”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

工藤としき公式ウェブサイトが開設

2010年08月30日 21時35分28秒 | 政治
開設は8月23日というからいささか旧聞に属するが,とりあえず来年の市長選をにらんでの政治活動(選挙活動となると公選法に抵触するので)が始まったというところか。
決意・基本姿勢の項目ではこう主張されている。
1 西尾市長が市政を担って、3年数か月が経過しましたが、この間、市長が何を目指し何をやろうとしているのか全く見えないまま、何ら実績も上げられず、多くの市民の間に失望感と閉塞感が広がって・・・・
2 市政運営の理念も将来展望もなく、トップ自らの見識のない軽率な言動によって、市政に無用の混乱を引き起こし、場当たり的に思いつきで物事を進め、いったん決めても明確な説明もなく朝令暮改が繰り返される・・・・
3 すべてが透けて見えるガラス箱の市役所をうたい文句にしながら、側近との密談政治に陥り、ガラス箱の中にブラックボックスが入っているような状況・・・・

つまるところ,現西尾市長の痛烈な批判になっているのだが,この主張に賛同する人が多いのか少ないのか私には全く検討がつかない。
これから徐々に熱を帯びてくるのであろうが,今のところこんな主張をしているということだけを紹介しておきたい。

工藤としき公式ウェブサイト http://www.kudoh-toshiki.jp/index.html

魚長豊川店の後は,イエローグローブに・・・9/3 OPEN

2010年08月29日 22時14分46秒 | 地域
函館資本のスーパー魚長がやや経営状態に陰りをみせ,市内の店舗を整理しはじめたのは記憶に新しいことだ。
特に当初プチ対面販売を試みた豊川店は,開店したかと思ったら閉店してしまった。
西部地区の購買力と購買方法からするとやはり少し無理があった感は否めない。
しかし,閉店撤退に伴い空き店舗だったこの場所に,今度はまた地元資本のイエローグローブが開店する。
付近にホームセンターは,ツルヤ宝来店のみであり,おそらくここと競合するのであろうが,何分にもここは駐車場が狭く,しかも一方通行の通りに面しているので,営業的には難しいのではないかと思う。
ただ,西部地区はまとまった土地を確保できる場所がほとんどないこと,景観保全地区を抱えるところから事実上このくらいの店舗で精一杯なのは仕方がない。
問題は,少ないパイを奪い合うことによる既存店舗の淘汰だ。
十字街では,このところ手芸店の老舗「ちはるや」や文房具店の老舗「川上紙店」が相次いで閉店している。
ほんのわずかな区域に,ツルハドラッグやサッポロドラッグも出店しており,いろんな意味でサバイバルである。
宝来町のガソリンスタンドも閉店し,さらなる地域の凋落は避けられない見通し。
一年後には,さらにひどい状態になっているかもしれない。
日常の生活感が薄れていく観光地で,観光客だけを相手にする商売もおそらく厳しくなっていくに違いない。


函館市内にも山岡家ができたが・・・・

2010年08月26日 23時23分36秒 | 外食ラーメン
ラーメンの全国チェーン店である山岡家が,函館市内にも8月17日に函館鍛治店が開店した。
これまでは,上磯店(北斗市)に頼らざるを得なかったので,期待を膨らませて本日実食したのだが,残念ながら少々がっかりした。
立地的に中央分離帯があるため右折で駐車場に入ることは無理,左折でもカーブを曲がりきった直後にあるため行きすぎてしまいそうになり実に入りにくい。
店舗自体もなんとなく,レイアウト的にごちゃごちゃしており,どこに座ったらいいのか迷ってしまう。
券売機は,最新のタッチパネル方式だが,年配者には実に使いにくい。(まぁ年配者の行く店でもないだろうが)
さて,肝心のラーメンだが,山岡家といえば醤油というわけでデフォルトの醤油ラーメン(590円)を注文した。

見てのとおり,かなりシンプル,チャーシューもなければ,メンマもない。いくら590円でもこれでは満足はできないだろう。
あとは,追加トッピングをしてくださいといったところだろうが,それなら他店の方がマシというもんだ。
それと,厨房での翌日のシフトを確認する会話がかなり耳障りだった。
日頃,あまり批判を表に出さない私だが,さすがにこれはパスである。
要するに味以前の問題だからだ。

