”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

2010年を振り返って

2010年12月31日 21時27分32秒 | 福祉政策
2010年は、個人的には充実した年ではあったが、世間に目を向けると、とりわけ函館にとっては大変な1年であったように思う。
その端的な例が、函館新聞紙上で繰り返し報道される、生活保護受給者の増である。
大晦日の本日も、1面にこの記事が書かれ、締めくくったという感じだ。

函館市の10月の生活保護率は43.8‰(パーミル=人口1000人当たりの被保護者数)となり、前月(43.9‰)をわずかに下回ったものの、前年同月比では2.1ポイント増え、増加傾向に歯止めがかからない。渡島、桧山両管内の町でも、江差町が同2.6ポイント増加するなど、全体的に増加が続いている。

 函館市の保護率は、4月から9月にかけて5カ月連続で増加し、合わせて1.0ポイント増となった。9月の保護者数は同市にとって過去最多の1万2399人(前月比11人増)となっていた。10月の保護者数は、前月比13人減の1万2386人。一方で世帯数は、同14世帯増(8807世帯)となるなど、保護世帯の核家族化が進んでいることがうかがわれる。

保護率は通常、受けやすい冬期(11—3月)には夏期よりも増加しやすい。函館市福祉事務所は「今回は保護者の若干の減少がみられたが、11月以降の保護者はこれを上回って増加している」として、一時的なものとする。


この論調の記事は、ほぼ毎月といっていいほど繰り返されている。
まさに抜け道のないトンネル状況だが、厚生労働省は、平成23年度予算要求において、貧困・困窮者の「絆」再生事業と銘打って、地域社会との「絆」再生を目指す方向を打ち出すとともに生活・居住支援事業とのリンクを強調している。

本来、地域社会は、共通のしかるべき道徳観の上に成り立つものであり、「やる気」を制度や支援策を通じ植えつけようとするのは、人間の本来持つ「自己再生力」さえ否定しようとする動きにはならないだろうか。こうした事業が公的に画策される日本はまたまた国際競争から遅れをとっていくかもしれない。

その中にあって、函館の将来はますます暗い方向に進みつつある。函館は「北海道の関西」という認識も一部にはあるという。保護率の高さは、政令指定都市・中核市を通じ、大阪市が1位、函館市が2位であることからもうなづける。先日の大阪市の現況を伝えるNHK報道は、函館にももう当てはまっているのだ。

自分ももちろん含まれるのだが、果たしてこぼれないで、どれだけ持ちこたえるかが2011年の厳しいテーマとなるだろう。


生活保護特別番組について

2010年12月26日 22時11分15秒 | 生活保護
12月夜のNHK特集で激増する生活保護受給者にあえぐ大阪市を特集していた。
しかし、ここで取り上げられた状況は函館でもまったく同じである。
大阪が20人に1人なら、函館は23人1人が生活保護受給者である。

番組では、千葉から貧困ビジネスの手によって大阪に連れてこられた人、
病院より生活保護を斡旋された人が紹介されていた。

函館にも似た状況にある。
なにやら聞くところによると、最近の申請の1割弱が、函館以外から流入した人らしい。
(市議会の民政常任委員会でこのことを質問した議員がいたらしい。)
以前にも述べたが、保護受給を前提に入居を許可する不動産業者の存在、
大規模なまるでホームレスからの申請者や函館に生活の基盤がないような申請者を前提としたような下宿、
周辺町より患者を集め、生保受給申請を斡旋する精神病院
そればかりか
出所受刑者を集めているかのような動きをする準公的機関の存在など
函館に集中する要因は明白である。

画面では、開庁前から区庁舎の玄関に群がる受給者の姿が映し出されたが
その彼らが、開庁と同時に「駆け足」で窓口へ流れ込む様をみて視聴者はどう思っただろうか?
あんなに元気があるならば、、、と思ったのは私だけではあるまい。

大阪での対策プロジェクトの中で検討された医療扶助の問題は
医療機関が集中する函館では深刻な問題だ。
とにかく医療費の伸びはすさまじいらしい。
生活保護費(扶助費というらしい)の4割強を医療費が占めるらしいから
濃厚診療を行っているのではと誰しもが思うことだが
そこは、限度の範囲内で、ぎりぎりまで請求し続ける医療機関があるということを
にがにがしく語っていたことが印象的だったが、まったくその通りである。

番組の中で、特に印象的だったのが、就労支援中の男性が、決まりかけた就職を
仕事量が多いからと断ってしまった一件だった。
あの中から、私は採用企業が、まさにふるいにかけているのだなあと思う反面、
就職しないことを正当化しようとする受給者の本質を垣間見たような気がした。

一方で、反貧困ネットワークなる団体の生活保護改革案に対する反対姿勢は
耳をふさぎたくなるような気がした。
いったいどれだけの社会保障を国にやらせようとしているのか?
国がやるとしても、所詮は税金である。
もし、それを肯定するなら、彼らは社会主義国家を樹立しようとする亡国の輩だ。

観光都市ではなく、近く貧困者都市になろうとする函館において、
市は対策プロジェクトをなぜもうけないのであろうか?

