昨夜、ゴイサギが鳴きながら夜空を飛んでいきましたので、ゴイサギについて一寸書いてみます。声の正体を知らない人にとっては不気味な声でしょうが、知っていれば夏の夜ならではの、風情のあるものです。「クワッ、クワッ」と聞こえるためか、「夜がらす」と言われることもあるように、家内はカラスが鳴いているものだと思い込んでいました。体長は60㎝くらいでしょうか。鷺の仲間の割には首が太くて短く、脚もそれ程長くはなく、くちばしも太くて長くはなく、全体としてずんぐりしています。色は頭から背中にかけての上面が青味がかった灰色で、腹の方の下面が白いので、その形も相俟ってペンギンによく似ています。実際、動物園のペンギンの池には、ペンギンの餌を横取りしようとして、よくゴイサギが紛れ込んでいます。
よく「鳥目」といって鳥類は夜は目が効かないと言われていますが、このゴイサギは夜行性で、月も見えない星月夜の空を、何処へともなく飛んでいきます。真っ暗な中、何を求めてどこに飛んで行くのか、神秘的な気持ちになるものです。そこで一首詠みました。
星月夜われは何処へ向かふべき見えざる鷺の声わたり行く
先の見えない人生を、私はどの方向に進んで行けば良いのか、鷺には行く手にかすかに光が見えるのでしょうか。
この夏の時期にその鳴き声をよく聞くのですが、ちょうどホトトギスも今頃の夜に鳴いて飛んでいますので、聞き逃さないように、寝床の横の窓をなるべく開けたままにしてあります。我が家にはクーラーなどという文明の利器はないので、夏はいつも窓を開けっ放しにしてあります。話はそれますが、タヌキが餌を取り合って喧嘩する声や、フクロウの声も聞こえます。
ゴイサギは漢字で書くと、曰くありげに「五位鷺」と表記されます。今さら私が説明するまでもないほどによく知られた逸話ですが、ひょっとすると御存知ない方もいらっしゃるかもしれませんから、その名前の由来について書いてみましょう。
『平家物語』(巻五 朝敵揃)昔は宣旨を向かって読みければ、枯れたる草木もたちまちに花咲き実なり、飛ぶ鳥も従ひき。近頃のことぞかし。延喜の帝神泉苑へ行幸なつて、池の汀に鷺の居たりけるを、六位を召して、「あの鷺捕ってまゐれ」と仰せければ、いかんが捕らるべきとは思へども、綸言なれば歩み向かふ。鷺羽づくろひして立たんとす。「宣旨ぞ」と仰すれば、ひらんで飛び去らず。すなはちこれを捕ってまゐらせたりければ、「汝が宣旨に従ひてまゐりたるこそ神妙なれ。やがて五位になせ」とて、鷺を五位にぞなされける。今日より後、鷺の中の王たるべしといふ御札を、みづから遊ばいて、頸かけてぞ放たせたまふ。まつたくこれは鷺の御料にはあらず、ただ王威の程を知ろ示さんがためなり。
天皇が御所の南に造営された神泉苑に行幸されたとき、水際に鷺がいたので、六位の側近に捕らえるように命じられました。鷺は飛び立とうとしたのですが、天皇の御命令であるぞと言うと、畏まって捕らえられたので、天皇はお喜びになり、五位の位を授けられました。そして鷺の中の王という札を頸にかけて放したというのです。これは鷺の料簡によるのではなく、ただ王威の盛んなことを示すためでありました。
この逸話は、昔は自然さえ王威に靡く程に勢いがあったことを物語るものとして、挿入されたものです。延喜の帝とは醍醐天皇のことで、古来、天皇親政が行われた理想的な時代と理解されてきました。たしかに政務を代行する摂政官爆破空位でしたから、形式的には天皇親政に見えますが、実際には左大臣藤原時平が右大臣菅原道真を大宰府に左遷して、実権を握っていました。それでも最後の班田が行われたり、『延喜式』の編纂が行われたり、銭貨の鋳造をするなど、律令体制債権のための最後の努力がなされた時期でもありましたから、後世にはそのように美化して伝えられたのでしょう。
「六位」と呼ばれた側近は、おそらく「六位の蔵人」のことでしょう。普通は五位以上が昇殿を許される、所謂貴族なのですが、天皇の側近を務める六位の蔵人は、六位ではあっても特別に昇殿が許されました。ですから六位の蔵人は特例ですが、一般には六位と五位とでは、単に一ランク違うということではなく、昇殿を許されるか否かという、大変大きな差異がありました。その五位に鷺が与えられたと言うことは、特別なことだったのです。そして鷺を捕らえた六位の蔵人が五位に昇進するというおまけまで付きました。
