ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Little Lulu Ⅲ

2015-02-24 01:30:09 | Weblog
インプロヴィゼーションの実際の音選びを考えるとき、コードに合致するスケールを模索することは自然な発想だ。でもこの音素材はいわゆる中心音があり、それに他の音が関連する調性の概念とは違う。7種の教会旋法だけでなく20世紀以降多くの旋法で楽曲は書かれてきてはいるが、それはある一定の長さの時間、中心音を感じさせる調性が存在することによって「旋法」と呼ぶことができる。ではアドリブを組み立てるための音素材をなんと呼べばいいのか?・・・・別にこだわるようなことでもない。だからインプロヴィゼーションの音の並びに名前なんていらないのだ。ほとんどのスケールはオクターブを長、短2度および増2度で区切って配置したものだが、別に数はいくつでもいい。特に楽曲の中での2次的なコード、主にドミナント7THのコードではどちらでもあり、という音がいくつもある。時には理不尽と思えるような音選びがその楽曲にヒットすることもある。インプロヴィゼーションというのは謎だらけなのだ。この「Little Lulu」のようなはっきりしたトナリティーが存在する曲でもインプロヴィゼーションとなると話は別だ。クレイジーと思えるような音使いも試してみる必要がある。それによって新しい道が開ける。失敗したところで何も気にする必要もない。インプロヴィゼーションに「こだわり」というのはあまり良くない。単一の調性の楽曲に多調や多旋法の概念でアドリブしてもなんら問題はない。「Hip」こそがジャズの存在意義だ。


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