冬至の日のかぼちゃ

2010年12月22日 23時35分46秒 | ライフスタイル
今日は、冬至であった。
我が家でも、恒例の「小豆かぼちゃ」が御年78歳の母の手で作られた。



なぜ、かぼちゃを食べるのかというと、次のような解説がある。

冬至には「ん」のつくものを食べると「運」が呼びこめるといわれている。
かぼちゃを漢字で書くと南瓜(なんきん)。
つまり、運盛りのひとつ!
特にかぼちゃはビタミンAやカロチンが豊富なので、風邪や中風(脳血管疾患)予防に効果的。
冬至の行事食には小豆(あずき)を使った冬至粥がある。
昔から小豆の赤は邪気を祓うと言われているから、冬至粥で邪気を祓い、翌日からの運気を呼び込もうというわけ。
冬至には小豆とかぼちゃを煮た いとこ煮 を食べるという地方もある。
本来、いとこ煮とは硬いものをおいおい(甥)入れて、めいめい(姪)炊き込んでいくことから いとこ煮 と名付けられた料理.


まあ、いろいろと御託を並べるときりがないが、
昭和51年に亡くなった母方の祖母は毎年必ず、
この「小豆かぼちゃ」を作って家族に振る舞っていた。
その結果はというと、脳血管疾患(いわゆる「あたった」)で倒れ、
9年間寝たきりとなり、亡くなったのだ。
だから、我が家ではもしかしたら、
逆の結果が出るかもしれないと危惧を抱きつつ「小豆かぼちゃ」を毎年食べている。

ついでに、ゆず湯は、花王のバブで済ました次第、これはおそらく効果はないだろう。

「冬至の日 泡と消える 健康か」

参議院選挙改革について思うこと

2010年12月22日 23時35分31秒 | 政治
毎日新聞によると

 参院の選挙制度改革で、西岡武夫参院議長は22日、都道府県単位の選挙区を廃止し、全国を比例9ブロックに再編する改革案を参院各会派に提示した。ブロックごとに、全議員を、政党内で得票が多い順に当選する「非拘束名簿式」で選出する。東京高裁は「1票の格差」が最大5.00倍だった7月の参院選を「違憲状態」とする判断を下しているが、改革案ではこれを1.16倍以下に抑えている。
 西岡議長は「定数削減との両立は至難の業だ」と述べ、格差是正を優先する考えを示した。
解説では、「自民党内では各都道府県に改選数1ずつを割り振る方式を求める意見が出ている」とあるが、やはり、旧来の地盤選挙から離れられず、そもそも改革の根底にある一票の格差是正が頭にないようだ。
公明党はブロック制が「議論のたたき台になるだろう」と歓迎しているとあるが、比例代表は一見平等のようだが、本来、良識の府たるべき参議院が、人物本位、専門分野本位ででなければならないのに、既存政党を優先するという問題も残る。

しかし、最大の問題は、このニュースに多くの人が無関心であるということ。
民主党は、おそらく自分たちに有効だと判断しているのかもしれないが、猫の目のように頻繁に変わる選挙制度では、有権者がついていけないという問題も起こりうる。
そもそも、根源的な平等なんて難しいし、あり得ないのだから、一票の格差を論じることを趣味としている勢力につきあうことなく、じっくりと制度を熟成させるべきではないか。


13年目のクリスマスファンタジーに思うこと。

2010年12月21日 20時14分00秒 | 地域
函館の冬を代表するイベント「クリスマスファンタジー」は,平成10年に始まり,その前年の企画提案段階から13年を迎えた。
ちょうど私の今の仕事も平成10年から始まり今年13年目を迎えたことから,まさにクリスマスファンタジーとともに歩んできたといえるかもしれない。

バブル経済がはじけ,長い不況への道が始まり,医療費がかさむことから,介護保険制度が発足,福祉予算の増大に端を発し,やがて小泉構造改革へ,新自由主義の興生とともに表れ始めた格差の増大する社会,リーマンショックによる経済不況,そして暗黒の時代を象徴する民主党への政権交代。
どう考えても,負の方向へのベクトルしか考えられないのは,私の今の仕事と上記の事情が密接に絡むからなのだが,ツリーを見るたびに思うのは,当初のノー天気なほのぼの感から,心の安らぎを願う気持ち,やがて悲壮な現実を少しでも忘れたいと思う気持ちに変わってきたのはなぜか悲しささえ感じる次第である。

函館の地元紙・函館新聞20日付けでは,「市民の協力 もっと必要―内容の変化重ね人気定着」と題して,このイベントの歴史と効果,変化,課題を特集した記事を掲載した。その結びに

問題と感じるのは,実行委メンバー個人の負担の大きさだ。熱心なメンバーに集中しているのが現状で,メーンツリーの電飾など担当する佐藤さん(実行委企画運営担当)自身も,何かあったら駆け付けなければならない重責には,年齢とともに限界を意識し始めている。「宿泊業界や小売店でも協力姿勢には温度差があるのが現状。もっと多くの人に,イベントが始まるまでの準備やPRに力を貸してほしい」と来年度以降はさらなる市民の協力に期待する。

とあったが,私自身の携わる現在の部署の仕事にもこれに相通じるところがないでもない状況がある。
特に職場の高齢化とともに人材難があること,構成員の意識にもかなりの温度差があること,そして何よりも部署外の正しい認識と評価,協力を職場のマネージャーにお願いしたいことなどである。

しかしながら,クリスマスファンタジーとは違い,私の仕事はそれを利用する方にあまり人気が定着してもらいたくないというのが切なる期待である。