もう何十年も前のことだけど、いろんな曲のコードを覚えるのに精力を費やしていた頃、この曲の10小節目のサブドミマイナーのコードに感激した覚えがある。サブドミマイナーの存在は他の曲でも知っていたけどこの曲のこの部分のフィット感は突出している感じがした。メロディーラインと内声の動きが絶妙なのだ。「サブドミマイナー」・・・もちろんジャズ用語だ。特徴になる音は基音から短6度にあたる変化音。そしてこのコードは根音をいろいろ選べる。2度、4度、そして7度フラット、だからコードネームは何種類かある。曲のその場の状況によってルートを選ぶ。微妙な響きを持つ短6度音だけどじつは長い歴史を持っている。この音は何千年も前から人類が音楽表現に必要な音だと認識していた。ジャズ用語ではサブドミナントの3度がフラットしているからサブドミマイナーと呼んでいるけど存在感は非常に大きい。用途も広い。ドヴォルザークのシンフォニー「新世界」の第2楽章のコーダの最後の最後の部分、それまでドミナントにしていた部分をこの短6度音を使ってここだけサブドミマイナーのコードにしている。マエストロドヴォルザークにとってはたいしたことではないかも知れないけど初めて知ったときは感激した。それ以来イントロなどにも即興的に使えるようになった。このコードの意味がよく分かった気がしたのだ。この「It Could Happen To You」はある意味、筋の通った西洋アカデミズムの象徴のような曲だ。
Johnny Burkeが作った大スタンダードだ。歌手も好き、演奏もよくやる。やり方もテンポはほとんど「ミディアム」。それでいい。奇をてらう必要はなにもない。こういう曲をオーソドックスにやる時のベーシストの役割についてちょっと・・・。まあ例えば4,5人のコンボの演奏を想定してみよう。まずテーマ、1小節に2分音符をふたつ弾くリズム感覚を主とするいわゆる2ビート、そしてアドリブに入りバンドの状況が変わってきてどこかで4分音符主体に切り替える。いわゆる4ビート、まあこの言い方は日本のちょっと古めのバンド用語で最近はあまり使わなくなった。でも今でも通じることは通じる。そしてソロ奏者が替わったら状況に応じて2分音符中心にもどしたりもする。わざとちょっとクールダウンさせるためだ。要するにベーシストの役割のほとんどは精密にアレンジされた場合を除いて、音楽の流れを読んで2拍子にするか4拍子にするか選ぶことなんだ。2分音符と4分音符、どっちを弾くかで音楽のニュアンスは大きく変わってくる。テンポがぶれないように気をつけなければいけない。相当の腕になるまでやはりニュアンスに負けて早くなったり遅くなったりしてしまう。それは練習してもらうとして、ベーシストと長年やってきた経験から言うと、ベーシストは4分音符を弾きすぎる。これは個人差や音楽の特性を全部考慮して、トータルの感想だ。まわりの思惑よりも4分音符を弾いている時間が長い。なぜだろう?やはりベーシストはウオーキングベースラインを一生懸命勉強しすぎているのだ。だから弾いてしまう。自分はそんなことはないというベーシストもいるかもしれない。これはあくまでも全てのベーシストの総計だと思って欲しい。共演者はそう感じているのだ。音楽の状況を的確に判断して何音符を弾くか決める。これはいわば音楽の流れをつくる重要な作業でベーシストというのはその流れを作れる立場にいるということだ。そういうことは充分理解しているベーシストはいっぱいいる。でも全体としては4分音符が聞こえすぎる。勉強してきた華麗なウオーキングラインをどうしてもイメージしてしまうのだろうか?異論があるのは承知している。ずっとベーシストとやってきたピアニストという立場のこういう感想もあるのだと思って聞いてほしい。
