ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Big Nick Ⅱ

2010-10-31 01:04:14 | Weblog
コルトレーンの音楽の研究家はいっぱいいるし、サキソフォン奏者でトレーンを尊敬しソロをコピーして研究しているミュージシャンも世界中にいる。でもどんなに研究してもトレーンにインタヴューしても音楽の出所というのは分からない。それがジャズインプロヴィゼーションだ。だから最初はどこからどう取り掛かっていいのか分からない。練習の仕方も分からない。インプロヴィゼーションは自由だといわれてもそれがどういい音楽に繋がるのか全く雲を掴むような話だ。唯一学習できるのは、実際の演奏を通じてだけだ。アドリブの現場というのはある意味非情だ。地に足がついていない音は許してもらえない。弾き飛ばされてしまう。自分が持ってるイメージがどれだけひ弱で根っこのないものかを思い知らされる。それの連続だ。どんな歴史的名プレーヤーもこの体験を通して上達してきた。インプロヴィゼーションというのはその奥にその人の全ての教養が隠されている。こういう意味のことは過去のジャズジャイアントたちがそれぞれ違う言い回しで語ってきたことだ。でもなかなかピンとはこない。身に沁みないのだ。コルトレーンを聞くと素晴らしいと思う。そんな風に吹きたいと思う。でコピーし研究する。でもトレーンには絶対なれない。自分の音楽を作るというのは言葉では言えるけど誰もができることではない。トレーンはそれを成し遂げた稀なミュージシャンだ。全く何のマニュアルもないジャズインプロヴィゼーションで自分の表現方法を見つけ出すというのは大変なことだ。その大変さにすら何十年も気付かなかった。最近は音楽のことを考えると自分の情けなさに愕然とする。

Big Nick

2010-10-24 00:03:52 | Weblog
コルトレーンの作品、エリントンとのセッションで録音されている。8小節のリフがリピートして2回目はトニックの部分が2小節延びるだけ、コード進行はリズムチェンジのAの部分と同じ、明らかにインプロヴィゼーションを目的に書かれたセッションナンバーだ。でもメロディーラインがなんとも素晴らしい。この曲にはBの部分、いわゆるサビがない。ブリッジ、いわゆるサビというのは、音楽形式の中で人間の感性に必要なものとして生まれた。いろんなサビがある。長いもの短いもの、曲の特徴となるぐらいの突出したもの、その反対にあってもなくてもいいようなもの。随分前の話、たぶん30数年は経つと思うけど、ある店でピアノの菅野邦彦さんの演奏を聞いていた。「Ricardo Bosa」をGmでやっていた。でもアドリブになるとずっとサビが出てこない。サビのあたまのコードはG7だからベーシストはとりあえずGを弾いてそのあとピアノにつけてしまう。だから気にならない。変わったアレンジだなあと思って聞いていた。そのセットが終わってバンドのメンバーがステージから降りてきた。ベースの萩原さんが菅野さんに言っていた。「スガちん、サビがなかったじゃないか」、えっ、あれはアレンジじゃなかったのか。菅野さんがさりげなく言い返した。「あのサビ、嫌いだからやらなかったの。」そんなのあり?やはり菅野さんは普通の物差しでは測れないひとだ。でもその感性には一理ある。「サビ」の本質を知っているんだ。でもボクには「Ricardo Bosa」のサビを抜いて演奏する勇気はない。ちょっと情けないけど・・・。

Bluesette Ⅳ

2010-10-09 23:12:59 | Weblog
リハーモナイズという考え方は別にジャズ独特のものではない。変奏曲にあるように何百年も前から工夫されてきたものだ。ただそのやり方が音楽の種類やニュアンスによって違うだけだ。ポップ曲をジャズの演奏に適したコードに変えるのにはやはり一定の傾向がある。音楽を前へ前へ進める。増4度を多用する。それがジャズという音楽に合っているのだ。まあたまにその逆に落ち着かせることもあるけど、それもあくまでもいい音楽にするためだ。でもこういう色んな方法もあくまでも音楽を縦に考える発想だ。その場所に適しているか?つまりその時に起きるハーモニーが問題になる。その良し悪しがリハーモナイズの良し悪しに繋がる。これはこれでひとつの考え方だ。でもインプロヴィゼーションを前提とした場合、縦を無視して音楽の横の関係だけでコードを設定したりすることもある。実はこれがモダンジャズ独特のインプロヴィゼーションの捉え方のひとつなんだ。この場合やはり使われるのはほとんどドミナントモーションだ。ある一定のコードに向かってひとつのコードや状況を設定しそれにしたがってその場所のアドリブをやる。そしてその目的の場所に到達する。その時縦の関係、その場所のハーモニーはかなり理不尽なものになる。理にはかなわない。結果としてポリフォニーの世界に近いような自然発生的な和声が生まれる。でもこれはそれを目的としたものではない。何コーラスもアドリブをやるうち退屈さから逃れるためにジャズミュージシャンが即興演奏の中で発見した新しい音楽の考え方だ。インプロヴィゼーションという音楽の不思議さはこういうところにある。こうして決まりきった機能和声の中に無限の可能性が生まれるのだ。