ジャズの演奏をするときには、その曲をアナライズする。アナライズの方法は曲の内容によって違うし、個人差もある。ちらっと見ただけでもなんとか演奏できる曲もあれば、考えこまなければいけないような曲もある。それは何を前提にしているかといえば、インプロヴィゼーションだ。その曲を基にアドリブをどうやるか?それを念頭に楽曲を分析するのだ。楽曲の分析は指揮者や演奏家が常にやることで、新しい楽曲に出会ったときはそれなしでは演奏はできない。形式を認識し、調性音楽であればコード進行を把握し、ダイナミックスを頭にいれる。そういうものを総合して作曲家の意図をくみ取っていくのだ。調性があいまいな音楽だともっと緻密な分析が必要になってくる。根音を探ったり部分的な調性を調べたり、ポリフォニックな面での検証も要るだろう。でもインプロヴィゼーションさえしないのであればそこまでだ。もちろんここまでの過程でも大曲であれば大変な作業だ。とても高級な音楽的教養が必要になってくる。その曲を基にアドリブをするかしないかということでその困難さが大きく変わるとは断定できないが、すくなくとも前提としてインプロヴィゼーションがある場合、自分の方法論をそこに当てはめて新たに作曲をするという意識がないと、ジャズチューンのアナライズはできないのだ。とにかく数多くの経験が不可欠になってくる。そして曲のえり好みをやっている場合ではない。難解な曲、奇異に感じる曲から逃げるわけにはいかない。自分の方法でなんとかインプロヴィゼーションを良い音楽にする。ジャズの世界独特の鍛錬だ。
この曲の全体的な特徴は、一定のモティーフが何度も現れることだ。これはもちろん楽曲には常にあることではあるが、7度飛ぶ一見歌いにくいモティーフなので印象深い。で、この組み立ての内容だが、メンデスがどの順序で曲作りをしたかは分からないけど、このモティーフを和声進行と組み合わせるのに、モティーフの上がったり下がったりよりも機能和声を先に組み立ててそれにモティーフをのせるという順序で作ったのはほぼ確実だ。このやり方はやはりバランスのとれたコード進行でポップな曲と考えた時には妥当なやり方だ。具体的にはコードのルートとモティーフの音程関係を優先させるということだ。場合によってはルート以外のベーストーンを指定してそれとの兼ね合いで決めることもある。この曲の演奏形態を考えたらそれが効果的な場面もある。頭の5度のペダルもちょっとそれにあたるところもある。こういうやり方は過去の楽曲の組み立て方を継承しているわけで使いふるされた音使いの中にわずかに独特のポイントを見出すという、オーソドックスな方法だ。楽曲の組み立て方に新しいもの、全く独自のものを目指そうというのは音楽家として自然な欲求かもしれないが、ことはそう簡単ではない。その欲求の足かせになるのが実はインプロヴィゼーションなのだ。インプロヴィゼーションを前提に楽曲を考えると音楽の組み立ては全く変わってくる。その考えかたが芸術を作るという観点から見て正しいのかどうなのか?ヒップ&クレイジーを旨とするジャズインプロヴィゼーションの基になる曲の組み立てがこんなにも構造的でなければいけないのか?でも曲のバランスが失われるとアドリブがかえって窮屈になったりする。ジャズの演奏は音楽の中での「自由さ」と常に格闘するものなのだ。
この曲は、メンデスの音楽的教養、センスが随所にみられる佳曲だ。いくつかあげていくと、5小節目から現れるⅢm上のクリシェ、最後から6小節目のⅢm上の長9度音。この基音から増4度の音は古くからよく使われる変化音だが、いわゆる二次的な音でⅠからⅦのダイアトニックな和声には含まれない。なので、五度上の調性の中で現れる音として処理する。ジャズのリハーモナイズではその音を違った形に置き換えることはあるが基本線は変わらない。でもメンデスの使い方は違う。Ⅲ度上のテンションとして処理しているのだ。これだとメロディーの進み方が違ってきてちょっと歌いづらくなるが、それを前後の処理で補っているのだ。まあジャズサウンドに慣れてる歌手はこういう音の運びをなんとも思わないところもある。こう考えてくるとこの曲をブラジルのピアニストが作ったブラジル音楽とは言えなくなってくる。この曲はもっと世界規模の音楽、現代の曲なのだ。ちょっとオーバーに聞こえるかもしれないが、12個の音を組み合わせて作る音楽の基本的な価値観は「構造美」なのだ。それが時代背景によって形を変えている。数百年前に生まれたこの音楽の価値観をジャズも引き継いでその上にインプロヴィゼーションは成り立っているのだ。メンデスはモダンジャズの影響を強く受けたひとだ。楽曲の組み立て方、アレンジの手法、ジャズミュージシャンにとってはすごく身近に感じるフィーリングだ。
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