”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

函館塩ラーメン考その4 塩ラーメンという呼称について

2013年10月31日 22時57分09秒 | 函館のラーメン考
(1)函館塩が北海道の3大ラ-メンなんて的外れじゃないか

①札幌の味噌②旭川の醤油③函館の塩-とよく言われますが、前2者と函館のラ-メ
ンを比べるというのはいささか歴史的重みにおいて無理があるのではないでしょう
か。
ボクは函館のラ-メンは中華だと思っています。よって、日本料理の醤油も味噌も論
外、この一点を外してはなりません。



(2)  函館では「塩ラ-メン」ではなく「ラ-メン」と呼んでいたのだが・・・

函館の中華料理の老舗といえば、松風町にあった「汪(わん)さん」(2012年閉店)
でした。ここのメニューに塩・醤油・味噌のほかに単に「ラ-メン」というのがあり
ました。これは、色合いでいえば塩と醤油の中間をいくもの、「函館の」ラ-メンの
本来の姿はそういうものだったのです。現在でも大門広小路の「鳳蘭(ほうらん)」
では、店員は塩ラ-メンを、単に「ラ-メン」と呼んでいます。醤油やみそもメ
ニューにはあるのですが、一応お付き合い程度のものでしかありません。



(3)  スープが透明なのが、函館塩ではない。

函館塩ラ-メンのスープは、中身がすべて見えるほど透きとおっていてあっさりとい
うのが一般的な宣伝文句ですが、少なくても昭和30年代よりラ-メンを食べている
ボクは、そうは思っていません。

店によって、色の濃さ薄さの違いもあり、もちろん観光客に人気の某店のように透き
通っているのもあれば、多少濁りのあるものまで千差万別でした。

大体において、どんなに煮立たせないようにしても、野菜を入れる以上は薄茶色く濁
るもの、極論をいえば、出来合の既製スープでなければ透明にするのは難しいので
す。

しかしながら、いつのまにか函館のラ-メンスープは透明という相場になりました。

それはひとえに、函館現地人以外が抱く函館のラ-メンイメージを優先させたからで
あり、あまりにイメージが先行されているため、それらしいラ-メンを作らねばとい
う呪縛にかかっているしか思えません。



(4)  なぜ塩ラ-メンと名乗らざるをえないのでしょう。

塩ラ-メンを名乗る理由としては
①インスタントラ-メンの普及により、塩・醤油・みそが認知され始めたという説が
ありますが、これにはあまり賛成できません。なぜなら、昭和40年代初頭には、既に
これらの即席麺が存在したものの、実際に多くの店舗で取り扱うメニューは単にラ-
メンでしかなかった事実があります。

②函館にあっては、札幌みそラ-メンのチェーン店「満龍」の出店・台頭が契機であ
るという説もあります。ここで、みそとともに醤油の存在もメジャーになりますが、
「函館ラ-メン」と「札幌ラ-メンの塩・味噌・醤油」とは違うくくりのものでしか
なかったと思います。函館では醤油ラ-メンは現在もメジャーではないという事実が
あります。塩を名乗らざるをえない直接的理由としては希薄です。

むしろ、こってり味のラーメンに対する、あっさり味の別称としての「塩味のあっさ
りしたやつ」という意味で塩ラーメンとなったのではと思います。



(5)  札幌みそラ-メンが函館ラ-メンをマイナーにした。

札幌ラ-メンのチェーン店満龍の展開は、「新物好きだが、飽きやすい」傾向の函館
大衆に衝撃のインパクトを与えました。

それまでにも、市内店では味噌味のラ-メンを出すところもありましたが、それは単
にスープが味噌味というものであり、もやしをスープと炒め込む札幌風の作り方で生
まれる縮れ太麺のボリュームのあるラ-メンは、従来の決して主食には成りえない函
館ラ-メンの存在を脅かすものとなったのです。



(6)  様々な外圧に屈した函館ラ-メン

日清のラ-メン屋さんシリーズの大々的CM、降って湧いたようなラ-メンブーム、
市制80周年事業としてのラ-メンサミットなどの追い風を受け、一時盛り返したよう
な錯覚の函館塩ラ-メンですが、再び冬の時代が来ようとしています。

原材料の価格高騰に伴う単価の上昇にとどまらず、ブーム自体の終焉、地元製麺組合
製の麺を使用しない新興店舗の増加など、そのアイデンティティはじわじわと確実に
崩れようとしているのです。

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六花の塩ラーメン・・・この時はスープに濁りがあった。



函館塩ラーメン考その3 斜陽の街のラーメン

2013年10月28日 22時01分50秒 | 函館のラーメン考
函館は、「斜陽の街」である。
平成16年12月に周辺3町1村を合併し、古くは、湯川村、銭亀沢村、亀田市を合併
し、何とか体面を保とうとものの、所詮は盛りを過ぎた街である。

そうした函館の人の気質とはどういうものだろう?