優雅という点では、ゴイサギは白鷺に劣るかもしれませんが、ペンギンに混じって餌を狙う姿は、人を畏れず剽軽な印象があり、なかなか愛すべき鳥だと思います。
よく「鳥目」といって鳥類は夜は目が効かないと言われていますが、このゴイサギは夜行性で、月も見えない星月夜の空を、何処へともなく飛んでいきます。真っ暗な中、何を求めてどこに飛んで行くのか、神秘的な気持ちになるものです。そこで一首詠みました。
星月夜われは何処へ向かふべき見えざる鷺の声わたり行く
先の見えない人生を、私はどの方向に進んで行けば良いのか、鷺には行く手にかすかに光が見えるのでしょうか。
この夏の時期にその鳴き声をよく聞くのですが、ちょうどホトトギスも今頃の夜に鳴いて飛んでいますので、聞き逃さないように、寝床の横の窓をなるべく開けたままにしてあります。我が家にはクーラーなどという文明の利器はないので、夏はいつも窓を開けっ放しにしてあります。話はそれますが、タヌキが餌を取り合って喧嘩する声や、フクロウの声も聞こえます。
ゴイサギは漢字で書くと、曰くありげに「五位鷺」と表記されます。今さら私が説明するまでもないほどによく知られた逸話ですが、ひょっとすると御存知ない方もいらっしゃるかもしれませんから、その名前の由来について書いてみましょう。
『平家物語』(巻五 朝敵揃)昔は宣旨を向かって読みければ、枯れたる草木もたちまちに花咲き実なり、飛ぶ鳥も従ひき。近頃のことぞかし。延喜の帝神泉苑へ行幸なつて、池の汀に鷺の居たりけるを、六位を召して、「あの鷺捕ってまゐれ」と仰せければ、いかんが捕らるべきとは思へども、綸言なれば歩み向かふ。鷺羽づくろひして立たんとす。「宣旨ぞ」と仰すれば、ひらんで飛び去らず。すなはちこれを捕ってまゐらせたりければ、「汝が宣旨に従ひてまゐりたるこそ神妙なれ。やがて五位になせ」とて、鷺を五位にぞなされける。今日より後、鷺の中の王たるべしといふ御札を、みづから遊ばいて、頸かけてぞ放たせたまふ。まつたくこれは鷺の御料にはあらず、ただ王威の程を知ろ示さんがためなり。
天皇が御所の南に造営された神泉苑に行幸されたとき、水際に鷺がいたので、六位の側近に捕らえるように命じられました。鷺は飛び立とうとしたのですが、天皇の御命令であるぞと言うと、畏まって捕らえられたので、天皇はお喜びになり、五位の位を授けられました。そして鷺の中の王という札を頸にかけて放したというのです。これは鷺の料簡によるのではなく、ただ王威の盛んなことを示すためでありました。
この逸話は、昔は自然さえ王威に靡く程に勢いがあったことを物語るものとして、挿入されたものです。延喜の帝とは醍醐天皇のことで、古来、天皇親政が行われた理想的な時代と理解されてきました。たしかに政務を代行する摂政官爆破空位でしたから、形式的には天皇親政に見えますが、実際には左大臣藤原時平が右大臣菅原道真を大宰府に左遷して、実権を握っていました。それでも最後の班田が行われたり、『延喜式』の編纂が行われたり、銭貨の鋳造をするなど、律令体制債権のための最後の努力がなされた時期でもありましたから、後世にはそのように美化して伝えられたのでしょう。
「六位」と呼ばれた側近は、おそらく「六位の蔵人」のことでしょう。普通は五位以上が昇殿を許される、所謂貴族なのですが、天皇の側近を務める六位の蔵人は、六位ではあっても特別に昇殿が許されました。ですから六位の蔵人は特例ですが、一般には六位と五位とでは、単に一ランク違うということではなく、昇殿を許されるか否かという、大変大きな差異がありました。その五位に鷺が与えられたと言うことは、特別なことだったのです。そして鷺を捕らえた六位の蔵人が五位に昇進するというおまけまで付きました。
優雅という点では、ゴイサギは白鷺に劣るかもしれませんが、ペンギンに混じって餌を狙う姿は、人を畏れず剽軽な印象があり、なかなか愛すべき鳥だと思います。