過去最多優勝回数を誇る大相撲の元横綱「大鵬」、北海道の生んだスポーツ界の巨人である。
マスコミのコメントでは人格者・品格のある横綱だったと持ち上げられているが、
当時の辛口批評では、「攻める腰の備えがない」、「守りの相撲、負けないだけの相撲」と揶揄され、ライバルの柏戸は判官びいきもあって、まっすぐな取り口、潔い相撲ともてはやされていた。
当時は、まだ大鵬関に対して人種的偏見もなされていたのも事実である。
また、吉田司家より横綱免許状を受けていた「東富士」までと、現行の横綱審議会の推挙からなった「千代の山」以降では横綱の格が違うとまでいわれていた。
つまり、強いだけでは横綱にはなれなかったのである。そのめっぽう強い横綱に登り詰めた大鵬は批判の矛先にも立つことになる。
晩年の度重なる休場への批判は相当強かったのである。
では、今の問題横綱「朝青竜」はどうなのか?やはり50年も経てば尊敬されるのであろうか?
それまで私は生きていないだろうが、おそらくそうはならないと思う。
大相撲の世界は本来狭い限定的世界だったのだが、他のエンターテイメントと肩を並べようと無理をしてきたツケがまわっていると思えてならない。
その一つが、外国人横綱「曙」を許したことである。はっきり言って、「日本人としてのアイデンティティ」を崩壊させた外国人横綱の台頭は、プロレス興行となんら変わらない。これは国際化を間違って体現したよい例である
マスコミのコメントでは人格者・品格のある横綱だったと持ち上げられているが、
当時の辛口批評では、「攻める腰の備えがない」、「守りの相撲、負けないだけの相撲」と揶揄され、ライバルの柏戸は判官びいきもあって、まっすぐな取り口、潔い相撲ともてはやされていた。
当時は、まだ大鵬関に対して人種的偏見もなされていたのも事実である。
また、吉田司家より横綱免許状を受けていた「東富士」までと、現行の横綱審議会の推挙からなった「千代の山」以降では横綱の格が違うとまでいわれていた。
つまり、強いだけでは横綱にはなれなかったのである。そのめっぽう強い横綱に登り詰めた大鵬は批判の矛先にも立つことになる。
晩年の度重なる休場への批判は相当強かったのである。
では、今の問題横綱「朝青竜」はどうなのか?やはり50年も経てば尊敬されるのであろうか?
それまで私は生きていないだろうが、おそらくそうはならないと思う。
大相撲の世界は本来狭い限定的世界だったのだが、他のエンターテイメントと肩を並べようと無理をしてきたツケがまわっていると思えてならない。
その一つが、外国人横綱「曙」を許したことである。はっきり言って、「日本人としてのアイデンティティ」を崩壊させた外国人横綱の台頭は、プロレス興行となんら変わらない。これは国際化を間違って体現したよい例である