うたことば歳時記

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撫でし子(なでしこ)

2016-06-16 14:46:33 | うたことば歳時記
ナデシコを漢字で書けますか。これがなかなか難しいのです。『万葉集』では「瞿麦」や「石竹」と表記されていますが、『古今和歌集』以後は「常夏」と書かることがあります。もっとも「常夏」はナデシコの別名であって、「とこなつ」と読まれ、「なでしこ」と読んだわけではなさそうです。「なでしこ」と読む場合は、「撫子」と表記されるようになります。

 その「撫子」ですが、同音異義語の大好きな古人は「慈しんで撫(な)でた子供」という意味に理解し、次のような歌が詠まれました。
  ①あな恋し今も見てしが山賤(やまがつ)の垣ほに咲ける大和なでしこ (古今集 恋 695)
  ②双葉(ふたば)よりわが標(し)めゆひし撫子の花のさかりを人に折らすな (後撰集 夏 183)
  ③よそへつつ見れど露だに慰まずいかにかすべきなでしこの花(新古今 雑 1494)

 ①は、ああ恋しくて今も逢いたいものだ。山に住む人の垣根に咲いていたあの大和なでしこのような可愛いあの娘を、という意味です。詞書きがないので具体的なことはわかりませんが、なでしこの花を可愛い女の子に喩えているのです。作者はその娘がまだ幼い頃から可愛がっていたのでしょう。次第に成長してくると、可愛いだけではなく、年頃の女性として恋心が芽生えたのかもしれません。

 「なでしこ」はもちろん「撫でし子」です。「し」(き)は、文法的には過去を表す助動詞で、主に話し手自身の直接体験を 回想する場合に用いられ、「自己体験過去」の助動詞とも呼ばれます。ですから特に説明されなくとも、「幼い頃に私が撫でて可愛がった可愛い子」という意味を背後に含んでいるのです。(余談ですが、現代短歌ではこの自己体験過去の助動詞を、単なる過去を表す言葉として、自己体験以外にも乱用しているのは、時代の趨勢とはいえ、少々残念なところです。)

 ②には、「女子持て侍りける人に、思ふ心侍りてつかはしける」という詞書があります。「標(しめ)をゆふ」とは標縄を張って占有を表す行為ですから、「双葉・・・・撫子の花」は、「幼い頃から撫でるようにして大切に育てた乙女」という意味。それを「人に折らすな」というのですから、「他の男に取らせるな」という意味です。現代人には理解しかねる倫理観かもしれませんが、『源氏物語』の光源氏も紫の上を同じように育てて妻に迎えていますから、王朝時代には許されることだったのでしょう。

 ③は詞書きによれば、母がなかなか訪ねてこない息子に、なでしこの花と一緒に贈った歌で、なでしこの花をお前だと思って眺めてみるが、少しも心が慰められない、という意味です。要するに、寂しいから母に逢いに来て欲しいと訴えているのです。なでしこの花が「幼い頃から可愛がってきた可愛い子」を意味することが、共通理解となっていたことがわかります。

 このような幼児からの類想で、親に先立たれた遺児という理解も生まれます。
  ④見るままに露ぞこぼるる後れにし心も知らぬ撫子の花 (後拾遺 哀傷 569)
長い詞書などによれば、父である一条天皇が亡くなった後、わずか4歳の皇子(後の後一条天皇)が、父の死もわからずに傍らの撫子の花を手に取った姿を、これもわずか24歳の母である上東門院(藤原道長の娘、彰子)が見て詠んだ歌ということです。要するに、父の死を実感できない幼児のことを、母が詠んだ哀しみの歌なのです。「後(おく)る」とは、遅くなるということではなく、「愛する者と死に別れる」という意味。「露」はもちろん「涙」の比喩です。まさに「撫でし子」が実感される歌ですね。現代短歌では同音異義語にほとんど関心がもたれないのですが、このように撫子の印象をより豊かにしてくれる可愛い理解を、もっと大切にしたいものです。

 現代では母の日に子供が母にカーネーションを贈る習慣がありますが、カーネーションは江戸時代には「オランダなでしこ」と呼ばれ、なでしこの仲間です。もちろん偶然のことですが、古の日本では、母が愛しい子を連想する花であったのです。