えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

こころ&こころ

2014-05-14 14:33:37 | 歌う

           ❤「こころ&こころ」❤

   夏目漱石「こころ」100年ぶり連載    聞新日朝京東 日六月五年三正大 

 昨6月13日の朝日朝刊「こころ」は1週間遅れて100年後に連載。当時は横書きは左から右へと読んでいたのだ。✿先生の遺書(十七)はほとんど「学生の私と先生の妻との対話」

 先生は働いていない。奥さんも専業主婦らしい。それなのに家には下女がいる。生活費はどうしているのか。先生の留守に座敷で先生の妻と学生が話をしている。その妻は美しいと何回目かに書いてあった。「危ないなあ」とドキドキしながら読む。100年も前の小説を。

 「今奥さんが急にいなくなったとしたら現在の通りで生きていられるでしょうか」と学生
 「そりゃ分らないわ。あなた。そんな事先生に聞いて見るより外に仕方がないじゃありませんか」と先生の妻が応える。現在でもよくある会話だ。奥さんは何歳か。容姿も表情も身なりも書かれていない。二人の表情の描写もなく対話のみ。読者に想像を委ねているのか。

 奥さんと学生の私との対話はエスカレートしてゆく。「どんな人があっても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。それだからこうして落ち付いていられるんです」「その信念が先生のこころに好く映るはずだと私は思いますが」。「先生は世間が嫌いなんでしょう。世間というより近頃では人間が嫌いになっているんでしょう。だからその人間の一人として、私も好かれるはずがないじゃありませんか」 ここで昨日は終わっている。今日は「私は奥さんの理解力に感心した」から始まっている。二人の間に妖しいことなど何もなかったのだ ❤漱石先生 スミマセン。私は通俗小説ばかり読んでいますので。先生は人間の心理をとことん追求なさりたかったのですね。世の中が変わっても100年前の人々と現代の私たちの気持ちは同じかもしれませんね。先生の言葉で好きなのは「御前に欠点なんかありはしない。欠点はおれの方にあるだけだ」、この言葉を私は夫に言わせたいです。もし言ってくれたら私は俄かに良き妻になるかもしれませんが。  

                   5月14日  蒸し暑い日ですこと。  松井多絵子


地震・雷・火事・おふくろ 

2014-05-13 09:24:14 | 歌う

            「地震・雷・火事・おふくろ」

❤高層の街を縫うごと歩くとき夕月はビルに削られている   松井多絵子

 都庁から徒歩10分の西新宿5丁目に60階のマンションができる。2017年に完成予定。高さは210m。今年の3月に大阪にオープンした「あべのハルカス」の高さ300mには及ばないが住居の60階とはスゴイ。しかし地震の揺れを思うとコワイ。もし私が住むとしたら5階、いや3階がいい。この地域は古い家屋が並ぶ木造密集地域である。戦後にバラックが集まり、昭和30年代は木造住宅がひしめき合った。火事で消防車が入れないこともあった。

❤タワービルが鏡面ビルが傾いているあの路をいかねばならぬ

 わたしは高層ビルの間を歩きながら時々怖くなる。ビルが傾きわたしに襲ってくるような気がする。木造の住宅の続く道を歩くときはのどかな気分、木もあり花もありゆっくり歩く。しかし大震災で火災が広がる危険性が高い木造密集地域は東京23区に約1万6千ヘクタールもある。都は特に危険な7千ヘクタールの中から「不燃化特区」の指定を進める。西新宿5丁目もその一つとか。コワイものの順位?地震・雷・火事・そして「おふくろ」。オヤジはもはやコワくない。

❤大波のようなる風に流されてビルのはざまに溺れてしまう

 溺れるのはオヤジ、「おふくろ」はスイスイ泳ぎますよ。 5月13日  松井多絵子   


林真理子のマイストーリー

2014-05-12 09:31:02 | 歌う

          「林真理子のマイストーリー」

 朝日新聞連載小説・林真理子の「マイストーリー」を11回まで読んだ。とにかく読みやすい。すぐ「マイスト」と親しくなってしまった、自費出版の自分史を書き終えたが、刊行前に亡くなった男。わたしはこのよう例を知っている。還暦が近づき体調不良の歌人が、はじめて歌集を作った。しかし原稿が印刷されている時に倒れ、完成したときは意識不明、彼女が亡くなってから遺歌集として短歌の仲間たちに贈られたことがあった。その仲間たちのなかには「遺歌集にならないように」と急いで歌集を作った人が何人かいた。かなり前のことだが。

 「マイスト」も自費出版で自分史らしきを書き配本直前に亡くなった。その本の編集を担当した男が仏前で亡くなった男の妻と二人で話すシーンからはじまった。出版の費用は100万円だと亡夫は云っていたが、300万円だと聞いて妻は驚く。遺影の前で夫を批判し、編集者は夫を庇う。二人の会話が面白い。キレイごとの小説とは違う。今日も「マイスト」から私の朝が始まる。

 昨日⑩で「小説を書こうとする人間は自己認識が甘い」ことを、林真理子は指摘している。その例として『岡本多恵子第一作品集』は「若い頃の本人とおぼしき女性がえらく高みから自己分析をしながら男性を翻弄している」。これはフィクションだが。なるほどと共感する。一生に一冊の歌集。いわゆる素人歌人の歌集を私は何冊もいただいている。とても心にしみる歌があり、素人だのプロだのと決めつけるのはプロ歌人のつもりの歌人の奢りだ思う。

