楽曲内におけるいわゆるベース音(低音)と根音は持つ意味合いがかなり違う。マイナーキーの場合は和音の構成上、根音の確定が難しいこともあるが、どちらにしてもふたつをはっきり認識しておくことはとても重要なことだ。根音は主に結合音をもとに算出されるが、これはいわば物理的に音楽を考えるということであって、現在の考え方にたどりつくにはいろいろ紆余曲折があったようだ。この「Whisper Not」のように音楽が7音的に移行し、根音の動きも明確なものは問題ないが、12音的な楽曲の根音を探り、そしてその動きからトナリティーをはっきりさせようとするのはむずかしい。というか、あまり意味のないことだ。でもインプロヴィゼーションが絡むとそう簡単に割り切れない。コードネームを見ただけで、ジャズミュージシャンはトナリティーを探してしまう。それは実際のジャズの演奏を想定してのことだ。これがアドリブのかなりの縛りになってしまう。でも逆に言うとこの感覚が人間の本来の音楽に対する「感覚」なのかもしれない。そして古い進行である根音の4度上行や半音下行がどんな音楽組織の中でも「強進行」として有効であることを体感する。現代の音楽にはいろんなルールや技法が存在するが、そのすべてにおいて本当の意味での違いや仕切りのようなものは存在しない。根音は音楽構造上重要なものではあるが、それはあとで分析するものであって、即興演奏の現場ではそれはミュージシャンが探って頼るコンパスのようなものだ。