ボクの子供の頃は、大人たちは、本州を「内地」と呼び、札幌や旭川を「奥地」と呼
んでいた。既に札幌が函館の2倍以上の人口を有していた時代でも、昔の栄光にす
がって生きていたのである。
つまり、規模は負けても、中身は上という変な自慢。これは関西の人が、東京方面の
醤油をふんだんに使った煮物を「関東煮」といってバカにするのと似ている。

つまり、函館は北海道の「関西」なのである。

関西人は、とかく体面を気にする東京人を「ええかっこしぃ」といって軽蔑するが、
函館原住民も実はそのキライがあるのである。

市外から入ってきた人たちは、「口が悪く、思っていても普通は言わない」事柄も、
「思ったとおりズバリ言ってしまう」という感覚をもった来函者はいないだろうか?

また、函館では、学歴も通用しない社会でもある。

強いものに対するやっかみはなかなかのものがあり、市外資本を受け付けない土壌も
ある。「一人勝ち」を許さない風土。

マグドナルドも大手ラ-メンチェーンも受け付けないぜ

(かつて30年くらい前に函館のメインストリートである駅前どおりに出店したマクド
ナルドもまもなく撤退した経緯のある街である)

独特の味覚感覚もその一つかも知れない。ボクの母は実家が薄口好みで、よく父方の
家のしょっぱい醤油を多量に使う味をバカにしていた。

そしてボク自身も、よく言い聞かされたものである。「青森のラ-メンはまずいよ
ね、醤油の味しかしない。東京のラ-メンもすごくまずい。」

---故郷の味を大事にするといったものとは違う。-----そう名付けて

函館一番

(平成軒も、山頭火も、むつみ屋も函館では受け入れられず撤退している。味の時計
台も3店あったが、今は1店舗のみである。)

ボクも18歳の頃までそう信じて疑わなかったのだ。

「函館のラ-メンが一番旨い。」って

でも、大学進学で4年間、東京の八王子市で暮らすことになる。ここで心がゆらぐ事
件が起こったのだ。

もちろんそれまでも、後述するように「札幌ラ-メン」の来襲があり、あやうくその
魅力に惹かれそうになった時期もあるが、「札幌ラ-メン」という別の料理であっ
て、「ラ-メン」とは違うとどこかで納得していたものだった。

しかし、八王子にはその名もズバリ「函館」という名の食堂が存在していたのであ
る。八王子で食うまずいラ-メン(昭和51~55年当時はいわゆる現在の八王子系
は存在していなかった。)に飽き飽きしていたボクは、友人を誘い早速食べにいっ
た。壁一面には五稜郭の大きなパネル-郷愁を胸に抱き透きとおった黄金色のスー
プ、柔らかな麺、懐かしい味が蘇ってきた。

