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ふくろう

2017-02-24 13:14:29 | その他
昨夜、我が家のすぐ側でフクロウが鳴いていました。隣家のテレビアンテナの上で鳴いていたので、シルエットで姿も確認できました。身近で見るのは一年に数回なのですが、声は時々聞こえてきます。

 そこでふと、フクロウを詠んだ歌があったはずだと探してみて、ようやく一首みつけました。

①山深み気近き鳥の音はせで物おそろしき梟の声 (『山家集』1203)

意味は、山が深いので、人に親しみのある鳥の声は聞こえず、聞こえるのは恐ろしいフクロウの声だ、というのです。フクロウの鳴き声を恐ろしいものと聞いているのですが、それは聞く人の心持ちと聞こえてくる場所の環境に左右されるのでしょう。山陰出身の家内はその声を聞いて、「ゴロクトホーセー、ホッホー」と鳴いていると言います。その意味はよくはわからないようで、幼い頃からそう聞いていたと言います。

 動物の鳴き声を意味のある人の言葉に置き換えて聞くことを、聞き成しと言います。鶯の声を「法法華経」と聞くことは誰でも知っていますね。フクロウの聞き成しは全国各地に様々に伝えられているようで、民俗的学術調査や、鳥の専門家の調査もあります。その中から代表的なものを上げてみましょう。

 「ぼろ着て奉公」 「五郎助奉公(ごろすけほうこう)」 「糊つけ干うせ」「糊摺り置け」などが最大公約数的に拾い出せそうです。粗末な服を着て奉公しているとか、五郎助が奉公しているとか、明日は晴れるから糊をを溶いて服につけて干せ、という意味なのでしょう。恐ろしげな意味に理解するものもあるのかもしれませんが、見つけられませんでした。

 まあ村里よりは深山の森の方が聞く機会も多いでしょうし、そのようなところで真夜中に聞こえてくれば、西行でなくとも恐ろしげに聞こえることでしょう。しかし正体が知れてしまえば、愛嬌のある声と理解されていたのだと思います。鎌倉初期の天台座主である慈円は、

②山深みなかなか友となりにけりさ夜更けがたのふくろふの声 (拾玉集)
と詠んでいます。恐ろしげなはずであるなに、他に友もいない山奥ではねかえって友のように親しみを感じているのです。その姿も相俟って、やはりどこか愛嬌があるのでしょう。

 フクロウは現代でも「不苦労」「福朗」と語呂合わせのように表記してね縁起の良い鳥と理解することが行われています。またローマ神話では、詩・医学・知恵・商業・製織・工芸などを司る女神ミネルヴァの眷属となっていて、ミネルヴァの像にはよく一緒に描かれています。フクロウが「森の賢者」や英知の象徴として理解されるのは、このことに拠っているのでしょう。

 そういえば、文系の良質の書籍を出版するミネルヴァ書房という出版社があります。そのマスコットはフクロウであるそうです。また教育関係の企業や組織で、フクロウをシンボルとしていることがよくありますね。これらももとはみなミネルヴァの従者であるフクロウにあやかっているのでしょう。






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