今日6月4日は、天安門事件の起きた日です。ということで、当時の新聞を引っ張り出してあらためて読んでみました。後に、天安門広場では誰も死んでいないというNHKの番組がありましたが、私には信じられません。中国共産党の公式発表では、死者は319人だそうですが、それを真に受ける日本人は一人もいないでしょう。実際にどれ程の死者がいたのかいろいろ情報が錯綜していて、今になってもはっきりわかりません。どの情報を信用してよいのか、ここで安易に数字を上げることはしないでおきましょう。
いまここで私が問題にしたいのは、実際の死者数ではなく、当時の新聞が報じた死者数です。学校という所は数紙の新聞を取っていますので、読み比べることができます。私は社会科の教員ですから、毎日数紙を隅から隅まで読むのですが、社会科の教員としてはまあ当然のことです。そしてその日、数紙を読み比べて唖然としてしまいました。朝日新聞の見出しには、「死者は数百人か」、毎日新聞には、「死者多数2600人説も」、読売新聞には、「死者3千人に」となっているのです。いったいどれが本当なのか、あまりにも差がありすぎてびっくりしてしまいました。赤旗と産経新聞がどのように報じていたか、手許に資料がないのでわかりませんが、中国が「大好き」な順番に、死者の数が少なくなっているのです。
暫くして、中国にいる友人から中国の新聞が送られてきました。当日の新聞には、天安門事件については、一言も触れられていません。現在のようにインターネットなどない頃ですから、新聞が報じなければ、中国国民の大多数は、事件が起こっていることさえ知らなかったことでしょう。そして6月10日の『光明日報』という新聞には、「所謂〝天安門流血成河〟、完全是胡説」と書かれているではありませんか。「胡説」とは、胡人(ペルシャ人)の言うことという意味なのですが、中国ではでたらめとか嘘八百という意味に用いられる言葉です。つまり天安門では流血事件が起きたことを完全に否定しているのです。
本当に死者はいなかったという報道がありましたが、死者がいないなどそれこそ胡説だと思います。しかし私にはそれ検証する材料も力量もありません。問題は新聞報道の死者数です。当事者中国の新聞は死者無しというのですが、日本では中国の新聞は普通は読めません。しかし朝日や毎日や読売は誰もが普通に読む新聞です。私はたまたま3紙を見比べて読んだからよいものの、普通の家庭では一つだけしか読まないでしょう。そうすると、どの新聞を読んだかで、印象が全く異なってしまいます。恐ろしいことだと思いました。
私は中国の新聞をも含めて教室に持ち込み、情報というものは、発信する側の立場によって、事実が曲げられることがあるという格好の教材として活用することにしました。情報を可能な限り広く入手することの大切さを、強く訴えたものでした。
中国の報道のでたらめさには驚きません。所詮、共産主義国のすることはそんなものでしょう。しかしいくら何でも朝日新聞はひどすぎると思いました。後に慰安婦報道で味噌をつけることになる朝日新聞ですが、その体質は変わっていないなと今あらためて実感した次第です。
いまここで私が問題にしたいのは、実際の死者数ではなく、当時の新聞が報じた死者数です。学校という所は数紙の新聞を取っていますので、読み比べることができます。私は社会科の教員ですから、毎日数紙を隅から隅まで読むのですが、社会科の教員としてはまあ当然のことです。そしてその日、数紙を読み比べて唖然としてしまいました。朝日新聞の見出しには、「死者は数百人か」、毎日新聞には、「死者多数2600人説も」、読売新聞には、「死者3千人に」となっているのです。いったいどれが本当なのか、あまりにも差がありすぎてびっくりしてしまいました。赤旗と産経新聞がどのように報じていたか、手許に資料がないのでわかりませんが、中国が「大好き」な順番に、死者の数が少なくなっているのです。
暫くして、中国にいる友人から中国の新聞が送られてきました。当日の新聞には、天安門事件については、一言も触れられていません。現在のようにインターネットなどない頃ですから、新聞が報じなければ、中国国民の大多数は、事件が起こっていることさえ知らなかったことでしょう。そして6月10日の『光明日報』という新聞には、「所謂〝天安門流血成河〟、完全是胡説」と書かれているではありませんか。「胡説」とは、胡人(ペルシャ人)の言うことという意味なのですが、中国ではでたらめとか嘘八百という意味に用いられる言葉です。つまり天安門では流血事件が起きたことを完全に否定しているのです。
本当に死者はいなかったという報道がありましたが、死者がいないなどそれこそ胡説だと思います。しかし私にはそれ検証する材料も力量もありません。問題は新聞報道の死者数です。当事者中国の新聞は死者無しというのですが、日本では中国の新聞は普通は読めません。しかし朝日や毎日や読売は誰もが普通に読む新聞です。私はたまたま3紙を見比べて読んだからよいものの、普通の家庭では一つだけしか読まないでしょう。そうすると、どの新聞を読んだかで、印象が全く異なってしまいます。恐ろしいことだと思いました。
私は中国の新聞をも含めて教室に持ち込み、情報というものは、発信する側の立場によって、事実が曲げられることがあるという格好の教材として活用することにしました。情報を可能な限り広く入手することの大切さを、強く訴えたものでした。
中国の報道のでたらめさには驚きません。所詮、共産主義国のすることはそんなものでしょう。しかしいくら何でも朝日新聞はひどすぎると思いました。後に慰安婦報道で味噌をつけることになる朝日新聞ですが、その体質は変わっていないなと今あらためて実感した次第です。