一体どういう練習をしたらインプロヴィゼーションはうまくなるのか?曲をしっかりアナライズしてコードを把握しスケールの練習をする。これぐらいしか言葉で言えるアドバイスはない。でも実際はこれはいわゆる「机上の空論」だ。インプロヴィゼーションは甘くない。インプロヴィゼーションは即興で作っていく音楽だ。ゆっくり考えている時間がない。はげしく襲ってくるリズムに負けずに「ヒット」しなければいけない。それが第一条件だ。その上いい流れのメロディーをと考えるとたちまちつまってしまう。楽器をマスターするためのトレーニングは決められたことを決められたように正確に演奏するために練習するのがほとんどだ。それを繰り返してひとつひとつハードルをクリアーしていく。その過程でいい音楽を知り、音楽に対する心構えも養われていく。それで正解だと思う。でもそのやり方だけでは即興演奏はどうにもならない部分がある。追い詰められた状況で音楽を作っていく臨場感が自分ひとりではなかなか作り出せないのだ。だからジャズの世界にはジャムセッションといういわばミュージシャンの遊び場がある。真剣にとりくめばちゃんと訓練になる。でもこれも練習してきたことを決まりきったやりかたでやっていたのでは進歩しない。では進歩のキーワードはなにか?それは「ミス」だ。インプロヴィゼーションの途中に自分自身が犯してしまったミス、これをミスのままにしない。それを新しいアイデアとしてパッとその場で受け入れなんとか次につなげていく。この感覚が新しいものを見つけていくことに繋がっていく。インプロヴィゼーションの世界の価値観は独特だ。いかにヒップか?いかにクールか?それが全てだ。ちゃんとやることにたいした意味はない。音楽の訓練としては邪道のようなことがじつはインプロヴィゼーションの引き出しをつくるのには一番有効なんだ。
ピアニストやギタリスト、コード楽器をやる人は「カンピング」をしなければいけない義務みたいなものを負っている。要するにコードをいいタイミングでバッキングするということだ。リズムにスウィング感を与え、そしてなによりハーモニーを豊かにして音楽の道筋をみんなにはっきり示す。これは基本的に音楽の「先回り」をしないといけない。起きたことをあとから追っかけていたのでは音楽をリードできない。だからしっかり音楽のコードを含めた構造を把握しておく必要がある。でも何時も何時もやる必要はない。これが難しい。最初から最後まで重厚なコードが聞こえ続けたらやはりちょっとうるさい。それがどんなにいい響きのコードでもだ。どこでどのぐらいカンピングをやるか?全く正解のない世界だ。音楽を冷静に高いレベルで理解する・・・これ以外に解決方法はない。一切マニュアルはないんだ。この「Woody'n You」はどうだろう?もちろん状況によっての音楽は全部対応が違うから一概には言えないけど、こういうコード進行は一番サウンドがヘヴィーになりがちなんだ。A-A-B-AのAの部分は特に増4度の連続だ。それも2種類が一時に鳴る。こういう場面にカンピングは必要だろうか?前で吹いてる管楽器プレイヤーの身になってみよう。アッと言う間に12個の音が聞こえてくる。テンポも速い。それがどんなにいいタイミングでいいサウンドでもやはりちょっとじゃまに感じないだろうか?音楽に一番必要なシンプルさが消されてしまうのではないか?コード楽器の人たちにとって音を出さない勇気を持つのは結構大変なことだ。でもやはり重要なことは全体のシンプルないいサウンド、即興演奏をする時は冷静さがとても重要な要素だ。
インプロヴィゼーションのその場その場で偶発的に起きる音楽的なことを楽しむといったってやはりそれの基本になるのは個人個人の力量だ。ジャズミュージシャンとしての高い能力がないとそういう楽しみは味わえない。この曲のように「歌いにくい」和声構造を持っていると演奏の時に問題になってくるのはやはりドラマーの音楽的感性だ。ドラマーだけに責任を押し付ける気はない。でもその責任がより強くなる音楽もある。必要とされるのは躍動感のある正確なリズムと音楽全体を把握するセンス、言葉で言うと簡単だけど難しい。長いプロ経験を持つミュージシャンは独特の感を持っている。ピアニストならピアノの前に座った時、ベーシストならベースを持った時、ドラマーはドラムセットの前に座った時、他人の感性を探るアンテナの感度が最高潮に達する。音楽の先読みをする第六感も冴え渡る。違う楽器、それぞれが立場が違っても、自分のプレイをしながら他人のプレイを先読みし、バンド全体のサウンドを感じ取る。ジャズミュージシャンは常にこれをやりながら演奏している。これが普通だ。みんな同じ責任を負っている。でも、打楽器がより大きい責任を負いその分、よりたくさん楽しめる音楽もある。そういうことをみんなが感じ取ることが大切だ。この曲はコードやスケールを探りいくら生真面目に演奏しても音楽としてよくならない。それを理解してガチャガチャやらない。音楽としての面白さを感じ取るアンテナが必要だ。