えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

歌人になる蓮子

2014-05-08 09:10:50 | 歌う

            ✿「歌人になる蓮子」✿

 NHK朝のドラマから目が離せなくなってきた。蓮子はやはり柳原白蓮なのだ。今朝、蓮子は「九州の石炭王」と呼ばれた伊藤伝右衛門と見合いをした。52歳の男と27歳の蓮子が。

❤百人の男の心破りなばこの悲しみも忘れはてむか  柳原白蓮

 こんなスゴイ歌を詠んだ女流歌人・柳原白蓮は、写真では仲間由紀恵のような、つぶらな瞳の女ではない。細面に切れ長の目の日本画風の美女。数枚の写真を見ただけだが私にはやさしく、ひっそりした女に思える。しかし14歳で結婚、15歳で男子を出産、20歳で離婚している。ドラマには彼女の子供は出て来ない。が離婚後は自立のために女学校へ入ったという説もあるようだ。♠岩波現代短歌辞典の♠柳原白蓮を調べてみた。

❤柳原白蓮(1885~1967)歌人。東京生まれ。伯爵の家に生まれ起伏の多い道をたどり、歌作を通して浪漫的な自己主張を行なった女流である。佐佐木信綱に師事。九州の炭鉱王と再婚、『踏絵』『几帳のかげ』『幻の華』を刊行。その後伊藤家を去り宮崎竜介と結婚。
 1935年に♠「ことだま」を主宰。幽囚の思いを全力的挑発的に歌い上げた。(森山春美)

❤踏絵もてためさるる日の来しごとも歌反古いだき立てる火の前

❤小鳥きてかたみにくちをふふみあふみちあふれたる愛のしづけさ

 ※柳原白蓮について、私はあまり知らないので、これから調べドラマの進行に合わせて書きたい。花子は蓮子の25歳年上の伊藤との結婚を、泣いて反対したそうである。

     今朝のドラマ「花子とアン」を見ながら私も汽車の旅をしたくなりました。

                           5月8日  松井多絵子

                  


高尾山に3万人

2014-05-07 08:55:10 | 歌う

              「高尾山に3万人」

❤海よりも山の好きな子二人いてあとの一人は「どっちでもいい」   松井多絵子

 新緑のこの時期の高尾山へは1日平均約3万人。初夏の陽気となった4日の「みどりの日」は大勢の行楽客で賑わったらしい。神宮球場観衆の3万人をテレビで見ながら、自殺する日本人は1年に3万人もいるということを思った。高尾山へ上る人々は心身ともに健康であろう。

 都心から1時間で標高599mの高尾山。その中腹には♠高尾山薬王院♠サル園♠野草園がある。標高500mからの夜景は素晴らしく、夏には♠ビアマウントでビールを飲める、そうである。
近隣には天然温泉♠塩釜の湯を毎日配送する岩露天風呂があり、茶褐色に濁った湯に浸ることができるらしい。私が高尾山にはじめて登ったのは小学生のとき、遠足だった。その後、さくらの満開のころに2度上ったが、ケーブルカーで上り、下りは歩いた。わが家から1番近い山だが、家からも、わたしの町からも見えない。近くて遠い山である。

 今年の3月にオープンした♠あべのハルカス は300mのビルらしい。高尾山の半分の高さである。高尾山は低い山に思えてくる。いやビルが高すぎるのかもしれない。来春には♠京王高尾山口駅の近くに温泉施設が新しくオープンするそうだ。ケーブルカーで山頂へ行き、さくらを眺めながら下りて、温泉に浸かる。わたしは年相応の高尾山を楽しみたい。

❤下りるのは誰よりもはやく上るのは常にわたしは最後の一人 

                 5月7日  昨日は冬、今日は初夏   松井多絵子


短歌結社の賞

2014-05-06 08:48:57 | 歌う

             「短歌結社の賞」

 いま短歌の結社はいくつぐらいあるか。700前後ではないかと歌友の1人は言う。多数の会員のいる大結社では、気の合った仲間で作るグループ誌が絶えず創刊し、休刊したりで、結社の実態は掴みにくい。さらに各結社の賞は知りかねる場合が多い。♠現代短歌新聞の5月5日に♠結社の賞の記事があり、受賞者とその作品1首が掲載されている。

