ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Speak No Evil Ⅲ

2006-10-31 03:24:19 | Weblog
スケール(音階)というのは、不思議なものだ。なぜ周波数を階段状に表すのか、なぜオクターブに集約するのか?まあ全ては人間の脳の都合だ。音楽の素材としての音波を判別しやすくしているんだ。スケールの概略はほとんどの人がすぐ理解したような反応をする。でも実は問題はそう簡単じゃない。音楽には縦軸と横軸がある。譜面をみれば一目瞭然楽譜というのはグラフなんだから。横軸は時間軸、一定の時間いわゆる小節を割り算する、これがリズムだ。縦軸は音程、周波数を階段状に区切ったものを表示している。ボクはピアノをずっとやってるせいもあって、ひとつの音をなにかハーモニーの中の代表の音のように感じてしまう。ちいさい時からそうだ。でもそれがなぜだか分からなかった。でも大人になって音楽理論を勉強するうち、それがまんざらおかしな感覚ではないことに気がついた。一つの音が時間軸にそって移動する、いわゆるメロディーだ。これは常に倍音列を伴っているわけだ。だから倍音構造の時間の経過を感じていたんだ。メロディーを聞くというのはそういう、<時間も含めた総合的な空間>を聴覚が感知しているということだ。スケールというのはそのメロディーを作っている素材を順番に並べただけだ。不思議なものではあるけど実はその程度のものでもあるわけだ。スケールのいろんな音の並びを大事そうに説明したりする人がいるけど、全くナンセンスだと思う。まあ音階なんて目次みたいなもんだ。こんなこと言ったら怒る人もいるかな?でもたくさんの種類があるといったってあんなものはだれでもすぐ覚えられるし、ブッチャケ、ジャズの演奏にほとんど役にたたない。いやホント。ボクはある頃からメロディー、リズム、ハーモニーの位置付けについて頭の中でボンヤリだけどイメージするようになった。それは小学校の時に習った距離と速さと時間の関係だ。メロディーというのは距離なんだ。リズムとハーモニーをかけてできる。まあすごく個人的なことだからどうでもいいことだけど・・・。

Speak No Evil Ⅱ

2006-10-29 19:10:38 | Weblog
ウェインショーターの個性の強さについては、疑義を唱える人はいないだろう。そのプレイスタイル、オリジナル曲の素晴らしさ、正に'One And Only'だ。一体どうやって勉強したんだろう。ミュージシャンなら誰でも興味を持つ。音楽の練習の仕方や、研究のしかたはひとそれぞれといってしまったらそれまでなんだけど、やり始めのころは全く雲をつかむようなもんで、見当がつかない。過去にあったものを覚えたり理解するために分析したり、それが演奏できるように練習するしかないんだ。じゃあどの時点から自分の音楽の個性の確立を目指してやり始めるか・・・難しい問題だ。ひとからみたら、個性というのは最初からその人に備わっているもので考えて作り出すものじゃないようにも思える。でもレベルの高い音楽を目標に置くと問題はそう簡単じゃない。やはりすごいひとの演奏は気になる。何度も何度も聴く。そのうちに知らず知らず似てくる。それに気付いて今度はそれから離れようとする。うまくいかない。迷路に迷い込む。ううん~勉強というと一般的には知識を詰め込むという印象が強いけど、音楽はそれだけではダメで自分で工夫するクセをつけないといけないような気がする。今はとにかく情報過多だ。なんでも知ろうとしたらそれだけで頭がパンクする。ショーターが若かった頃といったら今から50年も前だ。その頃の情報量は今とは比べものにならない。でもその分自分といやでも向き合って工夫する時間が長かったということだ。ショーターだけじゃなくて、これは強烈な個性を持ったひとに共通したことだと思う。ダメもとで自分流にやってみる。あんまり今世の中で起きていることに気をとられすぎると、いつまでも自分の音楽を作っていけないし本当の意味で楽しめない。これが現時点でのボクの見解かな?

