ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Come Sunday

2014-11-30 02:00:15 | Weblog

この曲は1943年にデュークエリントンがサキソフォンプレーヤーのJohnny Hodgesのために書いたものだが、その後1958年のデュークのアルバム「Black Brown&Beige」でMahalia Jacksonが歌ってヴォーカル曲としても定着した。歌詞はマヘリアが書いたものだ。形式はA-A-B-A。この曲は何風と言ったらいいのだろう?形容詞があまりない。楽譜を見てみよう。メロディーには♯や♭、いわゆる変化音がサビの終わりのひとつだけ。で、この音はドミナント7THの♯5の音、それだけだ。なのに、コードはドミナントから始まって全音下がってⅡ7があり、内声には♯11THがよく聞こえる。デュークサウンドだ。エリントンは多作家だ。いろんな引き出しを持っている。この曲もデュークの音楽教養の一端だと言ってしまえばそれまでだが、とにかく演奏すると独特の気分になる。音楽の持つメッセージ性というのは不思議なものだ。構造を分析しても分からないものもある。その分析不可能な抽象的なものこそが音楽の「核」の部分かもしれない。それは12音平均律も楽器もなかった太古の昔から変わらないものだ。音として聞こえてくるものは「音楽」のほんの一部分にすぎないのだ。




ブラック・ブラウン・アンド・ベージュ
Naxos
Naxos

Once I Loved Ⅳ

2014-11-24 01:22:42 | Weblog
ジャズインプロヴィゼーションにはインスピレーションを喚起する素材を必要とするというのが原則だ。手慣れたスタンダードでそれをバンドの全員、そして聴衆までもが認知している時、大胆なフェイクからいきなりスタートするときもあるが、それも明確なテーマがあってのインスピレーションということだ。主題(テーマ)というのは楽曲を支配してしまう要素だ。これはジャズスタンダードに限らず過去のほとんどといっていい楽曲に存在した要素でもある。もちろんそれは音楽に必要だから存在してきたわけだ。だが、現代音楽には無主題主義ともいえる概念がある。これは主題にたよって音楽を成り立たせるのではなく、激しい音列やリズムの変化によって、音楽をコントロールしようというものだ。翻って考えてみると、実際にアドリブをやっている時というのは、こういう音楽の捉え方をしている時もある。半音階的なインスピレーションが湧き不連続なリズムパターンが浮かんでくる。インプロヴィゼーションは常にテーマに忠実に歌うように浮かんでくるものではない。ソロの展開には無数の方法がある。でもこういう調性音楽のセオリーにない方法論というのは説明のしようがない。即興演奏というのは、人間の持っているいろんな知性を開発してくれる。インプロヴィゼーションによるソロパートの時間というのは自分の持っている音楽的教養と感覚をみんなに知れしめることのできる貴重な時間なのだ。

Once I Loved Ⅲ

2014-11-18 01:49:05 | Weblog
作曲という行為には何の定義もない。作る手順も自由。16小節や32小節のシートミュージックから1時間を超える大シンフォニーまで1曲は1曲だ。でも「Composition」というからには何らかの音の組み立てが必要だ。すなわち音楽に必要ないくつかの要素のバランスを取りながら12個の音が配置されているか?ということだ。まず縦と横の関係、和声的、対位法的な問題、全音階的であるか、半音階的であるかという問題、そして調性の濃淡だ。これらはすべてYesかNoかという二者択一の問題ではない。それぞれに無数に段階がある。これが音楽を作りだした人間の知恵なのだ。また音楽という芸術が尽きない理由でもある。それぞれの要素が楽曲を作る目的によってそのバランスが変わってくる。そして音楽を作る目的は作曲家個人の事情で変わってくるし、時代背景や地域性の問題もからんでくる。音楽が作られる理由や過程は千差万別なのだ。自分が音楽を演奏したり、作ったりしようと勉強を始めると、過去の他人の楽曲、特に大作曲家の作った名曲に関しては研究する過程でそのバックグラウンドを知りたくなる。そしてまたその知識もある程度は必要なのだ。その曲が作られた理由を知ると接し方も変わってくる。雲の上の人だった作曲家が普通の人間に思えてきたりする。その作曲家の音楽作りの方法論がなんとなくわかってくることもある。これはジャズインプロヴィゼーションの研究とほとんどイコールだ。ジャズを習得するための過程もいろいろある。

