うたことば歳時記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

フランス国旗(トリコロール)

2017-02-23 09:53:55 | 歴史
 フランスの国旗は、青・白・赤の三色の縦縞で、一般には「トリコロール」(フランス語で三色の意味。)と呼ばれてよく知られています。フランス仕込みを売り物にするパン屋さんでは、トリコロールの装飾をよく見かけますね。

 一般にフランス国旗の色の意味については、青は自由、白は平等、赤は友愛を表すと理解されています。しかしその根拠はなく、そのような理解は完全に誤りです。ネット上にはそのような情報がたくさんありますが、みな確かめもせず、安易にネット情報をコピーしているので、その様なことになるのでしょう。もちろんこの現代のご時世ですから、私もネット情報は大いに活用していますが、玉石混淆ですから、質を見分けて利用しなければなりません。

 そもそも現在のフランス憲法の第2条には、「国旗は青・白・赤の三色旗(トリコロール)である」、「共和国の標語は『自由・平等・友愛』である」とは定められていますが、色と標語の対応については何も触れられていません。なお1946年の憲法では、色の幅は三等分で、縦縞であると規定されていましたが、現在の憲法には見当たりません。理屈を言えば横縞にするとオランダ国旗と同じになってしまうのですが、国旗を維持していこうという政府と国民の意思に変わりはなく、細かく規定しなくても問題はないということなのでしょう。

 共和国の標語『自由・平等・友愛』は、フランス語では「liberte(リベルテ)・egalite(エガリテ)・fraternite(フラテルニテ)」といいます。もともとは革命の標語の一つで、特に自由と平等については、ラ・ファイエットらによって起草された『人権宣言』の第一条に、「人は、自由かつ権利において平等なもの」と記され、革命の初期から重視されてきました。友愛についてはキリスト教的な背景があり、中世的教会の権威を否定した フランス建国の原理とすることに抵抗もありました。公式に国の標語として理解されるようになったのは、1870年(第三共和政)以後のことで、1946年の憲法に国家の原理として明記され、現在に至っています。フランスでは現在はEUのユーロが通貨となっていますが、かつてのフランスコインには、「liberte・egalite・fraternite」の標語が刻まれていました。

 なおフランスの「自由」の象徴とされたのが「マリアンヌ」と呼ばれるいわゆる「自由の女神」です。ニューヨークにある有名な「自由の女神像」は、1886年、アメリカ合衆国独立100周年の記念として、フランスから贈呈されたものです。左腕に抱えられた銘板には、独立記念日である1776年7月4日の日付が刻まれています。ニューヨークの「自由の女神」は「フランス生まれ」なのです。一方パリには、フランス革命100周年記念として、1889年にパリに住むアメリカ人有志が贈呈した「自由の女神像」があります。左腕に抱えられた銘板には、フランス革命のきっかけとなったバスティーユ牢獄襲撃が起こった1789年7月14日の日付が刻まれています。

 この三色の標章が初めて作られたのは、革命が勃発した直後のことでした。1789年7月15日、バスチーユ牢獄襲撃の翌日、新設された市民軍である「国民衛兵」に対して、その司令官となったラ・ファイエットは、「パリ市の色である青と赤に、フランス古来の色である白を加えた三色の記章が、フランスの記章となる」と語っています。そして兵士たちにパリ市の標章として用いられていた赤と青の間に、国王をあらわす白を挟んだ三色の帽章を身に着けさせました。ラファイエットは、義勇兵を率いてわざわざアメリカ独立戦争に参加した経験があり、赤・白・青三色からなるアメリカ国旗を見ています。その色の取り合わせは、彼にとってヒントになったかもしれません。

