”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

函館市身体障害者等見舞金の廃止について

2016年11月30日 07時07分59秒 | 福祉政策

新聞報道によると、函館市の身体障害者等見舞金が廃止されることになった。

普段の私の考えからすると、福祉制度の後退は決して好ましいものではないが、この制度に限っては、「まだ。あったの?」という感想だ。

 

市のホームページでの要綱を見てみよう。

 

https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/file/bunshohosei/youkouyouryou/hokenfukushi/shougaifukushi/shougaifukushika1.pdf

 

タイトルの「身体障害者等」とは、身体障害者のほかに知的障害者も含むが、精神障害者は含まれていない。

これだけでも、障害者のための制度とは言いがたいのだが、さらに

 

1.公的年金給付を受けていないこと

2.特別児童扶養手当等を受けていないこと

3.特別障害給付金を受けていないこと

 

など公的給付を受けていないことが加わり

 

4.前年において給与所得がないこと

5.生活保護の非保護者でないこと

 

という条件がついいている。

 

これでどれだけの該当者がいるのだろうかという疑問がわく。

聞くところによれば、亀田市との合併時ころからある制度であり

そのころは上記の条件が付いていなかったらしい。

 

その後、収入・所得制限を設け、さらに保護受給者を排除したとのこと。

 

ならば、実際に受給しているのはどういう人たちなのかという疑問もわく。

生保受給者はいないとのことだから生活困窮者はいないと判断して良いだろう。

つまり、同居ないし近隣の身内から援助を受けているか、現在所得となる収入はないが、財産を保持しているものということになる。

 

こうなると、公平性の欠如が問われる。

 

さらにいえば、申請者本人に公的年金収入がある人の場合は受けられない一方、給与収入があっても給与所得とならような額であれば受けられるのだ。

逆転現象は容易に想像が付く。

 

現在の障がい者を取り巻く環境は、利用者自らがサービスを選択する制度であり、行政の施策もそれにそって充実してきている。

かつての措置制度時代の遺物ともいうべき、このような用途の定めのないバラマキのような給付は時代遅れともいうべきであろう。

 

これも聞くところによると、該当障害程度の人の2パーセントにも満たない人しか受給できていない制度らしい。

 


函館市の重度身体障害者等タクシー料金助成について考える

2016年11月12日 07時23分40秒 | 福祉政策
 

  函館市では、重度の身体障害のある人、知的障害のある人にタクシーの基本料金を年間36回分まで助成している。

対象となる障害を持つ人は、同市で実施している障害者等外出支援事業における電車・バス等の乗車カードなどの交付対象より範囲が狭い。

肢体障害は、下肢・体幹障害1~3級に、視覚障害は、1~2級、心臓・腎臓などの内部障害は1級のみ、知的障害は療育手帳A判定の人という電車・バスなどによる移動が困難な人に限られ、決してバラマキの大盤振る舞いではないと筆者は考える。

 

 詳しくはこちら→

 http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014031100019/

 

 今回、この事業をとりまく状況について考えてみたいと思ったのは、今年4月に、障害者差別解消法が施行されたこと、相模原市の施設で障害者殺傷事件が起こったこと、リオパラリンピックで函館にゆかりのある選手が大活躍をしたことなど、障害を持つ人に対する社会の関心の高まりを感じたからであり、かつて函館市の事業仕分けで「見直しが必要」と判断されたこのタクシー料金助成の制度について、思いをはせたためである。

 

 見直しが必要とされた市の考え方は、「対象者の就労の有無や日常の移動手段、介護者の有無など生活状況等について調査を行い、その結果を踏まえながら他の類似事業との給付の調整など、より効率的に、効果的な運用に向け、制度の見直しを検討する」というもので、これが筆者としては、ダメだなあと思う点である。

 

詳しくはこちら→

 http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014031700394/files/kangae11.pdf

 

 なぜ、こんな考え方に至ったのかは、当時の会議録での委員とのやり取りで浮かび上がってくる。かいつまんで、福祉的なものの見方を逸脱している点があるので、一部引用しながら筆者の考え方を述べたい。

 

 当時の会議録はこちら↓

  http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014031700394/files/1028gaiyou1.pdf

 