・・・・・がその直後、友人が「なんじゃ、こらマズイわ!」との暴言を吐く。

「えっ!まずい?」-耳を疑う言葉、それではじめて認識したのである

-これをマズイと評価する人間がいるってことを、函館一番のアイデンティティが崩
れた一瞬だった。

その一件以来、ボクは冷静に自分の食生活や嗜好を見つめ直した-うまいラ-メンっ
てどんな味がするものだろう。

つまり、函館の伝統的塩ラ-メンは、 

他の味を認めない世間知らずの原住民が支えているのである

で、今のボクははどう変わったかというと、

『ラ-メンは「函館ラ-メン」しかないでしょ。旨いマズイは関係ないのよ。』

異種文化の到来とともに古い日本の味を捨て中華と西洋の味をいち早く取り入れた我
が郷土で育んだボクの味覚。

-あの衝撃からはや三十数年、この間結局は進歩しない自分がそこにいたのだ。

しかし、函館も人の出入りが激しくなり、奥地や内地の人間との混血種も増えてき
た。

当然、今までの価値観もやがては風前の灯火となる。

やがて函館塩ラ-メンは消える、なぜなら旨いと思う人が相対的に減るからである。

函館が輝いていた時期、それは貿易港として

さらには北洋漁業の基地としてかっての栄光に満ちた時代である。

その当時の価値観がうすれていく時とともに、函館の味は無くなるのである。

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ゆうみんの塩ラーメンも、スープは透明

しかし、この塩ラーメンは、昔懐かしい味とは違う。

もちろん、同店移転前に出していた塩ラーメンの味とも違う

見た目はともかく味は進化し続けている。(退化している店もあるが・・・)

函館塩ラーメン考その2 お寒い函館のラ-メン事情

2013年10月24日 20時52分06秒 | 函館のラーメン考
前回のラーメン考をもう少し復習してみよう。

1 消えゆく老舗

伝統的函館塩ラ-メンは、老舗の閉店が相次ぐ昨今、極めて暗雲たる情勢にあること
は前にも触れた。10年ほど前に起こった全国的ラ-メンブームは、函館でも新興店の
登場を後押しした。
それは函館市制80周年を記念する事業として塩ラ-メンサミットが3カ年にわたり開
かれたり、湯の川温泉にラ-メンテーマパークができたりとお祭り騒ぎだった。
ボクは、もともと蕎麦好きだったのだが、こうした潮流に飲まれてみようと2003年あ
たりからラ-メンファンに転じたものである。
しかし、この間新興店舗は勢いを増したが、ブームの翳りとともに老舗の閉店が相次
いだ。
松風町の夜来香、汪さん、若松町の紅蘭、王さん,千歳町の松らく、日吉町の松楽等
である。
さらに開店間もない店舗もそれほど時を経ずして閉店のやむなきに至っている例も多
い。
全国的にラ-メンテーマパークが結果的に消失している現状は、当函館市も同じで、
湯の川らーめんブギも息絶えた。
ブームの終焉だけなら新興店の閉店だけで済まされるのだが、老舗の閉店は函館塩ラ
-メンにとっては痛手である。
なぜなら、老舗の多くは、地元資本の函館製麺組合(岡田・日の出・出口)の提供す
る麺を使用しているからである。
新興店の多くは、小林・熊さん・西山等外様の製麺業者とのつながりが多い。
したがって、函館経済の地盤沈下に拍車をかけているともいえるのである。
こうした事実から、ボクは函館製麺組合の麺を使用する店を大事にしようとおもって
いるのだが、それも意味をなさなくなりつつある。

2 若者の塩ラ-メン離れと旧市街の空洞化

函館でも若い世代は、あの脂っこく、くどい味のみそラ-メンを好む傾向が強い。
地元以外から流入した学生や転勤のサラリーマンは、汚い色の醤油ラ-メンを好む傾
向が強い。
塩ラ-メンを好むのはせいぜい1950年~1960年代前半でに生まれた生粋の函館人だけ
だ。
さらに函館の抱える社会問題の一つに急激な少子高齢化と人口減少がある。
そもそも、塩ラ-メンが好きなのは高齢者だからいいじゃないかと思うのは大間違
い。
大抵の高齢者は、高血圧、高脂血などの持病があるほか、加齢により比較的あっさり
とはいえ脂に弱い。
さらに経済的には、介護保険料、後期高齢者医療などが重なりラ-メンなど食べてい
る余裕はないのだ。
しかも、こうした高齢者は、空き店舗が目立つ旧市街地に多く居住しており、老舗の
閉店が相次ぐ現象とともに悲観的状況といわざるをえない。
急速な市民の高齢化と旧市街の空洞化は、伝統的函館塩ラ-メンの土壌さえもむしば
んでいるといえよう。

