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節分にはどうしていわしの頭と柊の枝を飾るの?(子供のための年中行事解説)

2022-02-03 07:40:56 | その他
節分にはどうして柊(ひいらぎ)と鰯(いわし)の頭を飾るの?
 追い出した鬼が家の中にまた入ってこないように、鬼の嫌いな柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を突き刺したものを門や家の入り口に挿しておくことがあります。柊の葉には鋭い棘(とげ)があり、鬼の目にちくちくと刺さって痛い。鰯の頭は生臭くて、鬼の嫌いな匂(におい)、というわけです。もちろん本気で信じているわけではありません。しかしそうしておけば何となく安心して落ち着くのでしょう。「鰯の頭も信心から」という諺がありますが、鰯の頭のような物でも、信じる人にはありがたく見えるというわけで、迷信をかたくなに信じることを風刺しています。この諺は『毛吹草』(1638年)という俳諧書にも記されていますから、江戸時代の初期にはあった古いものです。
 鰯の頭と柊を門口に挿す風習は、いつ頃から行われていたのか詳しいことはわかりませんが、『土佐日記』(935年)にそれに関係ある記事があります。土佐国司(土佐国の地方長官)の任期を終えて船で帰京する途中、紀貫之は大湊(おおみなと)というところで年末年始を過ごすのですが、船中のため元日には京の都のことばかり思いやられ、庶民の家の門に飾ってある注連縄(しめなわ)の鯔(なよし)(ぼら)の頭や柊はどんな具合だろうかと皆で言い合った、というのです。原文では「小家の門のしりくべ縄のなよしの頭、柊ら、いかにぞ」と記されています。おそらく柊の枝に鯔(なよし)の頭を突き刺したものを、注連縄に挿し込んであったのでしょう。鯔(ぼら)と鰯の違いはありますが、追儺に挿した鯔の頭が、そのまま新年にも残ったままになっていたのでしょう。鬼を追い払う追儺という風習は、当時は節分ではなく、大晦日の行事でしたから、元日にもそのまま残っていたわけです。
 柊と鰯の頭を魔除けにする風習は、鎌倉時代には始まっていました。鎌倉時代の中期の公家である藤原為家(定家の子)が次のような歌を詠んでいます。「世の中は 数ならずとも ひひらぎ(柊)の 色に出でては いはじ(鰯)とぞ思ふ」(『夫木和歌抄』14074)。「いはじ」は「鰯」と「言はじ」を掛けているのはすぐにわかるのでしょう。「男女の仲というものはとるに足りないものであっても、本心は明かさないものだ」という意味なのですが、明らかに戯歌(ざれうた)として「柊」と「鰯」を裏に詠み込んでいます。つまり鎌倉時代の中期には、柊と鰯の組み合わせが定着していたのです。 ただしこれが追儺のまじないであるかどうかは、この歌からはわかりません。それでも土佐日記の記事や、後の風習から考えて、そのように推定することは可能だと思います。
 なぜ魚の頭を挿すのかについて、現在ではその生臭い匂いを鬼が嫌うからと説明されていますが、そうかもしれませんし、違う理由があるのかもしれません。しかしそのことを直接説明できる文献的根拠は今のところ確認できません。柊については、ひりひり痛むことを意味する「ひいらぐ」という古語の名詞形ですから、棘が刺さると痛いと考えられていました。古事記の神話に、日本武尊(やまとたけるのみこと)が柊で作った矛(槍の一種)を持っていたことが記されていますから、邪気を退ける霊力を持った木であると信じられていたのでしょう。先日川越の街を歩いていて、ある家の東北の隅に柊が植えられているのを見つけました。東北は鬼門と称して、鬼が侵入してくる方角と信じられていましたから、魔除けとして植えられたのかもしれません。


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