1 対象者の家族状況・生活状況等でサービスに差をつけるというのは、そもそも障害者支援の精神からかけ離れている。

 ある委員は、「一人でいるにはいい制度だと思います。ただ、同居している方がいて、その方の収入が高いものまで同じにするのはいかがなものかと思う。財政的な面もありますし、収入の高い人は、これを受けなくてもそういう人たちのサポートができると私は思います。同居している方の所得制限については考える必要があると思います。」と述べている。

 

 この考え方、極めて上から目線、健常者ならではの感覚だ。そもそも、一人でいようが、家族と一緒だろうが、障がいを持つ人にとっては関係がない。むしろ、家族は障がい者が家族にいるだけでも心理的・経済的負担は大きいのだ。収入の多寡によって、サービスが制限されるのは、いわゆる合理的配慮に欠ける状態である。障がいサービスは、収入に関係なく、障がいの程度によって判断されるべきものである。障害者総合支援法におけるサービスは、本人負担は、所得による応分負担になっているが、サービス自体は所得とは関係ないものとなっている。

 

2 よりより効率的、効果的な運用をこころがけるのは、障がい者本人であり、行政側がきめることではない。

 

 市の考え方にある「他の類似事業との給付の調整」とは、電車・バス等の外出支援事業にとの選択制を念頭に置いたものと考えるが、そもそもこの両者を類似事業と考えることに無理がある。

 

 電車・バス等の助成事業は、障がい者の社会参加を促進するものであり、一方、タクシー助成は、通院など障がい者特有の必要経費を、重度障害のある人に支援するものである。おのずから目的が違うのに、タクシーを利用する人は、電車・バスを利用できない人だと決め付けてしまう感覚が透けて見える。

 

 健常者であろうが、障がい者であろうが、時と場合、利便性、そのときの体調に合わせて交通手段を選ぶではないか。それを障がい者に対しては、「あなたはこの交通手段しか選べません」としてしまうところにある種の傲慢さを感ぜずにはいられない。

 

 普通の感覚の持ち主ではあれば、「今日は体調もよいし、道路状況も悪くないから電車をりようしよう。」とか、「今日は寒くて、体調もよくないからタクシーで病院に行こう。」というように使い分けるのが普通だ。自家用車を持っている人だって、タクシーを利用することは、健常者でもあり得ることなのだ。

 

  先ほどと別の委員は、「身体障害者手帳1級の方で、普通に車を買って、普通の仕事をされている方もいます。それでこのサービスを受けている姿も見ていますので、決して不正受給とはいいませんが、それを見ている健常者からすると、おかしいと見えてしまいます。」と述べていることが印象的である。

 

 このタクシー助成事業、聞くところによると、対象障がい者の半分くらいしか申請しておらず、さらに年間36枚を使い切ってしまう人が決して多数ではないといわれている。それは当然だ。この制度を利用すれば、ほとんどの場合自己負担額が生ずる。決して無駄遣いはしない、できないものであるからだ。

 

 本来であれば、さらに使いやすい制度にするには、どうしたらいいかと検討するのが、行政の努めであろうと筆者はいいたい。

 

 事業仕分けから4年が経過したが、昨今の人口減少からも、函館市でも制度対象の障がい者は減少しているとのこと、真の共生社会を目指すというなら、この制度を縮小するような検討はされるべきではないと思うものである。

 


子ども手当法案に反対は悪でない

2011年03月01日 21時42分13秒 | 福祉政策
かつて、児童手当の拡充に努めてきた公明党が、子ども手当法案に反対するのはおかしいという批判がよく聞かれます。
目の前の金が目当ての有権者には、なかなかわかってもらえないのがつらいところですが、
公明党の横山信一参議院議員は、次のように解説しています。

政局中心の国会が批判されています。しかし、公明党は、一度も審議拒否をしないし、委員会のたびに予算のずさんさを明らかにしています。政局ばかりの民主党と一緒にされるのは迷惑なことです。
子ども手当法案が否決された場合の混乱も心配されていますが、昨年、公明党は、安定財源の確保を条件に子ども手当法案に賛成しました。ところが、政府は、今回も一年限りの法案を出してきました。財源の目途が立たないのです。今後どうなるか分からないような子ども手当では、賛成のしようがありません。
国民生活を混乱させないために、恒久法を求めていたにも関わらず、このような案を作ってきた政府には、事態の収拾を含め重大な責任があります。


