ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Introducing Brad Mehldau Ⅱ

2007-09-28 00:56:08 | Weblog
音楽をパフォーマンスとして演奏する時、その音楽を作る人そして演奏する人が必要だ。合奏するとなるとその進行をとりしきる人も要る。音楽が複雑になるとひとりではできない。だからクラシック音楽は長い時間をかけて役割分担をやってきた。作曲家、演奏者、そして指揮者だ。なかには自作曲を自ら演奏しながら指揮もするというスーパーマンもいるけど、まあほんとに稀だ。ラフマニノフは偉大な作曲家であり一流のピアニストでもあった。でも両立させるのは大変だったらしく、時期を分けて作曲とピアノの演奏活動をしていた。やはり同時にやるのは無理なのか?ジャズミュージシャンでバンドリーダーをやっている人、そして自作曲を演奏するひとは、作曲をし、その曲をインプロヴァイズという形で演奏し、バンドの指揮もやっている。全部やっているんだ。ジャズをやろうという人はこれが面白いんだ。もちろん個人差があってそれぞれの役割にかける比重の重さは違う。そして時代とともに全般的にその比重の割合が変わってきた。ブラッドメルドーが演奏するとき、音楽を創るという意識と演奏するという意識をどういう割合で感じているかは本人にしか分からない。でもボクの受ける印象では聞こえてくるサウンドの感じ以上に音楽を創っていこうという意志の強いひとだと思う。そういう音楽家だと思う。選曲やバンドの形態、演奏のスタイルなどから違った印象を受けがちだけど、それは彼があまりにもピアノの腕がいいからだ。ホントどうしてこんなに弾けるんだろう?

Introducing Brad Mehldau

2007-09-24 04:13:24 | Weblog
ブラッドメルドーのデヴューアルバム、完璧だ。いろんな意味で・・・。録音状態も、サイドメンの腕も選曲もいい。ピアノの技術が素晴らしいからいろんな音がピアノから聞こえてくる。ライブで聞いてのことだったら分かるけど、録音されたものでそれがちゃんと伝わるというのは大変なことだ。稀に見る才能だ。このアルバムは'95年に制作されている。その後十数年で10枚以上のアルバムをリリースしているから最近のジャズタレントとしては傑出している。全部を聞いたわけではないし、名前を知って10年も経たない。個人的な情報もない。このアルバムも何十年か前にビルエヴァンスを聞いたように「すりきれるぐらい」聞いたわけではない。だからあまりつっこんだことは言えない。感じることは音楽の出来の完璧さと、ジャズアルバムというものの世の中との関わり合いについてだ。それにしてもこんなに完璧でいいんだろうか?よくできたアルバムというのは、音楽の分からない業界人がよってたかって作ったような幼稚な完璧さを持っているか、音楽そのものがスクエアになるかどちらかだ。このアルバムは違う。ヒップだ。ジャズアルバムがLPだった頃、一年に2枚というペースで契約し、レコードをリリースしていたタレントが何人かいた。今考えたらクレイジーだ。やはり無理がある。いわゆる粗製乱造気味になってしまう。雑な作りのアルバムも随分あった。その中にたまに光るものもあった。それがジャズレコードだった。今はこんなに完璧じゃないとダメなんだろうか?特にこの十年はネットの普及とかの影響でジャズアルバムの制作、販売の形は大きく変わりより一層きびしくなった。世の中のジャズアルバムに対する考え方が変わってしまった。ミュージシャンの方も変わらざるを得ない。結論めいたことは言えないけど、これ以上ジャズの市場が縮小しないように祈るしかない。普通の音楽ファンにジャズの歴史を勉強しろとは言えない。ブラッドメルドーに頑張ってもらおう。

Candy Ⅳ

2007-09-22 02:31:08 | Weblog
音楽を演奏する上での自由とはどんなものか?はっきり答えるのはすごく難しいと思う。ジャズのインプロヴィゼーションは自由に自分を表現できる即興の芸術だ、と言ってしまうとその通りだけど、それを追求していくともっともっと自由はないかと進んでいき、そのうち迷路に迷い込んで、気がつくと自分で自分を縛ってしまうルールを勝手に作り出してもがいている。まあ何かを作り出すというのはこういうことなのかも知れないけど・・・。サイドメンとして演奏している時、難しい曲やあまり気にいらない曲を与えられてもなんとか格好をつけて、お金をとっても恥ずかしくないぐらいのレベルで演奏しなければいけない。生活がかかっていたら当然のことだ。火事場の馬鹿力だ。この自由のないすごいストレスのかかった状況でその人の本当の才能が顔を出す。そして磨かれていく。普通考えられないようなこういう状況がジャズのバンドのリズムセクションでは普通のことだ。もう慣れっこになっている。がんじがらめの中でわずかな自由を楽しむコツをつかんでしまうんだ。数十年前にジャズジャイアントたちが作ったモダンジャズのルール、ポップなメロディーと4度進行を基本にしたコード、これらが自由を求めて演奏するのに適当な「縛り」だったんだ。このアルバムが作られた頃、特にトップクラスのミュージシャンの間では「縛り」と「自由」に対するある共通の認識があった。だからこんなヒップでおまけに秩序正しい演奏ができるんだ。でも時計の針はもとにはもどらない。よくも悪くも音楽はその時代の価値観が現れる。今はもう別の時代だ。いろんな価値観が変化してしまった。でも自由を求める心、そして不自由な中で自由を求めてもがく時にしか底力が出せない人間の本性は変わらない。