Speak No Evil

2006-10-28 02:11:58 | Weblog
ウェインショーターのブルーノート第3弾で'64年の録音、このちょっと前にショーターはマイルスクインテットに参加したようだ。で、リズムセクションはハービーハンコックとロンカーターを起用したのかな?エルヴィンはそのままだけど・・・。でもまあなんと素晴らしいアルバムだろう。ミュージシャンの超お気に入りのアルバムだ。どこがどうとかいいようがない。でもこんな批評はないよね。すみません。ウェインショーターが日本に最初に来たのはアートブレイキーのバンドだ。その時はたいへんな騒ぎだったようだけど、サックスは大御所のベニーゴルソンだとみんな思ってたみたいで、若いショーターだとわかったときはホントのところガッカリしたようだ。これは、その時聴きにいった人たちの話を総合してのことだけど・・・。ボクはまだ小学生でした。でもTBSのスタジオでやってるのをテレビ中継してて、それを家で見てた記憶がある。ボビーティモンズの横顔が焼きついている。音使いもほんの少しだけど記憶のかたすみにあるようなないような・・・。まああの頃のショーターを初めて聴いたら、ジャズメッセンジャーズのファンは反応に困るだろうね。今でこそその後のショーターのことを知ってるから悪く言うひとはいないけど・・・。その時のテレビ中継のビデオは今発売されてるみたいだ。一度ある店でみた時、記憶が甦った。あの時不思議に感じた音はブルーノートだったんだろうか?分からない。いくらなんでも昔すぎる。それに一度しか聴いてない。でもちょうどピアノを一生懸命やってた頃だったので、ちゃんと聴いてたんだろう。耳もよかったのかな。もう45年も前の話だ。古くてすみません。

Juju Ⅱ

2006-10-27 02:14:21 | Weblog
ウェインショーターがどうやってこんなに大量のオリジナル曲を書けたのか、そのパワーにはホント驚く。ウェザーリポート時代には、プライベートな問題があって数年全く書けなかった時期もあったらしいけど、それ以外はコンスタントにすごいペースでオリジナル曲を作ってレコーディングしている。まあ作曲の方法というのは個人個人で全然違ってマニュアルは一切ない。昔のように楽譜に書かなければ全く認めてもらえないというのではなくて今は録音という方法で残せるし人に伝えることもできる。まあなんでもありだ。でも日本語では「作曲」という言葉しかないけど、'Composing'と'Song Writing'は全く違う代物だ。作曲家というからには前者でなきゃあね。そのためにはやっぱり勉強が必要だ。音を「組み立てる」わけだから。音楽は聴くほうはフィーリングでしか聴いてくれないし、やってるときはこっちも実はフィーリングがほとんどだ。十代の頃必死で作曲の勉強をしてたら、そんな紙の上の勉強はジャズをやるのにジャマだからやめろとよく先輩のミュージシャンに言われたもんだ。ほんとによく言われた。でもその言葉は間違っていた。今は自信をもってそう言える。勉強は絶対しなきゃダメだ。理論に振り回されてるうちはだめだ。完全に音楽理論を手のうちに入れるまで理解しなければかえって自由になれない。マイルスも同じことを繰り返し言っている。マイルスの言葉を読んで勇気百倍になった。その勉強した知識を使って演奏をするとかいうことじゃない。音楽は音を出すだけじゃなくて、そういう勉強をしているときも音楽家にとっては音楽をやっている大事な時間なんだ。

Juju

2006-10-25 16:22:15 | Weblog
ウェインショーターのブルーノート第2弾、サイドメンはリーモーガンが抜けただけで、前回と同じコルトレーンバンドからの拝借だ。ちょっとラフなところもあるけど、大丈夫一流のジャズアルバム、ショーターの世界だ。とにかく音楽にパワーがある。考えてみたらみんなまだ若い。こういう演奏を聞いていると、感じるのは「発信力」と「認識力」という問題だ。若くて才能と技術を兼ね備えている人はもちろんバツグンの発信力を持っているから人に認められるわけで、素晴らしいことなんだけど、キャリアがない分音楽の奥を感じ取ったりする認識力がともなっていないケースが結構ある。若い時は自分をどうアピールするかだけが興味の対象だ。これはよく言われる音感とかの問題じゃない。特別なぐらいの音感を持っていることは、プロになるには当たり前のことでそういうものを持っているという前提の話だ。プロの認識力というのは、ちょっと異常なぐらいのもので、かけだしのころ随分ビックリした。なぜそこまでわかるの?特にリズムセクション、ドラムやベースのひとの共演者を探る耳はすごいものがある。これがプロのキャリアなのか。でも何十年か経つうちにそういうことも普通になってきた。そして認識力の優れた人が必ずしも優れた発信力をもっているのではないことが分かってきた。発信力、つまり良い演奏をするには、たゆまぬ努力が必要だ。練習、研究を一日も怠ることはできない。でも認識力ははっきりいってキャリアなんだ。ながいことやってると自然にいろいろわかるようになってくる。そこで怠けもののベテランミュージシャンの悪い癖がでるんだ。なんでも分かるもんだから、自分が出来てるような錯覚に陥る。まわりもその人が言うことは高級だし歳もとってるから何にも言えない。困ったもんだ。情けない。その深い認識力に応じた高いレベルのパフォーマンスをするには、若い時以上の努力が必要だ。そうしないと言動が一致しない。これが音楽の一番キビシイところだ。