”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

年金担保と生活保護

2010年01月29日 10時09分40秒 | 生活保護
受給している年金を担保に融資というと、どこか悪質なヤミ金融業者が老人を食い物にしている感じ想像するが、実は例外的に年金担保融資が認められている事例がある。
ところがそれを扱っているのが厚生労働省所管の独立行政法人「福祉医療機構」というのだからアッと驚く。
この年金担保融資、どういう事情でできたのかは詳らかではないが、新たな生活保護受給者を生産することには大いに役立ったようだ。
金に困り、借金を年金担保の融資で穴埋め、当然収入がなくなるから生活保護申請に走るという構図が繰り返されてきた。
この年金担保で保護に落層した人たち、福祉事務所からは再度の担保はしないよう厳しく注意されているのだが、完済あるいは完済近くなると自発的に保護を辞退し、再度年金担保を繰り返すといった方法をとり何度も生活保護申請を繰り返すという暴挙を働いてきた。
さすがに、多くの福祉事務所から批判を受け、厚労省は重い腰をあげ、年金担保を理由に保護を受けている人や、現に年金担保をしている受給者のデータを福祉医療機構に集積し、保護受給中の年金担保融資に歯止めをかけるにいたった。
この2月からはさらに融資ルールを大幅に見直すことを決め、受給した年金の全額を返済に充てる方法は廃止し、年金収入がゼロになるのを防ぐなどに至った。
しかし、現受給者のデータをすべて把握しているわけではないので、いままで担保をしたことのない受給者はこの網にかからず融資を受けてしまうという抜け道もあるのである。
また、今回改正の全額返済をやめたことにより、福祉事務所側では、今まで介護保険料の特別徴収ができなくなったことによる担保事実の発見の契機さえ失ってしまう可能性も出てきた。
私が言いたいのは、なぜ年金担保融資を認めるのかというかという1点、天下り役人の仕事確保のため残しているのではと勘ぐりたくもなる。

雇用の場を無くしたの誰なのか?

2010年01月07日 13時26分05秒 | 政治
ここでは高邁な理論を述べるつもりはないし、そんな力も僕にはない。
ただ、「働く」という意味を考えさせる小さい頃の記憶があるのでここで紹介したい。
昔は、一般の家庭でも商店から商品を届けてもらうという習慣があった。
それは、今でも市内に存在する小売店なのだが、配達員にAさんという人を使っていた。
このAさん、仕事はまじめなのだが知的にやや劣っているところがあって、たとえば、配達品を届けるときは届けるだけ、注文を聞きに来るときは注文をとるだけ、集金するときは集金するだけしかできない人だった。
普通、頼まれていた商品を届けた際に、次の注文があるかを聞き、ついでに以前に納品したものの集金を同時にやれるのが当然なのだが、Aさんにはそれができなかった。
だが、雇い主はこのAさんを雇用し続けていたのだ。
お客さんも、それを知ってかあまり多くを望まない、いわば温かい目でAさんに接していた。
そういうことが許された時代だったのである。
これは、今風のサービスを提供という考えの中では推し量ることのできないことであり、いつしか社会は、失敗なくて当たり前を要求する時代になってしまった。
つまり、Aさんのような人を雇用することを許さなくなったのだ。
弱者を雇用から締め出す社会は、やがて成果第一主義に陥るようになり、高度成長時代に日本の社会は、総上昇志向に飲み込まれる。
今、派遣切りなどで仕事を無くしている人たちも根源では、そうした風潮の真っ只中にいた人が多いと思う。
ただ、システムとしての日本の雇用環境があまりに無策だったのと、多くの利益を少ない人間が独占するのではなく、少ない利益を多くの人が享受するといった慈悲的共存の精神が失われたからだろう。
おいしいものは一人で食べようという貧困な精神が、そのおいしいものをつくる人の生活を破壊し、結局自分も食べられなくなった。
技術力が高い日本の産業が行き詰まりを見せているのは、実はグローバリズムの波に乗れなかったのではなく、自らを滅ぼす因を自らがしてしまったということ。
結局、雇用の場を無くしたのはわれわれ自身の貧困な精神だったのかもしれない。
社会は、究極のワークシェアリングを要求しているが、皮肉にもそれが生活保護にとって代わり、やがて全ての人々の意欲をも減退させる。
日本は明らかに滅亡の一途をたどっているといえるだろう。
Aさんはもうこの世にはいない。
いい時代を生きれて良かったねと思うばかりである。

初詣、初売り、年賀状は廃止すべきではないか?