初めて交響曲を生で聴いたのは・・・

2010年08月25日 23時13分15秒 | 想い出
ボクが初めて,生のシンフォニー・オーケストラを聴いたのは,昭和46年9月14日,函館市民会館においてで,中学校2年生の時である。
当時,同じく音楽好きのF君に誘われて行ったのだが,演奏者は,小澤征爾指揮の日本フィルハーモニー交響楽団。
この公演は,札幌の北海道厚生年金会館落成記念の一連であり,STVの主催。
演奏曲目は,前半はモーツァルトの「フィガロの結恨」序曲,小澤自身のナレーションでプロコフィエフの「ピーターと狼」,そして後半はベルリオーズの「幻想交響曲」であった。
日本フィルは,この後新日本フィルと分裂をするのだが,このときの演奏は分裂前の充実した時期で,聴けたことがラッキーだなと今もって思っている。
さて,今でこそマエストロとして確固たる地位を築いている小澤だが,当時はサンフランシスコ交響楽団の音楽監督にありながら,必ずしも正当な評価は日本国内において得られていなかったと思う。
いわゆるあるべき峻厳な相貌とは無縁で,保守的クラシックファンには受け容れられなかったのであろう。
舞台袖から急ぎ足で登場し,指揮台に飛び乗る仕草や,指揮そのものも自由奔放な姿に映り,かえって気むずかしさからは衆愚の存在だったのだろう。
曲の出来そのものの良し悪しは中学生のボクには到底理解できなかったが,第4楽章,第5楽章は大変興奮したことを覚えている。
生きた音楽がここにある。・・・とその時は感じた。曲そのものも好きになり,直後にクリュイタンス指揮のフィルハーモニア管弦楽団のLPレコードを購入したものの,実演の感動とはかなりかけ離れたものだった。
以来,幻想交響曲はボクのお気に入りの曲で現在CDも14種くらいあります。
でも,今のお気に入りは,小澤とは正反対の演奏と思えるピエール・ブーレーズ指揮ロンドン交響楽団のもの。
普通は,ベートーヴェンの「運命」あたりから入るところが,ベルリオーズというところがボクの偏屈趣味に拍車をかけることになる。
ちなみに,この曲の主人公とされる若き芸術家は,まさにボク自身の投影である。

1杯の月見そば

2010年08月23日 23時10分47秒 | 想い出
昨日はそばを話題にしたが,ついでに思い出話を披瀝したい。
一昔前,「一杯のかけそば」という美談が一世を風靡したことがあった。
人には誰にでも,節目節目に思い出の食事があることが多い。
で,僕の場合は「かけそば」ならぬ「月見そば」。
母方の祖母が脳梗塞で倒れ入院したのはおよそ40年前だったと思うが,入院したところが中島町の共愛会病院,そこに確かひとりで見舞いにいったことがある。
その日は,祖父(正しくは養祖父なのだが,血がつながっていなかったことはそのころは知らなかった)も見舞っており,帰りは一緒に病院を出て,堀川町電停まで歩いてきたのだが,その時電停近くの長寿庵に入って,初めて二人きりで食べたのが月見そばだった。
祖父とは後にも先にもその1回だけの食事だったが,妙に忘れられない。
実は,月見そばは生玉子が崩れると,汁を全部飲まないともったいない気がする。(実に卑しい話だ)
しかし,まだ子供だった僕には飲み干すことができずに残してしまったことが,祖父に申し訳ないという悔いとなって今日に至っているのだろう。
その後,成長して月見そばを食べる時は汁を全部飲み干すことへの義務感に支配されてしょうがない。
さらに,歳を重ね現在に至るのであるが,今度は高血圧のせいで,あまり汁を飲めないようになるとやはり月見そばはなかなかチョイスできない代物となった。
別に美談でも何でもない・・・・・函館弁でいわゆる「ほいど」の話,一杯の月見そばでした。