おまえら、金がもらえんと困るだろと言わんばかりに、強引に予算案を可決した極悪・菅直人には鉄槌を降さねば、後世に禍根を残すことは間違いありません。
この期に及んで民主党を支持する人がいるなんて、信じられない気持ちです。

2010年を振り返って

2010年12月31日 21時27分32秒 | 福祉政策
2010年は、個人的には充実した年ではあったが、世間に目を向けると、とりわけ函館にとっては大変な1年であったように思う。
その端的な例が、函館新聞紙上で繰り返し報道される、生活保護受給者の増である。
大晦日の本日も、1面にこの記事が書かれ、締めくくったという感じだ。

函館市の10月の生活保護率は43.8‰(パーミル=人口1000人当たりの被保護者数)となり、前月(43.9‰)をわずかに下回ったものの、前年同月比では2.1ポイント増え、増加傾向に歯止めがかからない。渡島、桧山両管内の町でも、江差町が同2.6ポイント増加するなど、全体的に増加が続いている。

 函館市の保護率は、4月から9月にかけて5カ月連続で増加し、合わせて1.0ポイント増となった。9月の保護者数は同市にとって過去最多の1万2399人(前月比11人増)となっていた。10月の保護者数は、前月比13人減の1万2386人。一方で世帯数は、同14世帯増(8807世帯)となるなど、保護世帯の核家族化が進んでいることがうかがわれる。

保護率は通常、受けやすい冬期(11—3月)には夏期よりも増加しやすい。函館市福祉事務所は「今回は保護者の若干の減少がみられたが、11月以降の保護者はこれを上回って増加している」として、一時的なものとする。


この論調の記事は、ほぼ毎月といっていいほど繰り返されている。
まさに抜け道のないトンネル状況だが、厚生労働省は、平成23年度予算要求において、貧困・困窮者の「絆」再生事業と銘打って、地域社会との「絆」再生を目指す方向を打ち出すとともに生活・居住支援事業とのリンクを強調している。

本来、地域社会は、共通のしかるべき道徳観の上に成り立つものであり、「やる気」を制度や支援策を通じ植えつけようとするのは、人間の本来持つ「自己再生力」さえ否定しようとする動きにはならないだろうか。こうした事業が公的に画策される日本はまたまた国際競争から遅れをとっていくかもしれない。

その中にあって、函館の将来はますます暗い方向に進みつつある。函館は「北海道の関西」という認識も一部にはあるという。保護率の高さは、政令指定都市・中核市を通じ、大阪市が1位、函館市が2位であることからもうなづける。先日の大阪市の現況を伝えるNHK報道は、函館にももう当てはまっているのだ。

自分ももちろん含まれるのだが、果たしてこぼれないで、どれだけ持ちこたえるかが2011年の厳しいテーマとなるだろう。


DV(ドメスティックバイオレンス)と生活保護

2010年10月12日 21時19分34秒 | 福祉政策
生活保護の申請は,一般的に申請希望者が福祉事務所の窓口に直接相談に行くのが一般的であるが,自分の窮状をうまく訴えることの苦手な人も少なくない。
そんなとき,申請を援助してくれるのが,各種の支援団体であり,ときには議員の口添えなどもあるという。
ここ数年,こうした動きの中で着実に数を増してきているのが,NPO法人の運営するDVシェルター(函館にもあるらしい)を経由しての申請だそうだ。
平成13年10月13日に施行された配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(通称DV防止法)がその起源らしいのだが,中にはいろんな問題もあると聞く。
この法律の手続上の問題点は議員立法により成立したこともあり、保護命令事件が係属する裁判所でどのような問題点を生じるかにつき、全くと言っていいほど考慮されていない。
・嘘の暴力被害に基づき保護命令の申立があった場合、申し立てられた配偶者にとっては、防御が困難である。
・申立側は暴力があったことを厳密に証明する必要がない。
・裁判所は相手方の反論を聞かずに保護命令を発することができる。
という諸点らしい。
確かに,夫から暴力を受けたと言ってシェルターに駆け込み,夫に所在を知られる危険性を回避するという福祉事務所側の弱腰な調査体制をいいことに,まんまと受給にこぎ着け,居宅を新たに構えたら,裏では夫と通じ合っている・・・ということも容易に想像できる。
福祉政策は,性善説をもとにしなければならないのが,やはり弱点といえよう