2010年01月06日 19時37分39秒 | ライフスタイル
私の幼少の頃は、正月三日間は、ほとんどの商店が休業で初売りは4日からというのが普通だった。
したがって、初詣に出たあと母の実家に行くくらいしか出かけるところがなかった。
年越し料理やおせちなどとは縁はなく、「もち」と「みかん」と「なます」しか記憶にしかない。
もちろん我が家(といっても私と母二人だけだが)は貧しかったので、初売りに買い物に行く動機がなかっただけのことかもしれない。
昨今は、元旦から営業つまり年中無休の店も多いのでこうした「初売り」の風習は廃れ、意義もないと思っていたが、別の意味で正月三が日が戻ってきたという感じがある。
それはわが市では大手以外の地元商店は、どうせ店をあけても客は来ないと見限ってか、それとも店を廃業する前兆なのかは定かではないが、静かな幕開けとなった。
さらに、初詣客の参拝数も人口の約1割強が減になるというすさまじさだ。
もっとも、普段は何の信仰心もなく、宗教的修行もなく、僅かの賽銭だけでいわゆる「神頼み」に効果があってたまるかという気持ちも私には強い。
ついでに年賀状も不要だ。本来年賀状は、正月の挨拶に行けない人のところに出すいわば代替措置だから、必要ないのは当然である。
一緒に過ごす家族もないといった人が、現実増えてきているし、近い将来はそういう人だらけに(自分も含めて)なってしまう傾向からも、大晦日も元旦も365日のうちの1日に過ぎなくなっているのだから、ことさら年末年始を意識付ける情報操作は不要とも思う。
もっとよくわからないのは、金融機関の休日が4日間だけなのに、官公庁が6日間も休むということだ。
首都圏では今年も派遣村が話題になった。
行政をサービスと位置づけるなら、本来官公庁は休むべきではない。
しかし、今職を失っている人たちが、新たに職に就けるといった環境は現下では望めそうにもない。
雇用確保の問題には、後日触れることとし、今大事なのは民主党が圧倒的多数をとっているうちに法律を改正し、大晦日と正月三が日は、警察と消防と病院を除く企業は営業してはならないとすべきなのである。もちろん、公共交通機関も全てお休みだ。こうして真の意味での安息日ができる。

・・・・・もちろん、最後の主張は冗談だ。

2010年は「青年」が復帰するかが鍵となる

2010年01月01日 21時24分23秒 | ライフスタイル
「闇が深ければ暁は近い」とよくいわれる。
また、「冬は必ず春となる」との至言もある。
新しい年を迎え、本年は、是非「青年」に復権してもらいたい、成長してもらいたい、躍進してもらたいと思うものである。
「青年」と「若者」とは本来違うものである。
「若者」は「青年」であることのひとつの条件だが、すべてではない。
逆に「青年」は若者だけに限らないということも真である。
私が信ずるところの青年は、
志し高く、自らを律し、滅私奉公の精神で、全ての人々の幸福を願い、平和の理念を持つことを第一条件に
それを具体的行動に移していく人間群のことである。
これらは単なるボランティア団体やNPO法人にはなしえない事業である。
そうした行動が、正当な評価を得る条件が整えば、日本は変わると断言できる。
しかし、大衆が変化を求めて成立した「民主・鳩山政権」は、まさに党首自身が権力の亡者となり、薄汚い政治資金におぼれており、その力はない。
日本の平和の現実が、精緻な日米関係のうえに成り立っていることを軽んじている社民党の福嶋は、夫婦別姓などという日本の家庭観を崩壊させようと枝葉末節にこだわっている。
国民新党の亀井にいたっては、既得権の擁護の代弁者に過ぎない無節操者である。
利益誘導の途をたたれた谷垣自民党は、未だ本来あるべき保守の政治理念を国民に浸透させることができずに喘いでいる。
北朝鮮とのかっての結びつきを公的に釈明しない日本共産党は、働かない人間を養護し、生活保護制度あっせんという暴挙により、日本の財政を破綻させようとしている国賊そのものだ。
「制度では人間の幸福を築くことはできない」というのが私の信条、それに代わるものを宣揚していく青年の台頭を待つしかないが
それはきっと現れると信じてやまないものである。