「フランス古来の色」とは、17世紀以後、フランス王家であるブルボン家の紋章である百合の花を白地にあしらったものが、王家の標章となっていたことによります。一寸脱線しますが、フランス王シャルル7世の戴冠に貢献したジャンヌ・ダルクも、白地に百合をあしらった旗を持って戦っています。王家の色を市民の色で挟んだことは、ラ・ファイエットが立憲君主制により王政と市民革命の融和を意図したからでした。後に国王は革命の過激派によって処刑されることになるのですが、この時点ではまだ市民は王に対して、それなりの敬意を持っていたようです。

 17日には国王ルイ16世はパリ市を訪れ、パリ市長からこの三色をあしらった帽章を「君主と民衆の崇高かつ永遠なる同盟のしるし」として着けさせられましたが、これはラ・ファイエットの意図とは異なり、国王がパリ市民によって左右から枠にはめられ、国王の権威が失墜したことを象徴的に表しているのです。

 革命初期には公的な規定がなく、色の順が現在と反対であったり、横縞のものもありました。「サンキュロット」(「半ズボンをはかない者」という意味。)と呼ばれた一般市民が、横縞の三色旗を持つ絵も残っています。(L、ボワリー画)横縞にすると現在のオランダ国旗と同じになってしまいますが、当時のオランダ国旗は赤の部分がオレンジ色でしたから、わずかに違っています。そして1794年には、現在の配色順の縦縞の三色旗が共和国旗に定められ、ここにフランス国旗が制定されたわけです。

 赤を外側にしたのは、青空に翻るときよく目立つからです。青を外側にすると、旗の青色が空の色に紛れてしまい、目立たなくなってしまうのです。また色の幅はかつては三等分ではなかったのですが、現在では三等分となっています。横縞にしなかったのは、既によく似た横縞のオランダ国旗ができていたからでしょう。その後1814年から1830年の王政復古の期間を除いて、現在まで使われ続けています。

 その1814年にはナポレオンの敗北により、フランス革命の成果を無視するような王政が復活しました。しかし1830年には「七月革命」により、国王シャルル10世を亡命に追い込み、立憲君主制となったのです。この時の戦いをドラクロアが描いた『民衆を導く自由の女神』という絵画がルーヴル美術館にありますが、フランス革命のシンボルであった自由の女神が、これもシンボルとなっていた「フリギア帽」をかぶり、三色旗を掲げて市民と共に進む姿が描かれています。ドラクロアは、市民たちの姿に、見えないはずの女神の姿を感じ取ったのでしょう。七月革命後に王位に就いたルイ・フィリップは「フランス国王」ではなく「フランス国民の王」と称し、「三色旗」をフランス国旗として復活させたのでした。ちなみにフランス革命のシンボルとなったこの帽子は、土産物として売られていますから、教育関係の仕事をしている方は、是非ともお買い求め下さい。

 少々脱線しますが、このフリギア帽はその後世界各国で自由のシンボルとみなされ、中南米のハイチ・ニカラガ・エルサルバドル・パラガイ(裏面)の国旗や、コロンビア・アルゼンチンの国章に採り入れられています。

 フランス国旗の三色の組み合わせ(トリコロール)は装飾的にも美しいため、国旗以外の用途にも活用されています。公的施設が公開される儀式においては、テープカット用リボンに使われます。また国家最優秀職人賞を受賞した料理人は、襟にがトリコロールになったコックコートの着用が法律で認められています。日本でもフランス料理店には、このトリコロールの装飾を見ることがありますから、探してみましょう。

 市民革命によって誕生したフランス国旗は、その後に成立した近代国家の国旗に大きな影響を与えました。縦三分割の構成や、三色の色そのものが採り入れられたりしています。縦三分割の例としては、ルーマニア・アイルランド・ベルギー・イタリア・メキシコ・ギニア・コートジボワール・チャド・マリ・セネガル・カメルーンなどがあります。三色を採り入れた例としては、パラグアイ・カンボジアなどがあります。それぞれの国の尊厳に関わることですから、フランスの国旗を真似したというわけにはいきませんが、参考やヒントになったことでしょう。



コメントを投稿