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身長の低いかなしみ

2016-01-22 18:43:36 | その他
 私は身長が159㎝しかありません。若い頃はそれでも161㎝あったのですが、四捨五入で70歳ともなると、次第に縮んでしまいました。小学生の時から高校を卒業するまで、身長はクラスで最も低く、いつも大きな生徒から痛めつけられたりいろいろなレスリングの技をかけられたりして、いじめられ続けました。親を恨んでみてもどうにもならないことはわかっていましたから、我慢するしかありませんでした。大学に入って武道を習い、何とか負けないようになりたいと頑張ったのですが、結局ものにならず、放り出してしまいました。
 先日ふとしたことから、日本人の平均身長について調べることがありました。弥生時代から古墳時代の人の平均身長は、男で163㎝、女で152㎝もあったそうです。当時の人骨出土例は圧倒的に九州が多く、弥生文化以来の半島からの渡来人の影響を直接受けていたので、縄文時代人よりかなり大きかったようです。ところがその後次第に低くなり、江戸時代には155㎝と143㎝、明治時代には155㎝と145㎝、大正時代には162㎝と151㎝、昭和時代前期で165㎝と153㎝、昭和時代後期で167㎝と157㎝、現代では何と171㎝と160㎝だそうです。
 よく将軍徳川吉宗は、6尺もある大男であったと言われています。異説もあるのですが、調べようもありません。現在ならば大男と言われる程の身長ではないのですが、平均身長155㎝の時代ならば、大男に違いありません。
 そう言えば明治6年にできた徴兵令では、5尺1寸未満は徴兵免除となっています。154.5㎝ですから、さき程のデータが正しければ、平均は155㎝ですから、ほとんどが身長のために免除となってしまいます。そんなはずはないと思うのですが・・・・。本当に155㎝だったのか、少し疑問に思いました。
 日本史や世界史の図説資料集には北清事変に参加した9カ国の兵士が、各国1人ずつ並んだ記念写真が、定番のように載せられています。明治33年のことです。それを見ると米英露の堂々とした兵士の姿に圧倒されると同時に、あまりにも見かけの貧弱な日本兵の姿に驚かされます。貧弱とはいうものの、この時の日本兵の活躍は目覚ましく、「極東の憲兵」と賞賛されたことは素晴らしいことでした。体力で勝負しない仕事なら、背が低くとも関係ないのでしょうが、当時の兵士は、まだ体力で勝負する場面もあったでしょうから、大男の中で、日本兵はさぞかし大変だったと思います。
 この年齢になると、さすがに劣等感を持つ場面はあまりなくなりました。もう諦めました。しかし今振り返って、良いこともあったのかなと思うようになりました。食べる量が少なくて済むからです。回転寿司では3皿、夫婦二人で6皿でよいのですが、余り少ないと店に申し訳ないと、1皿デザートを追加して二人で分ければ、もう十分なのです。きっとエンゲル係数はとても少ないことでしょう。まあ食費のことは、冗談半分の話です。
 それより、背が低くて馬鹿にされたりいじめられたり、辛いことがたくさんありましたが、負けてもただでは帰ってこないしぶとさは身に付いたかもしれません。身長が低くて悩んでいる生徒には、大丈夫だよと励ましています。シューベルトは156㎝しかなかったそうです。


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