3 製麺工場が市内にあるのは「出口製麺」だけ

ボクは前回も、市内で作られたもの以外は函館ラ-メンとは認めない旨の発言をして
いる。
しかしながら、函館製麺組合に属する岡田製麺・日の出製麺の両社は、本社こそ函館
にあるものの工場はそれぞれ七飯町・北斗市にしか存在しない。
いわば、純血種の函館塩ラ-メンを食しようと思えば、出口製麺使用の店に行かなけ
れば駄目であろうとさえ考える今日この頃である。
本町にあるラ-メン店では、函館のラ-メンには「出口」の麺しか合わないと豪語し
てやまない店主がいる。
柔らかくて、のびやすく、スープをよく吸うのが特長である同社の麺を好む生粋の函
館人の減少も暗い将来の一端である。
蛇足だが、同社の麺は茹で時間が短くてすむ、かつての屋台では、もてはやされたで
あろうに違いない。
のびないうちに食べきる、ゆったりと味わうものではない-ラ-メンの真骨頂とはそ
ういうものだ。

4 「禁煙」、「分煙」と戦う老舗、嫌煙家は函館塩にありつけない。

老舗系で店内禁煙を実施している店は数少なく、大門界隈では汪さん(2012年閉店)
くらいだっただろうか?(ゆうみんはランチタイム禁煙である)
客層が男性でやや年配のサラリーマンがターゲットの老舗では、禁煙に踏み切るのは
つらいようだ。
今時、職場で自由に喫煙できる環境は極めて少なくなりつつあるし、一般家庭でも事
態は同じだ。
女性や子供客にも悪影響を及ぼす環境では、今後発展の余地はないし、第一ボク自身
嫌煙家であるため、喫煙可のラ-メン店にはできればはいりたくない。
よって、老舗で空気のおいしいお店を探すことは、愛煙家の唯一の楽しみである昼時
の一服を締め出すことにつながり、至難の業なのである。

5 湯の川らーめんブギの挫折

札幌ら~めん共和国ができた頃は、全国にラ-メンテーマパークが乱立した時期であ
る。
当函館市は何事も流行が少し遅れてやってくるのであるが、2005年6月3日湯の川観光
ホテル内にファンには待望のテーマパーク「湯の川らーめんブギ」がオープンした。
だが、何事にも熱しやすく冷めやすい函館人の気風に翻弄され、最後は5店舗のうち
ラ-メン専門店は「ずん・どう」1軒だけになっていた。
そもそもこの企画、当初よりホテルのオーナーであるナムコが企画したものである
が、
運営は地元スタッフに任せきり、そもそもあまりラ-メン好きでない人たちの運営の
ため、行き詰まりも早かった。
さらに、伝統的函館塩ラ-メンの店が1軒もなかったのも致命傷で、ホテルの経営も
交替したところからあっけなく撤退してしまった。(2008年8月末閉店)

6 ラーメンブームが去った後に残ったものは

2013年新横浜ラーメン博物館で大成功を治めた新函館マメさんは、ウォーターフロン
トの末広町の店舗を引き払い、宝来町に小店舗として移転した。

塩ラーメンサミット以後は、日本各地で行われる物産展への出店に精を出す一部の有
力店舗が好調なだけで、函館市民には目が向けられていない。

ラーメンブームを契機に台頭した店では、ラーメン業界に見切りをつけ、違う土俵で
の活躍に転じているところもあるやに聞く。

このことからも、函館のラーメン事情は塩ラーメンサミット以前よりよくなったとは
いえないのではないだろうか。

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写真は、函館駅前の棒二森屋百貨店内にあるレストラン和家の塩ラーメン
函館塩の考えられ得る具材をすべて載せたかに見えるものだが、、、、






函館塩ラーメン考その1  滅びゆく函館塩ラーメン

2013年10月23日 20時52分57秒 | 函館のラーメン考
今回から何回かに分けて、しかも不定期に「函館塩ラーメン」についてボクが思うところ述べていきたい。
なお、これらは、拙HPに掲載の既出記事をリメイクしたものである

函館塩ラ-メンは「スープが透明」という予備知識をお持ちの方が多いかもしれない。

そしてそれが必ずしも正解ではないことを主張しようと思う

せいぜい500円が限度と思っていた函館塩ラーメンだが、昨今の物価高騰は、原材料にも影響し、もはや500円以内におさめることは難しい状況である。

函館の老舗ラーメン店のメニューには、「塩ラーメン」とは書かれてあるが、店の人は単にラーメンと呼ぶことが多かった。しかし、こんな状況は長くは続かないだろう。

函館塩ラ-メンの未来は暗く、やがては衰退・消滅は必至だ。その大きな理由は

① 単価高騰による価値観の窮地

② 老舗の後継者難

③ 本当の函館塩の味を知る世代の消滅

④ 市内製麺組合のシェアの縮小

⑤ 健康志向とは相容れない風潮の到来

などがあげられる。以下、順を追って説明する。

①   単価高騰による価値観の窮地

皆さんは、ラ-メンにいくらまでお金を投入できるだろうか?

