らリハビリに励むことになります。著者は、そうした中で、信号のない横断歩道、進行方向と平行の段差、学校でのスリッパや和式トイレ、社会ルールを守らない人々、両手がないと使えない多くの商品などに怒りを感じ、また、目に見えない障害のために世間の冷たい風をもろに受け、まだまだ社会で活躍できるはずの多くの人が、家に閉じこもって暮らし、自殺者も後を絶たず、専門医の数も絶対的に少なく、不用意な発言で患者のやる気をそぐセラピストが多くいることを嘆きます。そして現在は速聴と速読、百ます計算で訓練を行っていることを述べ、同病者には回復には時間がかかること、病気のことをカミングアウトすることがずっと気持ちを楽にさせること、元気を無理に出さず、がんばらないことを教えてくれています。
もの心ついた時には10才以上上の姉たちが毎日のように父に叩かれていて、食卓は父の怒声と姉たちの泣声であふれ、母が常に著者を見張っている状態の中、著者が大きなストレスにさらされて育ったことがこの病気に至った原因であることが示唆されていました。まだまだ知られていない、この病気を理解するには最適の本だと思います。現在健康な方も是非読まれることをお勧めします。