 しかし歌集の「あとがき」を読みガッカリすることが多い。恵まれない生い立ち、涙に明け暮れた日々、などと不幸を強調する。自分の倖せを強調する「あとがき」も多い。両親、兄弟姉妹、子供、孫にまで大切にされ、自身の人生に感謝しているなどなど。「あとがき」を読むと「オイシイ歌」が不味くなってしまう。私たち人間は喜怒哀楽の生き物だ。日々、折々、気持ちが変化する。その気分を一首にしている。読者に鑑賞を任せているのだ。作者の思いを押し付けるのは読者には鬱陶しいのではないか。「マイスト」は軽いようで私には重い小説になりそうだ。 ※ マイストーリーを「マイスト」にします。スミマセン 林真理子先生、

  5月12日 「マイスト」の挿絵もいいですね。まるで短歌一首。  松井多絵子 


殻ちゃん~⑳

2014-05-10 09:27:00 | 歌う

             「殻ちゃん~⑳」

❤あれこれ悩む前に一歩でも前に進んだほうがいい。  (林真理子語録より) 

 今年の2月1日、殻ちゃんは神山学園中等部を受験した。公立の中学に進むつもりだったが、小学校のでの殻ちゃんの成績が良くない。特に算数がダメ。学校の授業から落ちこぼれないように、5年生になってから近くの塾へ通いはじめたのだった。生徒は10人程度。先生は若い女性の川上先生が1人。でもこの1人が殻ちゃんの女神になってくれたのだ。6年の秋から、算数の成績が急上昇、そして大手の進学教室で試してみた、模擬試験で難関中学の合格圏に入ったのである。

 アキは殻ちゃんの成績の急上昇を喜びながらも戸惑った。マンションのローンを抱えて、娘を私立に進学させる余裕がない。でも川上先生は「受けないと後悔しますよ」と云い、水口も「僕ももっと働くよ」と。神山学園はマンションがらかなり近い。最寄の駅から2つ目だ。歩いても30分程度である。
 2月1日は殻ちゃんを試験会場まで送り、アキはすぐ帰宅した。珈琲を飲みながらテレビを見ていたら、何とユイが画面に現れた。「この春の原宿の服」を紹介しているユイが。

 ✿「さっきオラの横を過ぎて神山学園に行った女は他人のソラ二さ。でもテレビの原宿は4日前の録画。髪形も同じのあのユイだ。一緒にいた少年はユイの息子だな。きっと」

 夕方、殻ちゃんが歩いて帰宅した。途中の本屋で立ち読みをしたらしい。

  殻◆「とても難しかったよテストは。だめだよ。きっと。」

 アキ✿「高校でまた受ければいいよ。公立の中学はすぐそこだし、給食も出るし」

 などと言いながらアキは不意に「ゼッタイ合格させたい」と思った。もしユイの息子が合格して、自分の娘が不合格なんて。発表は水口が見に行き、電話で「合格」を知らせてくれた。アキはなぜかユイのことを水口に話さなかった。ユイの息子の合否が気になる日々がつづく。
さあ、どうなることでしょう。これから先は。あれこれ悩んでいる場合じゃないですよ。神岡学園は難関の受験校ですからね。殻ちゃん、落ちこぼれないように勉強してね。 (つづく)

 5月10日、朝日朝刊の✿マイストーリー、林真理子はますます松井多絵子に接近。           

      


川村元気さん

2014-05-09 14:27:57 | 歌う

            ☀「川村元気さん」☀

❤また我に近よりてくる白蝶よ心配しないでワタシは元気   松井多絵子

 親が我が子に命名するとき、その名にさまざまな願いを託すだろう。女なら美しく賢くなれと美智子とか、男なら信用されるように信男とか。川村さんが「元気」と名付けられたのは生まれたときに弱そうだったからか、、。などと私は勝手な想像をしながら♠川村元気さんの写真を見る。

 5月5日の「朝日求人」のLサイズ卵大の彼の顔は「元気」という名にふさわしくない草食男子の顔だ。1979年生まれ。東宝映画プロデューサー。2011年に優秀な映画製作者に贈られる
★「藤本賞」を史上最年少で受賞。ご両親の願がすぐ叶ったのであろう。上智大学新聞学科卒だが、幼い頃から映画を浴びるように見た彼は映画会社に就職。大阪の映画館に配属されるが、映画が作りたくて企画書を本社へ送り続け、3年目に念願の企画部へ移動。

 「アイデアの取っ掛かりは日常でふと拾い上げた違和感だ。親が亡くなった後にありがたみに気付く。なぜ人は失う前に気付かないんだろうか」。※私も同感ですね。元気さんは私より30年も早く気付いてよかったわ。「同じところにとどまらない。自らを更新していく」。※さすがに元気さんだ。しかし「優柔不断」という言葉に惹かれる」とは。♠川村元気という名前とはミスマッチの彼のやさしい顔写真を見ながら思う。元気さんの声は細く低くやさしいだろうな。いや、意外に野太い声かも知れない。私?意外に細く低くやさしい声ですの。ほほほほほ。

    5月9日 わたしの狭庭にタンポポがぽぽぽぽぽと咲きました。  松井多絵子