Candy Ⅲ

2007-09-19 00:33:19 | Weblog
リーダーについてちょっと・・・。リーダーと言ってもバンドリーダー、それもジャズの少人数のバンドを想定してのことだ。どんな組織でもリーダーは必要で、それは音楽の世界でも一緒だけど広い意味でのリーダー論になるとボクには荷が重い。話を広げないようにしないと、今は時期が時期だから安倍さんの話になってしまう。ジャズのバンドははっきりリーダーとその他のメンバーいわゆるサイドメンとに分かれる。最初はほとんどの人がサイドメンからスタートする。雇われながらリーダーのやり方を覚えていくんだ。そのままリーダーを経験せずに音楽キャリアを過す人もいるけど、自分の音楽をやりたいと思ったら、バンドを組んでリーダーをやらざるを得ない。どうしてこんなにリーダーかサイドメンかにこだわるかといったら、それはバンドの中での立場が全然違うからだ。まあ仕事の内容にもよる。単発のレコーディングやコンサートだったら、たいして立場も変わらないケースもある。でもレギュラーでバンドを組んで何年か活動するとなると、負担は大きく変わってくる。やはりなんといってもサイドメンは気楽だ。もちろん腕が悪いとクビというリスクはある。それに完全に自分の音楽がやれるわけではない。でもそのリーダーの音楽をちゃんと理解して、あとは自分の個性を出すヒップなプレイを心がければそれでギグはこなせる。自腹を切ることもない。もしそのリーダーが世間的にすごく注目されていたらラッキーだ。世間の見方は内部の事情とは違う。リーダーはやはり大変だ。自分の腕を心配すること以外に音楽そのものをしっかりさせないと誰もついて来ない。でもああしろこうしろと言うと、ミュージシャンはいやがってすぐ反発する。ある程度機嫌もとらなければダメだ。それにあまり押さえつけると音楽もスクウェアなつまらないものになってしまう。サイドメンにはある程度好きにさせないとだめなんだ。それでも出来上がったものが自分のサウンドになっているか?これがリーダーの実力になる。それにギグをこなしてギャラを払っていくとなるともっと大変だ。自腹も切らなければならない。だいたいにおいてジャズのバンドが問題を抱えていない時はない。悪夢だと思ってしまう時もある。でも、自分の音楽がサイドメンの手を借りて自分のイメージ以上のものになった時、それが自分のものとして発信された時、それは音楽家としての至福のときだ。ウェザーリポートを17年間も維持したジョーザヴィヌル、彼はこの苦しみと喜びを味わう一種の中毒にかかっていたのかもしれない。

Candy Ⅱ

2007-09-14 13:21:22 | Weblog
このリーモーガンのアルバムに関することは、またあらためて・・・。

先日、ジョーザヴィヌルが亡くなった。ウィーンの病院でということだから、故郷に帰っていたのかもしれない。皮膚がんだったようだ。昨年はまだ日本に来てギグをやっていた。一週間ぐらい前、電車のつり広告でジョーの写真を見かけた時、変なやせ方をしているなとチョッとドキッとしたことがあった。75歳という年齢、やって来たことの偉大さ膨大さを考えると本当にいい人生だったと思う。故郷で死ねたのもよかった。冥福を祈ります、と言いたいところだけど、なぜか残念でしかたがない。ボクも今まで父も含めて親族をいっぱい亡くしてきた。それぞれの人にいろんな思いがある。でもジョーに対してはまたそういうものとはちがう思いだ。残念だ。できたらボクが死ぬまで生きていてほしかった。
ジョーは戦時下のオーストリアで生まれた。音楽の天才でアメリカの新しい文化であるジャズを外国という立場から客観的に眺め、受け入れそしてアメリカに渡りジャズという音楽を変革してしまった。とにかく考え方のスケールが大きい。基本にあるのは、いつも地球、人類全体だ。新しいものに対する拒否反応も全然なかった。最後まで生きた新しい音楽に挑戦し続けた。本当に偉大な音楽家だった。