うたことば歳時記

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読み聞かせ技法の誤解 (1)

2020-03-01 12:15:08 | その他
 先日、幼児への読み聞かせをしている場面を見学しました。私もボランティアで小学生への読み聞かせをすることがあり、興味があったからです。そこで大変驚いたのですが、語る人がまるで能面のように表情一つ替えず、抑揚もなく、まるで機械が話しているように淡々と話すのです。子供達は確かに静に聞き入っていましたが、聞いていて少しもワクワクしませんし、面白くないのです。

 帰宅してからインターネットで読み聞かせについて調べてみると、そのようなやり方が本当の読み聞かせであるという趣旨の話しがいっぱい出て来るではありませんか。いやはや驚きました。

 その中の一つを御紹介しましょう。

 読み聞かせの講座などに行くとよく言われるのが、「感情は込めずに読むほうがよい」ということ。感情を込めて読むと子どもがそちらに気を取られてしまい、お話自体に集中できなくなるから、というのがその理由です。実際、筑波大学の調査でも、5・6歳児23名を「登場人物を大げさに演じ分けて読み聞かせる群」と「演じ分けをしない群」に分けて読み聞かせたところ、後者のほうが登場人物の心情を問うテストの成績が良かったことが報告されています。両グループに物語理解度の差はなかったものの、「演じ分けを行う読み聞かせをした群」は、「演じ分けが心情を察する働きを阻害している可能性があると考えられる」と見られる結果になりました。

 この筑波大学の研究の影響により、「感情は込めずに読むほうがよい」という理解が広まり、単調な読み聞かせが本当の読み聞かせ方であるということになっているのでしょう。私は高校の現役の教員ですが、私の授業は熱が入って、人物の内面に話しが及ぶ時は、その人に成りきるような気分で話してしまいます。とても覚めた気持ちでは語れません。もちろん生徒の反応も概ね良好で、生徒の理解を深めるのに役に立っていると思います。私はもう40年も日本史の授業をしてきましたが、その間、私の話がきっかけで大学の日本史学科に進学した生徒が何人もいます。

 そのようなわけで、感情を込めない語りについては大きな違和感を感じていました。そして何とか筑波大の論文を読んでみたいと思っていました。そうしたら筑波大のその論文の関係者が書いたものと思われる「知育At Home」『絵本の読み聞かせは抑揚をつけない方がいい』という論文の三つの誤解」という文章を見つけました。論文執筆者が、その研究成果が誤解されて広まっていることに責任を感じたのか、誤解を解こうとしたのでしょう。

 もちろんそれを読んでいただきたいのですが、直接にその研究論文を読んだ方がよいので、御紹介しておきます。正確な論文名は「絵本の読み聞かせ時の演じ分けが子どもの物語理解と物語の印象に与える影響」というもので、ネットで見られますから検索してみて下さい。

 その研究の材料となった実験は次の様なものです。絵本は長谷川摂子作・ふりやなな画の「めっきらもっきらどおんどん」(福音館書店)。対象年齢が3歳以上です。実験参加者は5歳児と6歳児あわせて23名。これを演じ分けを行う読み聞かせグループと、しないグループに分け、音声以外の読み聞かせ方法に差が出ないように、前もって録音していたものを聞かせる形で行われました。そして話が終わってから、話の内容をどの程度理解したかを確認する11問から成る理解度テストと、「ばけもの3人のうち,誰が一番嫌でしたか?」とか「遊びはどれが一番おもしろかったですか?」という2問の印象質問を行ったということです。

 その論文の途中の考察はここでは省略しますが、「まとめ」には次の様に記されています。

1) 演じ分けを行う読み聞かせをした群と演じ分けをしなかった群には、物語理解度に有意な差はなかった。
2) ただし,登場人物の心情を問う項目の成績は,統制群の方が良い傾向がみられた。3) 演じ分けを行う読み聞かせをした群は,特に登場人物に対する印象が偏った。以上により,読み聞かせ時の演じ分けは,大きく物語り理解には影響しないものの,心情理解を阻害する可能性、また、登場人物に対する印象に影響がある可能性が示唆された。

 論文を読んでみた感想ですが、天下の筑波大学の研究が「たったこれだけ?」というのが正直なところです。これなら高校生の保育の課題レポート並ではありませんか。あまりにお粗末すぎます。感情をこめた読み方をすれば、登場人物に対する印象がよくも悪くも強調される程度のことは、実験をする前から予想できることです。しかも予想通りの結果について、「心情理解を阻害する可能性」と評価している。「影響があった」というならともかく、「阻害の可能性」とは言いすぎでしょう。「化け物」を怖そうに読み聞かせたのですから、それを「嫌い」と理解するのは当たり前ではありませんか。しかも印象テストの質問はたった2問。そして内容の理解度には両グループとも差はないというのです。

いっぽう「知育At Home」『絵本の読み聞かせは抑揚をつけない方がいい』という論文の三つの誤解」では、まずは、抑揚はを付けるなというのは誤解であるといいます。そもそもこの研究と抑揚は無関係で、両グループの読み聞かせも適度に抑揚があったということです。そして「論文と抑揚は関係ない」ことは、実験者が認めています。実験者が注目しているのは「演じ分け」だけであって、それも台詞と擬音語だけに限っています。

 二つ目の誤解は、抑揚を付けると理解度が低下するというものです。しかし実験の結果では全く差はありませんでした。

 三つ目の誤解は「印象」が悪くなるというものです。「演じ分けのない方が物語の印象がよくなかった」と記されていますが、よくなかったのは物語の印象ではありません。ある登場人物(化け物)の印象が悪くなっただけの話しで、物語全体の印象ではありません。話は逸れますが、言葉は正確に使わなければなりません。印象が悪化したのは「物語」ではなく、「化け物」ではありませんか。

 そして実験者は正直に、「ただし、本研究の限界は,サンプル数の少なさから十分な精度を得られていないことである。また演じ分けの程度や種類で結果が異なる可能性も十分ある」と認めています。

 最近では、読み聞かせでは抑揚もなく単調に読むのがよいという説が、大手を振って歩いています。しかし読み聞かせの目的は、物語の理解を深めることだけではありません。まして、物語の印象を感情なしにニュートラルに受け容れることではありません。年齢に応じて言葉の理解を助長したり、本に興味を持たせたり、語り手との信頼関係を強めたり、話しを聞くという能力を育てたり、色々考えられます。取ったか、見たか、というように、速効が期待できるものではありませんが、大切なことは「お話を聞くのは楽しいな」と思わせることによって、本や言葉や本の内容に興味を持たせることなのです。本を読んでもらうことが楽しいと思うようになった子は、次第に自分でも読んでみようと思うことでしょう。

 繰り返しになりますが、理想的な読み聞かせのやり方は、聞いている子供達が楽しいと思うようになるやりかたであって、そこから自ずから読み聞かせの技法が生まれてくることでしょう。

 私は長年、新任教員の研修指導を担当してきましたが、まず問われるべきは、授業者が授業内容にワクワクするような興味関心を持っているかどうかということです。熱は必ず熱い方から冷たい方に伝わるもの。授業者に授業に対する熱がなかったら、どうして生徒が授業内容に興味関心を持つだろうか、と語ったものです。そのような自己体験から考えれば、大げさすぎるのは考えものですが、抑揚もなく、感情も込めない読み聞かせは、とうてい理想的な読み聞かせとは思えないのです。

続編を公表していますので、「うたことば歳時記 読み聞かせ技法の誤解(2)」、「うたことば歳時記 読み聞かせ技法の誤解(3)」も御覧下さい。


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