Once I Loved Ⅱ

2014-11-10 02:04:51 | Weblog
この曲の和声は完璧だ。もちろんリハーモナイズしようと思えばできる場所はあるが、7,80年前のアメリカのポップス曲のようにコード進行を修正してうまく穴埋めしないと演奏に耐えられないというような類のリハーモナイズではない。トムジョビンは星の数ほど曲を書いているからいろんなタイプのものが存在するが、その中でもこの曲は旋律と和声が一体となって音楽構造を形成している演奏しやすい曲だ。しやすいというのは、ジャズミュージシャンにとってという意味でだ。そういう構造的な曲でありながら、ヴォーカリストにも好かれる。実はこれがとても難しいことで、歌曲作りは大変な作業だ。和声進行のルールが形成されてきたころ、ソナータとカンタータとして歌の楽曲、楽器の楽曲を区別していたのにはやはり理由があった。それぞれに良さがある。ふたつを合体するのには独特の能力が必要だ。で、この曲にはそのふたつがある。それがジョビンワールドだと言ってしまえばそれまでだが・・・。調性も短い時間ごとではあるが無理なく分かりやすく自然に移り変わっていく。特にCの部分で調性が全音で下がってくる部分は歌詞と相まって歌曲としての物語性十分だ。最後の8小節は同じメロディーが2回繰り返されるが低音が半音で下がりつつ違う和声づけがされてあり、ジョビンのボサノヴァの特性がよくあらわれている。本当にいいコードだ。シャーリーホーンの弾き語りが忘れられない。

Once I Loved

2014-11-02 23:59:02 | Weblog
トムジョビンの作品、原題では「O AMOR EN PAZ」になっている。ボーカリストに人気のボサノヴァナンバーと言っていいだろう。ボサノヴァバラードだ。形式はA-B-A-B-C。ちょっと変な小節数だけど、実際に演奏してみたら進み方を間違えるということはない。アドリブをやっていても行方不明になることはない。ここで、曲の解説はまた次回にするとして、演奏中のいわゆる「事故」についてちょっと・・・。アンサンブルの場面の事故、間違いはまあすぐばれてちょっとカッコ悪いけど、ちゃんと練習すれば解決する。でもインプロヴィゼーションの時の事故の解決方法は難しい。要するにソロ奏者が行方不明になったり、ずれたまま音楽が進行しているときにどう対処するか?ということだ。ジャズを長年やってるとそういうことは日常茶飯事なので、驚きはしないけど、どうしたらいいのか困ことはある。とくに、コンサートや一発勝負の録音の時などだ。人間だから間違いはある。ジャズレジェンドと言われている人たちのジャズの名盤ですら、探せばいっぱいある。それぐらい即興演奏というのはやはりリスクがあるのだ。何事もなかったかのように間違えたひとに合わせてリカヴァーしているのもたくさんある。たいていはリズムセクションが修正している。そうなのだ。リズムセクションというのはどんな時も3人、4人の音を同時に聞き分けて正しく進んでいるか、確かめながら演奏する必要がある。で、それがジャズ演奏のごく普通のことなのだ。まわりに何かが起きたときどう対処するか?それはパターンが多すぎてなかなか簡単には書けないけど、ジャズをやるには自分がどんなプレイをするとかいうこと以前に、まわりに起きていることを把握するということがいわば演奏に参加するための最低限の資格でもあるのだ。

おいしい水
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