ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Elsa Ⅲ

2010-03-26 01:07:08 | Weblog
この曲は何調?不思議なトナリティーだ。調性の問題は非常に難しい。議論するのを逃げるつもりはないけど、ボク自身もまだ結論を持っていない。というのは、いわゆる機能和声や対位法、そして20世紀以降の和声学を通して学んだことがジャズのインプロヴィゼーションを重ねるうちに疑問に思えてきたからだ。即興演奏から得られる感覚というのは不思議なものだ。まず最初に調性は広義と狭義に分けなければいけないと思う。簡単に言うと18世紀のはじめに確立され19世紀の終わりごろまでの音楽を牛耳ってきた和声学や形式論でうたわれているのが狭義の方で残りが広義ということだ。随分乱暴な言い方かもしれないけど残りというのは、12音を半音階的に扱う音楽の中での調性、そして古代から存在する民族音楽の核音とも言うべき音の存在もということでこれも調性に値する。で、インプロヴィゼーションには両方の調性が存在するのだ。まあ感覚の話だけど・・・。そしてその即興演奏の素材となる楽曲にはいろんな要素が要求される。プレーヤーに良いインスピレーションを与えるために・・。「トナリティー」を感じずにプレイするミューシャンはいない。インプロヴィゼーションを通して感じるトナリティーが音楽の「調性」そのものなのかもしれない。

Elsa Ⅱ

2010-03-19 01:12:14 | Weblog
この曲のブリッジの部分はペダルポイントを使ったコードの推移を楽しむスペースだ。最初はメジャー7TH、低音を残しておいて上のコードを全音下げる。ドミナント7THの4度がサスペンドされたような響きになる。次にそのまま全音下げてその次に低音をそのままにしてまたコードを全音下げると3度がベースのメジャー7THのように聞こえる。フリジアンモードが匂う。この曲はペダルポイントを有効に使い音楽のクオリティーを上げている。言う事なしだ。でも実はペダルポイントという音楽技法は使い方を誤るととんでもなく音楽が雑になってしまう、いわば「諸刃の刃」なのだ。この技法の始まりはオルガンの低音「オルゲルプンクト」、日本語では通奏低音と呼ばれている。12個の音とオルガンという楽器ができたのに和声法が確立されていない頃から存在した。鳴り続ける低音は上に展開される和声の動きの良いところも理不尽なところも消し去ってしまう。これに似た低音は原始的な民族音楽からすでに存在する。でも12音という人間が考えだした音組織の中で使うとなると意味合いが全然違ってくる。つまり半音階システムのなかで効果を得ようとすると上に展開する和声の進行との兼ね合いが重要になってくるのだ。ペダルポイントの説明には維持される音はコードとは関係がない、と書かれているものがある。間違いではない。でも音楽的に正しく判断しないと全くの逆効果になってしまう。ペダルポイントはコード進行の矛盾を隠す手段ではない。音楽に緊張感を与え和声をより充実させるための重要な技法だ。

Elsa

2010-03-13 02:08:06 | Weblog
Earl Zindarsの作品、この人は言い方がおかしいかもしれないけど本物の作曲家だ。優れてる。独特の感性、そしてインプロヴィゼーションの素材としても充分なインスピレーションを持った楽曲だ。ビルエヴァンスは好んでこの人の曲をチョイスしていた。全体の印象を言うと場面や色彩感がいろいろ変わるのにスッキリしている感じだ。ムダがない。音楽は「Simple is Best」だ。まあ口で言うのは簡単だけど・・・。この曲はブリッジが特徴的だ。メロディーがない。和声だけ。でもそれでも充分に音楽の状況を表現している。このコードを感じる時間がこの曲のブリッジなのだ。調性に関しても鋭い感性だ。12音の中で自分の求めているトナリティーを探しあてるには熟練した耳がいる。瞬時に見つかるとは思えないけど正解にたどり着くだけでも大変だ。でもこれが12個の音で和声構造を組み立てていく醍醐味でもある。うううん・・・。でも難しい。過去の名曲を分析して理解し納得するのは快感ではあるけど、自分で見つけ出そうとすると話は変わってくる。もちろん参考にするというのは大家でもしていることだけどそれに頼るわけにはいかない。これは楽曲を作る時の話だけど、インプロヴィゼーションにも結局同じことが言える。ひらめきを自信を持って表現するにはやはり裏付けが要る。勉強してないとどこか怯えてしまう。勇気を持てないのだ。結果を気にせず地道に研究するしかないか・・。

Spring Is Here Ⅳ

2010-03-06 23:13:58 | Weblog
リハーモナイズやアレンジの方法に決まりがあるわけではない。多分プロといわれている人たちはひとりとして同じやり方ではやっていないだろう。音楽を作る作業はそんなものだ。このコードのときにどんな音を使うか?発想はひとそれぞれだ。でも共通して言えるのはやはり和声の縦のことよりも横のつながりの問題が大きいということだと思う。前後関係、曲全体の流れの中で同じコードが心地良く響いたりぎくしゃくしたりしてしまう。経験をつめばある程度の予測はつくようにはなるけど、やはりマンネリを避け、新しいフィーリングが欲しかったら何度もそのコードやヴォイシングを演奏してみないと本当の良し悪しは判断できない。音楽はやはり時間の流れに支配される芸術なのだ。横の流れがただスムースであれば良いものでもない。次に向かって動かない岩のようなコードでもそれがその音楽にはまることもある。メロディーがその岩を押し流すこともある。逆に急流のように和声がすすむこともある。音楽は12個の音の組み合わせによっていろんな仮想の時間の流れを楽しめる。ひとつの音を加えるか省くかによってその流れのスピードを変えることもできる。それが面白いのだ。