プレーンな塩ラ-メンならせいぜい500円くらいが適当ではないかと思う。

しかし、小麦価格等原材料の高騰から

比較的良心価格の老舗でも500円を超え始めてから久しい。

こうなると、気軽にラ-メン1杯!とはいかなくなる。

そもそも、どうしても食べなければならない食品ではないだけに単価の高騰はつらい。

従来、もも肉を使用していたチャーシューをバラ肉に変える店まで出てきた。

既に、アイデンティティの崩壊が始まっているのである

②   老舗の後継者難

塩ラ-メンの味を支える老舗は、どこも小規模家族経営、後継者もいないのが常である。

現店主が引退すれば自然に消滅、既に「紅蘭」、「王さん」、「夜来香」、「松らく」、「松楽」、「鳳来軒」、「汪さん」などが閉店になっている。

高年齢化は、収入源の出前をも難しくさせる。次の閉店はどこだろうか?

③     本当の函館塩の味を知る世代の消滅

「函館では柔らかくてスープをよく吸う麺が好きな人が現実にいる」ということをボクは、訴えたい。

若い人や市外・道外から移り住んでいる方は、意外と思うかも知れないが、かくいうボクもいわゆる伝統的函館ラ-メンを食する時は、こうした好みが全面に出てくる。

全国的趨勢では、少数派かも知れないし、おいしいはずがないと憤慨される向きもあろう。

これは、単にその地方の風習とでも考えてもらえばよいと思う。

「うまい<==>まずい」ではなく「好き<==>嫌い」の問題。

ある老舗有名店のご主人に聞いたのだが、「観光で来た人は、麺を固めにという人が多い。

自分は、柔らかめの方が旨いと思っているのに・・・」としきりに困惑していた。



④ 市内製麺組合のシェアの縮小

函館のラ-メンを語るとき、製麺会社との関連を忘れてはならない。

老舗は、函館の製麺会社の用いるものが普通であるが、

新興店は市外のものを用いる傾向が強くなっている。

結局、本来の函館塩の味を出せるのはこうした地元製の麺でしかない。

しかしながら、函館製麺組合所属の製麺店は単価が高くて新規店にはつらいようだ。

出口製麺使用・・・あじたか・星龍軒・六花

岡田製麺使用・・・しお家・あじさい・大正庵・マメさん・ブルートレイン・ぱんだ・幸山

日の出製麺使用・・・バスラ-メン

⑤  健康志向とは相容れない風潮の到来

さらに、悪いのが少子高齢化と健康志向の高まりである。

こうなると、そばと比較して脂を使用する分だけラ-メンには不利

かくいうボクもその意味でラ-メンから遠ざかりつつある。

肥満・糖尿病・高血圧・高脂血 ・・・・・ いくらあっさり目の函館塩ラ-メンでも食べすぎはよくない。

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これは、老舗「りんさん」の塩ラーメン。
見た目は、伝統的な函館塩だが、
麺は、函館製麺組合所属のものではない。
だが、旨いのも事実なので・・・


つけめん文化が根ざさない街

2013年02月02日 18時09分26秒 | 函館のラーメン考
・・・・であるとボクは自分の街を評価している。

かつて、駅前に「麺神(めがみ)」と名乗るつけめん屋があった。

つけめん専門店の「つけめん狼煙(のろし)」という店もあった。

そして、あの池袋大勝軒で修行したというか、名を借りることとなった「仙勝軒」という店もあった。

そのいずれもが、長くは続かず閉店の憂き目をみている。

つまり、ラーメンの本道としての地位を築けないままに終わったと言ってよい。

駅前の百貨店の食堂としてテナント参入した「レストラン和家」。

従来の百貨店直営食堂とは違ったメニュー構成で検討している。

そのメニューの中にあるのが、「東京つけめん」。

なにが「東京」なのかはわからないが、やはりボクもつけめん文化を理解できない人間かもしれないと思った次第。

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