(1)函館塩が北海道の3大ラ-メンなんて的外れじゃないか
①札幌の味噌②旭川の醤油③函館の塩-とよく言われますが、前2者と函館のラ-メ
ンを比べるというのはいささか歴史的重みにおいて無理があるのではないでしょう
か。
ボクは函館のラ-メンは中華だと思っています。よって、日本料理の醤油も味噌も論
外、この一点を外してはなりません。
(2) 函館では「塩ラ-メン」ではなく「ラ-メン」と呼んでいたのだが・・・
函館の中華料理の老舗といえば、松風町にあった「汪(わん)さん」(2012年閉店)
でした。ここのメニューに塩・醤油・味噌のほかに単に「ラ-メン」というのがあり
ました。これは、色合いでいえば塩と醤油の中間をいくもの、「函館の」ラ-メンの
本来の姿はそういうものだったのです。現在でも大門広小路の「鳳蘭(ほうらん)」
では、店員は塩ラ-メンを、単に「ラ-メン」と呼んでいます。醤油やみそもメ
ニューにはあるのですが、一応お付き合い程度のものでしかありません。
(3) スープが透明なのが、函館塩ではない。
函館塩ラ-メンのスープは、中身がすべて見えるほど透きとおっていてあっさりとい
うのが一般的な宣伝文句ですが、少なくても昭和30年代よりラ-メンを食べている
ボクは、そうは思っていません。
店によって、色の濃さ薄さの違いもあり、もちろん観光客に人気の某店のように透き
通っているのもあれば、多少濁りのあるものまで千差万別でした。
大体において、どんなに煮立たせないようにしても、野菜を入れる以上は薄茶色く濁
るもの、極論をいえば、出来合の既製スープでなければ透明にするのは難しいので
す。
しかしながら、いつのまにか函館のラ-メンスープは透明という相場になりました。
それはひとえに、函館現地人以外が抱く函館のラ-メンイメージを優先させたからで
あり、あまりにイメージが先行されているため、それらしいラ-メンを作らねばとい
う呪縛にかかっているしか思えません。
(4) なぜ塩ラ-メンと名乗らざるをえないのでしょう。
塩ラ-メンを名乗る理由としては
①インスタントラ-メンの普及により、塩・醤油・みそが認知され始めたという説が
ありますが、これにはあまり賛成できません。なぜなら、昭和40年代初頭には、既に
これらの即席麺が存在したものの、実際に多くの店舗で取り扱うメニューは単にラ-
メンでしかなかった事実があります。
②函館にあっては、札幌みそラ-メンのチェーン店「満龍」の出店・台頭が契機であ
るという説もあります。ここで、みそとともに醤油の存在もメジャーになりますが、
「函館ラ-メン」と「札幌ラ-メンの塩・味噌・醤油」とは違うくくりのものでしか
なかったと思います。函館では醤油ラ-メンは現在もメジャーではないという事実が
あります。塩を名乗らざるをえない直接的理由としては希薄です。
むしろ、こってり味のラーメンに対する、あっさり味の別称としての「塩味のあっさ
りしたやつ」という意味で塩ラーメンとなったのではと思います。
(5) 札幌みそラ-メンが函館ラ-メンをマイナーにした。
札幌ラ-メンのチェーン店満龍の展開は、「新物好きだが、飽きやすい」傾向の函館
大衆に衝撃のインパクトを与えました。
それまでにも、市内店では味噌味のラ-メンを出すところもありましたが、それは単
にスープが味噌味というものであり、もやしをスープと炒め込む札幌風の作り方で生
まれる縮れ太麺のボリュームのあるラ-メンは、従来の決して主食には成りえない函
館ラ-メンの存在を脅かすものとなったのです。
(6) 様々な外圧に屈した函館ラ-メン
日清のラ-メン屋さんシリーズの大々的CM、降って湧いたようなラ-メンブーム、
市制80周年事業としてのラ-メンサミットなどの追い風を受け、一時盛り返したよう
な錯覚の函館塩ラ-メンですが、再び冬の時代が来ようとしています。
原材料の価格高騰に伴う単価の上昇にとどまらず、ブーム自体の終焉、地元製麺組合
製の麺を使用しない新興店舗の増加など、そのアイデンティティはじわじわと確実に
崩れようとしているのです。
六花の塩ラーメン・・・この時はスープに濁りがあった。