うたことば歳時記

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百合(深草百合)

2016-06-27 16:59:12 | うたことば歳時記
「百合」と書いて「ゆり」と読みますが、鱗片が重なって球根(球茎)を形作っていることによる呼称でしょう。キリスト教世界ではイエス・キリスト復活のシンボルとして「イースター・リリー」と呼ばれ、また聖母マリアの花(マドンナ・リリー)とも理解され、神聖な花として尊ばれています。キリスト教徒の墓石に百合の花が刻まれるのも、百合に象徴される復活にあやかりたいからにほかなりません。日本でも『古事記』『日本書紀』にも登場しています。

 『古事記』では、神武天皇が后妃として伊須気余理比売(いすけよりひめ)を選ぶ際に、姫の家の側の川岸に山百合がたくさん咲いていたので、百合の古語である「さい」によって「佐韋河」と名付けたという逸話が記されています。その背景としては、百合の花を美しい女性に見立てるという理解があったからなのでしょう。
 
『万葉集』にも11首詠まれ、古くから身近な花でしたが、『古今和歌集』以後の三代集では歌の題としては全く注目されず、院政期になると再び詠まれるようになります。
  ①道の辺の草深百合の花咲(ゑみ)に咲(ゑ)みしがからに妻と言ふべしや(万葉集 1257)
  ②夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ(万葉集 1550)
 ①は、百合の花のようにちょっと微笑んだだけで、妻であると言うべきでしょうか、という意味で、求婚を断る女性の歌ということです。②は、夏野の茂みにひっそりと咲いている姫百合のように、相手に思いを伝えられない恋は苦しいもの、という意味です。歌の内容はともかく、ここでは百合の花は草深い中にひっそりと咲く、即ち、言うに言われぬ乙女の片思いという理解に注目しましょう。「草深百合」と詠む歌は他にもあり、慣用的表現となっていたらしいのです。もちろん直接の関係は何もないのですが、『旧約聖書』の「雅歌」2章21節にも、「いばらの中に百合の花があるようだ」と記されていて、いばらの茂みの中の百合が注目されています。

 さて「ゆり」とは、上代の言葉で「後」とか「将来」ということを意味します。そこでこの同音異義を掛けた百合の歌が詠まれました。
  ③路の辺の草深百合の後(ゆり)にとふ妹が命を我知らめやも (万葉集 2467)
  ④吾妹子(わぎもこ)が家の垣内(かきつ)の小百合花後(ゆり)と言へるは不欲(いな)と言ふに似む (万葉集 1503)
③は、「後で」と言うあなたの命を私は知らない、(だから早く逢いたい)という意味。④は、後でお逢いしましょうというのは、逢いたくないと言っているのと同じ、という意味です。③も④も「百合」は同じ音の「後(ゆり)」を導く枕詞・序詞として詠まれていますが、それだけではなく恋人の印象をも兼ねていて、『万葉集』としては手の込んだ歌です。このように同音異義語を活かして詠むことは、現代短歌の歌人にはつまらぬ技巧と退けられるでしょうが、本来の和歌にはごく普通に見られることでした。
 現代人にとって百合の花は、花屋で買い求める花であり、野生の百合を見る機会は少なくなってしまいました。もし夏草の中に野生の百合を見ることがあれば、それは価値ある見物なのです。この年齢になりますと、今さら「人に知られぬ恋」でもありませんが、若い方々は、そのような思いを重ねて、しみじみと「草深百合」を御覧になってください。我が家の周辺では、大正末期に台湾から伝えられたとされる「高砂百合」(タカサゴユリ)が、数え切れないほどたくさん咲きます。種が風に飛ばされて容易に増殖するので、密集して咲いているところもあります。周囲を背丈の高い草に囲まれても咲いているので、それこそ「深草百合」だと楽しんではいるのですが、花が数日しかもたないのが欠点です。

 古来からの百合の理解を踏まえて、私も一首詠んでみました。少々おのろけの歌ですが・・・・。
  ○吾妹子(わぎもこ)に恋こそまされ夏草の草深百合の後(ゆり)もかはらず