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上方の酒(下り酒)

2016-06-26 09:51:10 | 歴史
江戸時代の諸産業の学習では、必ず酒造業に触れることでしょう。また同じく交通については、上方の酒が樽廻船によって江戸に運ばれたことも学習するでしょう。上方の酒の産地である摂津・和泉には、「摂泉十二郷」と言われる良質の酒の産地が集中していました。摂津の大坂・池田・伊丹・尼崎・西宮・灘、和泉の堺などがそれです。

 上方で良質の酒が生産されるようになったきっかけは、慶長五年(1600)、伊丹の鴻池善右衛門が清酒を効率よく大量に生産する技術を工夫したことでしょう。室町時代には、濁り酒にかわって清酒の生産が始まっていましたが、まだ白米の精白度が不十分であったので、今日の清酒にはとうてい及ばない物でした。そして伊丹の清酒は「丹醸」と称して評判となり、元文五年(1740)年には、伊丹産の「剣菱」が、将軍の御膳酒になるほどであったといいます。剣菱の商標には、現在も「丹醸」と表記されています。また伊丹の鴻池家が後の豪商鴻池に発展し、さらには後に三和銀行などを経て、三菱東京UFJ銀行に連なることにも触れておきましょう。

 江戸時代の後期になると、伊丹や池田にかわって、灘や西宮が新しい産地として注目されるようになりました。そのきっかけとなったのは、酒造りに適した「宮水」の発見でした。「宮水」とは「西宮の水」のこと。六甲山麓の井戸には、酒造りに適した水が湧き出していたのです。その水質は、酒造りに不可欠のカルシウム・カリウム・リンなどのミネラルを適度に含み、反対に有害な鉄分が少ない。また伊丹や池田より港に近いという利便性も相俟って、生産の中心になっていったのです。

 現在でも「灘五郷」にある9つの酒造会社が製造する清酒が、「灘の生一本」(なだのきいっぽん)と称して、ブランドとなっています。大関・菊正宗・剣菱・櫻正宗・沢の鶴・白鶴・白鹿・道灌・日本盛の9社で、名前を聞けば、酒の好きな人ならみなよく知っていることでしょう。そもそも「生一本」とは、単一の酒蔵で造られた純米酒という意味で、江戸時代に上方の酒が持てはやされるようになると、まがい物が現れるようになり、ブランドを維持するために、伊丹や灘の酒蔵が称したものです。まあ簡単に言えば、老舗の原産地証明といったところでしょうか。授業にはこれらの灘の生一本の酒瓶を教室に持ち込み、一通り説明をしたあと、一升瓶をラッパ飲みして見せます。一瞬教室がどっと湧きますが、もちろん中に入っているのはただの水。灘を印象付けるためのパフォーマンスです。

 その他に上方で酒造が盛んになった理由としては、六甲山麓の豊かな流水により、水車による精米が可能であったことが上げられます。品質のよい清酒を造るためには、米粒の表面近くに多く含まれる脂肪分や蛋白質を削り取り、中心部に多い澱粉質の割合を高めなければなりません。そのため、無駄とも思われる程に、米粒の表面を精白によって削り取るのです。この削り取ることを「研く」と言うのですが、 精白度が高くなればなる程にグレードが高いとされました。品質を向上させるためには、傾斜地の豊かな水流が不可欠だったのです。

 酒はもともと発酵食品ですから、時間がたてば変質しやすいものです。そこでいかに早く消費地に送り届けるかが重要な問題になります。上方の酒は、江戸時代の初め頃には、馬の背に樽を載せて江戸まで運ばれていましたが、次第に菱垣廻船によるようになりました。しかし菱垣廻船は雑多な商品を積み込むため、積み込みに時間がかかるのが欠点です。そこで享保十五年(1730)、上方の酒問屋は時間がかかる菱垣廻船問屋を脱退して、酒樽専用の樽廻船問屋を結成し、独自に酒を輸送するようになりました。大坂・江戸間に要する日数は、造船・航海技術の発達、港湾の整備によって著しく短縮され、幕末には10日程になっていたということです。また樽廻船の輸送が早かったのは、規格の統一された単一の商品であったため、酒樽の積み込み作業が合理化されたことにも因っています。コンテナを連想すれば分かり易いでしょう。

 大坂から江戸に運ばれる物資は、総じて「下り物」と称されました。皇居が京都にあるから、たとえ将軍がいても、江戸に行くことは下りであり、京都に行くことは「上洛」というわけです。必ずしも関東の物産が品質で劣るというわけではないのですが、下り物は運送費がかかる分、品質の良い物でなければ利益は上がりません。その結果、下り物は総じて品質の良い物が多くなる傾向にありました。関東にも多くの酒の生産地がありましたが、特に清酒に関しては、既に述べてきたような訳で、下り酒の品質が際立ってよかったわけです。また一端江戸に下り、再び上方に戻った酒は、運ばれているうちに杉樽の香りが酒に程よく移り、「戻り酒」と称して、さらに珍重されたということです。

 そういうわけで、下り物ではなく品質の劣ることを「下らない」と表現するようになったといわれています。今日普通に使う「下らない」という言葉には、「つまらぬ」という意味も加わって、多少ニュアンスの違いもありますが、語源を説明してやれば、意外なところに歴史が隠れていることを知って、生徒はきっと驚くことでしょう。