★慶短歌会賞  岩井鉱冶郎

 岩礁に砕ける浪の飛沫より海の体臭立ち上がり来る

★徳島歌人賞  横田真知子

 この冬もしもやけずらり手袋にほこほこぬくく指がやすらふ

★薔薇祭賞(作風)  酒井佐忠

 橋わたるときにゆゑなく立ち止まることのしばしば星夜でもなく

★やまなみ新人賞  井口登志子

 農業を止める決心のつかぬまま植えし早苗に風の凪ぎゆく

★短歌海流賞  森永壽征

 伸び立てる松の数多が位置占めて白砂青松よみがへりたり

★原始林賞  古室俊行

 かすかなる風に真昼をもみち葉は一ひら落ちてまた散りきたる

★山茶花新人賞  桐野直子

 チェーンソーは細枝一本残したりニッケイの樹の裏庭オブジェ

★コスモス桐の花賞  河合育子

 体よりはみ出しながら伸びをしてしろき月夜にしんとつながる

※ あの彼の歌が、あの彼女の歌が。この8人のなかにありますように。

                         5月6日  まあまあの晴れ  松井多絵子


  「子供がいない」

2014-05-05 14:11:47 | 歌う

            「子供がいない」

✿そよ風におぼれる草食男子鯉そんな感じだあの鯉のぼり   松井多絵子

 5月5日、早朝の地震に驚く。3・11を思い出す。あの翌日、スーパーへ行ったら食品がほとんど売れてしまっていた。3日分位の餌は買いだめしておこう。10時前に家を出て近くのスーパーへ行く。近くのマンションの1階ベランダに鯉のぼり、学校の工作で作ったのか紙製の鯉はだらりと垂れている。3びきか、5ひきなのかわからない。今日は♠端午の節句だ、しかし、我が家のあたりには鯉のぼりは見られない。徒歩8分のスーパーへ行くまでに見た鯉のぼりは、二世帯住宅の2階ベランダの五匹の「鯉のぼり」だけだった。

 今朝の新聞に「15歳未満の子供の数は前年より16万人減ったと総務省が発表」との記事がある。「33年連続減少」。「総人口に占める割合は12.8%で世界で最低水準」とは。日本で一番子供が少ないのは秋田県、次が東京である。老人ばかりの町に私は暮らしているのだ。第1回の子供の日は1949年、その頃の子供は老人になっているのである。

✿おとしよりばかりの区立公園に白蝶たちが遊びていたり

✿またわれに近よりてくる白蝶よ心配しないでわたしは元気

✿白蝶は消えてしまいぬ脳裏には白き曲線描かれている

 地震などの際の避難所のためもあり、私の町には小さな公園がいくつもある。子供はほとんどいない公園のベンチに、座っているのは老人たち。ことに春の公園は老人が多い。

✿滑る子を待つ滑り台のスロープの急なる傾斜を微風がすべる

✿どのような語らいありしかこのベンチあるいは恋の入り口、出口

✿地震(ない)あらば避難所となる公園のベンチに座りすぐ立ちあがる

、公園は今つつじの花盛り。ベンチに座り若き日の思い出をひきよせたとき地震のことを
 思い出し公園を去りました。花たちは私にもっと見てほしかったことでしょう。
                    5月5日  あいまいな天気  松井多絵子 


W受賞の栗木京子

2014-05-04 13:53:39 | 歌う

             ✿「W受賞の栗木京子」✿

 現代短歌新聞5月号の1面トップ記事は♠「斉藤茂吉短歌文学賞」
  インタビュー 栗木京子氏に聞く ♠ 受賞作『水仙の章』について。

 「斉藤茂吉という人は特別大きな存在でした。その方の名前を冠する賞を頂けたということで格別の喜びがありますね」 しかし顔写真の栗木は笑顔ではない。寒そうな表情である。
 2009年から2013年までの作品470首を収めた第8歌集『水仙の章』には、80代の母上も。認知症が進んだが、親と言えど個人の尊厳もあり控えめに詠みましたとのこと。
名刺大の写真の栗木京子は喜びの表情でないのは、心労のためかもしれない。

✿まはしつつ電球はづすゆふぐれは足首細き少女にもどる

✿すみません、力不足でといふやうに寒の日差しのまた翳りたり

                         歌集『水仙の章』より

 さらに現代短歌新聞に♠前川左美雄賞、栗木京子氏に決定の記事がある。「ながらみ書房主催の第十二回前川左美雄賞は、選考委員・佐佐木幸綱、三枝昂之、佐佐木幹郎、加藤治郎、俵万智の五氏の審査により、栗木京子歌集『水仙の章』に決定した。
一冊の歌集に二つの賞。W受賞である。歌壇での栗木の活躍を思えば当然かもしれない。

 ✿両手に花の栗木京子さま 、オメデトウございます。この連休には観覧車にお乗りになり新緑を見渡してください。次の歌集はトリプル受賞でしょう。私からラッパ水仙の花束を

♠もっともっと咲いていたいと黄の口を開きしままのラッパ水仙   松井多絵子 (5月4日)