ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Old Devil Moon Ⅳ

2013-02-27 02:11:02 | Weblog
ベーシストがどの音を弾くかでバンドのサウンドは大きく変わってくる。コードネームというのは基本的にはルート(根音)を表示してある。その方が音楽構造がパッとみて把握しやすいからだ。でも低音がルートでない方がその曲らしさを出したりする場合もよくある。どうしてもその音が低音に欲しい時はそこに特別に表記すればよい。要するにコードネームはピアノで和声進行を追って行った時の音の動きを書き示していることが多いのだ。でも実際のバンドの演奏でいろんな楽器の音が混ざりあい、そして基本的には記譜より実音が1オクターブ低いベース音でその通りに演奏するとイメージが変わってしまうことがよくある。低音部の動きを変えざるを得ないときが出てくる。それにジャズの演奏はインプロヴィゼーションを常に念頭に置いている。だから即興ができるようにある程度選択肢を広げておかなければならない。そこでベーシストの個人的な感覚の違いが音選びに現れてくる。そしてそれはバンド全体のサウンドに直結する。ベーシストの役割は大きいのだ。ベースラインというのは、楽器を扱う技術的な問題や和声の一般的な流れの感じからある程度のパターンはある。それがないと初心者はベースにとっつけない。それはピアノのヴォイシングにも言えることだけど・・。でも純粋に音楽的に言えば低音の進行には何の決まりもない。ジャズはとにかくある程度のマニュアルを学ばないと形にならないけど、マニュアルにこだわると音楽がダメになる。ジャズはその本質や全体像がつかめるまでは勉強するのが難しい音楽なんだ。

Old Devil Moon Ⅲ

2013-02-21 02:38:22 | Weblog
全音と半音の違いは音楽の善し悪しに大きく影響する場合がある。というか、間違えると音楽が成り立たないようなケースもある。楽器は半音を基準に作られているからミスしないように気をつけるだけだけど、歌は違う。本来、全音と半音をピアノの鍵盤のように歌い分けるのは、不可能だ。ヴォーカリストのピッチ感覚のよさというのは、そういうところにはない。練習するのは無意味なのだ。でも全音と半音の違いははっきり認識しておく必要がある。具体的に言うと全音はちょっと広めの2度、半音はちょっと狭めの2度、を意識することで周りにもはっきり分かる。ケースバイケースの音楽的知識が要るのだ。平均律の楽器とボーカルが一緒にやるようになったのはいつ頃からなのだろうか?結局、相反するところを持ちながらもお互いに相手の長所を受け入れることで新しい「音楽」を作ってきたのだ。これは他の楽器全般にも言える。マーチの時に使っていた大太鼓と小太鼓、そしてタムやシンバルという世界中の打楽器を組み合わせたようなドラムセットとアカデミズムの権化のようなピアノという楽器、そして長い歴史を持つ弦楽器のコントラバス、ピアノトリオといわれるジャズコンボの組合せでもこれだけいろんな要素が含まれている。音楽をやるために人間はいろんな工夫をしてきたのだ。電子楽器が出始めたころにも、いろんな議論や拒否反応があった。時間がずいぶん経ってそういうものも終息したけど、楽器がなんであれ良い音楽は残っている。音楽家は新しい良い音楽に対する感性を持ち続けないと、音楽はすぐに錆びついてしまう。頑固なのは良くない。

Old Devil Moon Ⅱ

2013-02-12 00:37:12 | Weblog
この曲はいろんなフィーリングが混在した曲だ。オーバーに言えば複数の文化の合体。ジャズスタンダードそしてジャズという音楽の特徴でもある。2小節目のメロディーに現れる短7度音は12音システムの中での短7度音とは違う。解釈の仕方はいろいろあるが、ブルーノートと捉えて問題ないと思う。この音を含んだ部分がわりと長くあってあとは部分的に転調があったりしてアカデミックにできている。曲自体がジャズだ。インプロヴィゼーションはそれに従えばいい。歌詞もいい。レコーディングしているのは歌手のほうが多いと思う。半世紀近く前、アニタオデイの歌でこの曲を聞きあっという間に曲を覚えアニタのファンになってしまった。彼女の歌はそのあとずいぶん聴きあさった。「tea for two」はどうしようもなくすごい。もう亡くなられたけど、ヴォーカルの峰純子さんが、アニタの家に電話すると留守電のバックに彼女の「wave」が流れるんだ、とおっしゃってたのを思いだす。

アニタ・シングス・ザ・モスト
オスカー・ピーターソン,ハーブ・エリス,レイ・ブラウン,ミルト・ホランド,ジョン・プール
ユニバーサル ミュージック クラシック

Old Devil Moon

2013-02-05 02:41:59 | Weblog
1947年、Burton Laneの作品、ミュージカルのために書かれた曲、つまり歌うための曲だ。50’年代になるとさっそくミュージシャンが目を付け始め、いろんなアレンジで録音しはじめている。マイルスは2度も録音している。歌うための曲、つまり歌詞を優先させているのでコードの流れや小節数の区切りが割り切れないところがあって、インプロヴィゼーションはちょっと慣れが必要だ。でも独特のムードとどんなリズムにも合うという融通性を持った楽曲でジャズミュージシャンが目をつける理由が納得できる。全体を通してコード進行を眺めてみると、もちろん4度進行、Ⅱ-Ⅴもあるけれど最初と最後のスペースに現れるⅠ-Ⅴmの動きが何と言っても特徴だ。Ⅴmは低音をⅦ♭にしても問題ない。要するにトニックとドミナントの繰り返しなのだが、ドミナントがドミナント7thではないのだ。トライトーンを含んだ動きではない。でもⅦ♭の音が強烈に聞こえるからブルージーになる。そしてそのスペースと4度進行を中心にしたコード進行の部分をからませていろんな場面を作り出している。Ⅶ♭の音というのはいわばかなり「人工的」な音で、第7倍音とはかなりピッチが違うけど、12音システムの中ではなくてはならない音でこの音がなかったら転調ができない。音楽構造を広げるために人間が作りだした知恵だ。それをジャズの世界ではもうひとつ「ブルーノート」としての役割も担わせている。ジャズの懐の広さがこういう構造の根本的な部分にも出ているのかもしれない。

コンプリート・ヴィレッジ・ヴァンガードの夜 Vol.1
EMIミュージックジャパン
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