音楽の構造は垂直方向と水平方向で表される。つまりそれが「楽譜」だ。それぞれの方向には目盛がある。実際の音楽は楽譜で表される目盛の精度ではもの足りないので、もっと細かい目盛を使ってニュアンスを加えたりもする。和声法と対位法、ポリフォニックとホモフォニック、これらの対比もイコールではないが、音楽が二つの目盛で表現されるということと無縁ではない。このふたつの方向には曲それぞれ場面によってどちらかに優位性がある。で、その割合は千差万別だ。でもその割合によって音楽そのものの良しあしが決まるものでもない。問題は楽曲から受けるその時その時のどちらかの優位性の感覚をインプロヴィゼーションをやる上でどう消化するか?ということだ。あるコードの響きがインスピレーションを与えてくれる時もあるし、メロディーの特徴的な音程やリズムパターンが良いインプロヴィゼーションにつながることもある。コード進行だけを与えられても、メロディーだけを知っていてもアドリブは出来ない。これは当然のことのように思っているが、インプロヴィゼーションというのは、楽曲の垂直方向と水平方向の情報をちゃんと知って、それらからインスピレーションを受けて初めて成立するものなのだ。で、その受ける情報のインパクトはある時は垂直方向が強かったり、ある時は水平方向が強かったりする。ジャズを学ぼうとするとどうしてもインプロヴィゼーションの方法論を自分なりに掴みたいという気持ちになる。それはそれでいいのだが、楽曲のどこから何を感じるか?というのが実は「アドリブの結果」に直結する大問題なのだ。
1941年、Burton Laneの作品、歌詞はRaiph Freed。いろんなヴォーカリストが歌っているが、元来はコメディの中の歌詞なので、歌詞を変えて歌っている人が多いようだ。シナトラはFranklin Rooseveltが出てくるところで、James Duranteといういわゆるエンターティナーの名前を出している。なんともコメントできないが、これがシナトラのチョイスだ。まあこういう風に歌詞を自分のセンスやその時代に合わせて変えるのは、ほかの曲でもあるが、「How About You?」という歌詞はもちろんそのままだ。このタイトルの意味はともかくワンコーラスに5回出てくるこの言葉にいろんなメロディーがくっついている。最初は5度上行、それを半音上にずらしてまた5度上行、前半の終わりに長3度下行。後半も5度上行があって最後は短7度下がって短2度上がる。まあこれはラシドと音階的に上がって解決するのをひっくり返しただけだけど・・・。おおまかに3種類のメロディーラインがこのタイトルの歌詞に用意されているわけだ。で、どれも全く違和感はない。というのは、言葉によってはかなりメロディーラインを制限されるものがあって、特にそれがタイトルであったりすると、慎重にメロディーを組み立てないとその部分が不自然に聞こえると音楽そのものの価値も下げてしまうことがあるからなのだ。歌詞と音楽どちらが先でも同時でも問題はないが、結果的に歌詞と音楽の不一致はその楽曲をダメにしてしまう。カンタータとソナータ、お互い相容れない部分を持つ芸術を融合させるのは作曲家の永遠のテーマだ。作曲家には想像以上に「歌う」という能力が要求される。これは実はジャズミュージシャンにも言えることなのだ。
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複数の声(声部)が同時に進行するいわゆる多声部音楽がいつ頃から始まったのか?明確な時期はもちろん特定はできない。でも12音の完全な平均律が整備されるまでがすごく長くて、12音が理論上も確定してからの音楽の変化、発展のスピードがすさまじいことは確かだ。いっぱいある声(声部)のうち一番高い音が旋律、メロディーだ。もちろん旋律も多声部の中のひとつではあるが、音楽を印象づけるもっとも重要な声部であることも確かだ。これがホモフォニックな考え方であるともいえる。「旋律は流れる水で和声はその流れの中にあるゴツゴツした岩である。」ヒンデミットのこの考えに立てばメロディーに対する綿密な工夫は避けては通れない。メロディーには一定の「区切り」が絶対必要でそれをモティーフと呼ぶ。で、それを印象づけるには人間の感性に対するもっとも簡単な手段として「繰り返し」がある。この「When I Fall In Love」も明らかに最初のモティーフを繰り返している。繰り返しにはリズムパターンと音程という要素がからんでくるから完全な繰り返しではない場合も多いが、それが繰り返し(リフレイン)であるかどうか注意深く見抜かなければならない。そして楽曲全体を見た場合、こういうモティーフ(動機)となるフレーズの種類が何種類あるか?というのが重要なのだ。これは人間の記憶力が関係してくる。あまりに種類が多いと覚えきれない、でも少なすぎると音楽が単調になる。この程度問題が難しいのだ。インプロヴィゼーションにも同じことが言える。一曲のアドリブの中にいっぱいのアイデアを詰め込んでも無駄だ。音楽としての説得力はかえって弱くなる。人間の感性に適したアイデアの量と時間、これに気をつけないとインプロヴィゼーションはやってるほうも聴いてるほうもただ疲れるだけになってしまう。
この曲はジャズスタンダードとして認知されている曲であるからもちろん付随する全体のサウンドやコード進行もジャズとしての価値観に裏打ちされたものが同時に認められている。それは4度進行を基本としたコード進行とそれのリハーモナイズ、そしてそのコードに加えられたテンションだ。一方メロディーだけに注目するとこれは確固たる調性を持った7音音楽だ。つまり、もとになるメロディーと調性を司るカデンツアはいわば古典的な音楽構造でそれに「何か」を加えているだけなのだ。実は調性音楽の基本となるカデンツアの起源は意外と古く、12世紀だと言われている。まだピアノなんて影も形もない。音楽を組み立てる上でこのカデンツアが重要性を増してきたのは18世紀前半ラモー以来だ。時間の経過と音楽の変化のスピードがピンと来ないがこれは産業技術の発達による楽器の変化、12音平均律の完成が大きく影響している。とにかく18世紀後半以降音楽は加速度をつけて変化しだしたのだ。現在では調性そのものを否定する音楽もそしてインプロヴィゼーションを主体とするジャズもすべて音楽として認知されている。音楽というのは何が変化しないで何が変化するのか?見極めるのが本当に難しい。過去の優れた作曲家はその時代の感覚を自分の「言葉」としての音楽で表現してきた。過去のその音楽を求める聴衆に提供する立場のプレイヤーであれば研究して練習そして表現、それにつきるが、インプロヴィゼーションは違う。自分がその時代の感覚の表現者なのだ。これがジャズの価値のすべてだ。博物館に入ってはだめだ。
スティーミン | |
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